縁の結び目 [ 楽しみは2倍・悲しみは1/2 ]
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最初に女房と出会ったのは、サラリーマンのT社時代の時。
七月初旬、梅雨の晴れ間に大手繊維会社へ試作品を届けに行った。担当者が突然出払い、応対した女性(女房)に試作品と箇条書きのメモを渡し「後日お電話しますが、宜しくお願いします」・・・・
その後、幾度か会う機会があり、心引かれ・・・だした。
(大阪の子や無いなあ〜、田舎の純朴さがどっか出とるなあ〜・・・と思いながら)
しかし(私は)・・・・
独立して事務所を構え、フリーのデザイナーで生きて行こうと決心していた。
だけど、大阪で藏を建てたデザイナーなど聞いた事は無いし・・・
まして、生活が出来るかどうか?・・・・
(食べて行けるんゃろか〜・・・どないしょう〜?)
情け無いが・・・悩みは重たくのしかかっていた・・・
そんな時・・・・
「人の世は、一人で生きたら楽しいことは一つだけしかありません」
「二人で生きたら楽しいことは二つになり、楽しさは倍になります」
「もし子供が二人出来れば、その分喜びも、4倍になるでしょう」
「しかし、悲しいことは二人で分け合って割れば半分になり、子供も足せば4で割れ、1/4になるはずです」
「あなただったら出来るはずです」
そう・・・とあるお人にさとされた・・・
(悩みの内にしみわたる・・・重たい言葉だった)
今は甘いも酸いもある程度知り、好き嫌いなど、この歳ではもはや消え失せている。
しかしこの言葉は、35年余の歳月を経ても尚、色あせる事は無い・・・・・
思い返せば、真に愛する者を知った時「本当の戦いが始まる」のかも知れない・・・・
(以下・参考サイト)
巡り合わせとしての「縁」(えん)は、運命を参照・・・
運命(うんめい、ラテン語 fatum、英語 fate、destiny)とは、
人間の意志をこえて、人間に幸福や不幸を与える力のこと。あるいは、そうした力によってやってくる幸福や不幸、それの巡り合わせのこと。
人生は天の命によって定められているとする思想に基づいて考えられている、人の意思をこえて身の上に起きる禍福。
将来のなりゆき。
命運(めいうん)とも。
運命とは、人の意思や想いをこえて人に幸・不幸を与える力を意味する。運命(さだめ)などとも言う。運命論では、人の幸福・不幸などは、人の力をこえたところであらかじめ決まっている、と考える。
16世紀のジャン・カルヴァンが説いた予定説では、神の救済にあずかる者や滅ぶ者はあらかじめ定められている、とした。マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」によると、カルヴァン派の人々は「神によって救われるようにあらかじめ定められた人間というのは、Beruf(=天命、職業)を禁欲的におこない成功する人間のはずである」と考え、自分がまさにその救済されると定められた人間である、ということを証明するために禁欲的に働いた、といい、それが資本主義の発展に役立ったという。
紀元前の中国の殷から周への王朝交代期に生まれたと考えられている受命思想では、天(天帝)がその権能の一部を王や人々に分け与え、人のこの世での役割・使命・職業などを定めている、と考える。これを「天命」と言う。
西洋占星術では一般に、人は生まれた時の惑星の配置などによってその人生で起きることに決まっている面がある、と考える。占星術好きな人などは、将来 結ばれることになる異性は人の想いを越えた力によってあらかじめ決められている、と考えて、そうした異性を「運命の人」などと表現することがある。「運命の赤い糸」とも。
一般に「運命」とほぼ同義語として「宿命」が用いられているが、ふたつを分けて考える人もいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/運命
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