ぶらり京都 -12 [桜図と智積院 VS 祥雲禅寺]
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前記した様に、天正18年(1590年)満47歳の若さで狩野永徳が過労死する。その急死から5ヶ月後、豊臣秀吉の逆鱗に触れた千利休が自ら命を断ち、利休の死から6ヶ月後に、秀吉の嫡男、鶴松もまた亡くなる。秀吉は3歳で死去した鶴松のため、天正19年(1591年)祥雲禅寺を建立。50歳をこえた長谷川等伯は障壁画制作を引き受けるが、文禄3年(1593年)跡継ぎと見込んでいた息子の久蔵が26歳の若さで亡くなり、世間では等伯をおとしめる狩野派の陰謀説だと云われる。そしてその久蔵の遺作「桜図」や等伯一派の「楓図」「松と葵の図」「松に秋草図」など等伯展で出品された金碧障壁画の一部は、祥雲禅寺あとの、現在の智積院に残こっている・・・
そして智積院は、元々は紀州の根来山に由来する全国3,000の寺院を統括する真言宗智山派の総本山だったが、戦国時代に、信長・秀吉に対して強く反抗し、何度も武力交戦があった後、天正13年(1585年)秀吉の軍勢によって一山ことごとく焼き払われる。そして秀吉死後、関ヶ原の戦いで徳川家康方が勝利し翌年の慶長6年(1601年)この場所にあった秀吉の豊国神社の土地の一部と、祥雲禅寺を、家康から与えられて現在の智積院として復興したらしいが、等伯VS永徳どころか、秀吉VS家康の因縁めいた権力闘争でおこる、お寺の陣取り合戦の様な?ややこしいエリヤらしく、お寺も権力の間を行き来するらしい・・・
その智積院に参拝し、収蔵庫の本物を見て、大書院の壁面の復元コピーの前に座り、名勝庭園を見ながら等伯の心にふれてみる・・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/智積院
http://www.chisan.or.jp/sohonzan/index.html
智積院〜祥雲禅寺
http://www.eonet.ne.jp/~mangosteen/index.html
http://www.eonet.ne.jp/~mangosteen/tisyakuinTouhaku/Tisyakuin.html
真言宗智山派の総本山智積院
http://www.chisan.or.jp/tohaku/store_work.html
http://blog.goo.ne.jp/hana-m275/e/8dec7226e517a9e05906f3e309edb954
桃山時代に長谷川等伯らによって描かれ、祥雲禅寺の客殿を飾っていた金碧障壁画が智積院には残されている。「楓図」「桜図」「松と葵の図」「松に秋草図」等が国宝に指定されている。
http://sewaiomiki-hagoromo.blog.so-net.ne.jp/2007-10-24-1
長谷川 等伯・天文8年(1539年)〜慶長15年(1610年)は安土桃山時代から江戸時代初期に活躍し、狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する絵師である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/長谷川等伯
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-3/2010_0317.htm
狩野 永徳・天文12年(1543年)〜 天正18年(1590年)は安土桃山時代の絵師である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/狩野永徳
水墨画の最高峰「松林図屏風」、金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)の至宝,長谷川等伯
http://tohaku.exh.jp/highlight.html
千利休・大永2年(1522年)〜天正19年(1591年)中世末期、戦国時代、安土桃山時代の茶人。何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出すというわび茶(草庵の茶)の完成者として知られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/千利休
真言宗智山派の総本山智積院
http://www.chisan.or.jp/tohaku/store_work.html
京都国立美術館
http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html
<特別展覧会>没後400年 長谷川等伯
水墨画の最高峰「松林図屏風」、金碧障壁画の至宝「楓図壁貼付」を描き、豊臣秀吉・千利休を魅了した長谷川等伯(1539-1610)。等伯没後400年にあたる今年、国宝3件、重要文化財30件をふくむ等伯の代表作のほぼすべてを公開する、史上最大規模の大回顧展を開催します。
日本美術史
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本美術史
日本美術史・桃山時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本美術史#.E6.A1.83.E5.B1.B1.E6.99.82.E4.BB.A3
日本美術史・江戸時代・ 寛永期(前期)
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本美術史#.E6.B1.9F.E6.88.B8.E6.99.82.E4.BB.A3