ぶらり京都-20 [哲学の道]
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青春の頃の1960年〜1970年頃は、ベトナム反戦運動や安保闘争を背景に、団塊の世代も世の中を深く思考?しだし「朝日ジャーナル」が人気を集め、そんなに深くも無い脳で有りながら、文化人的なインテリジェンスを備えているかのように「朝日ジャーナル」をチラッと見える様に小脇に抱え、片一方ではカッコを付けるファッション雑誌の「平凡パンチ」が若者達に人気を集めていて、アイビールックのVANやJUNの服を着てなんとか人より目立とうとして生きた日々が有り、週刊マンガがブームになったりと、あの頃が懐かしく思い出される。
当時は「右手にジャーナル、左手にパンチ(平凡パンチ)」とか「右手にジャーナル、左手にマガジン(週刊少年マガジンやサンデー)」と云われ、そのコピーは当時の若者達の世相を良く現している・・・
そしてその頃、京都学派の創始者、西田幾多郎の後輩達にあたる、貝塚茂樹/桑原武夫/野田又夫などの京都大学人文科学研究所が岩波新書から出版した本が人気を呼び、サラリーマン時代、出張で大阪〜東京間の新幹線などで何冊か読んだが、今はもう本棚の隅に眠っている・・・
当時の一般的で単純な社会的な論議は、資本主義や社会主義、共産主義などや職業差別?的なプルーカラーやホワイトカラー、或はまた学歴偏重などなど、考えれば何かぬるま湯で、チャランポランで今より単純で薄っぺらで、しかし今よりは何故か馬鹿か無邪気か?可愛い若者達だった様だ。あの頃に比べれば、今の時代はまるで基軸が見えず、理解や解決の度合いが複雑で不透明で解らない程、いろんな事柄が見えにくなっている・・・
ふと晩秋の道すがら、色づいた木々に目を止めて「生きとして生きるとは」と我に問えど、思惟や思考、或は思想など、なぜか脳のすみのほうに霞んでいる・・・
西田幾多郎が散策した琵琶湖疏水沿いの道は「哲学の道」と呼ばれ、日本の道百選にも選ばれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/西田幾多郎
西田幾多郎 の画像検索
http://www.google.co.jp/images?client=safari&rls=en&q=西田幾多郎&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=UuL6TJWzDs_wrQeEopX7Bw&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=7&ved=0CFsQsAQwBg&biw=883&bih=880
西田幾多郎と和辻哲郎
スタンフォード哲学百科 西田幾多郎 和辻哲郎 京都学派
http://blog.goo.ne.jp/sasakimc/e/82f0b23b672c963283fc19cfdc34cc1a
和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、『古寺巡礼』『 風土』などの著作で知られる日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/和辻哲郎
京都大学人文科学研究所
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/京都大学人文科学研究所
貝塚茂樹/桑原武夫/野田又夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/貝塚茂樹
http://ja.wikipedia.org/wiki/桑原武夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/野田又夫
京都大学人文科学研究所・教員著書 (2003〜2009年)
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/zinbun/publications/publication2.htm
1959年に創刊された日本の週刊誌。発行元は朝日新聞社・・・
1992年5月29日号を最終号として、下村満子の代で休刊となった・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/朝日ジャーナル
朝日ジャーナルとは - はてなキーワード
かつて朝日新聞社から発行されていた雑誌。筑紫哲也が1984年から1987年まで編集長を務めていたことや田中康夫の「ファディッシュ考現学」、本多勝一の「貧困なる精神」、手塚治虫の絶筆「ネオ・ファウスト」などの連載でも知られる・・・2009年4月、創刊50周年にあたるのを記念して、単発で復刊、発売される。「怒りの復活」・・・
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C4%AB%C6%FC%A5%B8%A5%E3%A1%BC%A5%CA%A5%EB
朝日ジャーナル画蔵検索
http://www.google.co.jp/images?client=safari&rls=en&q=朝日ジャーナル&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&hl=ja&tab=wi&biw=1015&bih=899
岩波新書:イギリスのペーパーバックであるペリカンブックスを参考に判型が決められた。著名な美学者・美術史学者の児島喜久雄が担当。2006年(平成18年)のリニューアルまで長く用いられた表紙のランプや、扉部分の四隅で風を吹きかけあうギリシャ神話の風神を描いた・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/岩波新書
株式会社ヴァンヂャケット(VAN Jacket inc.)
1960年代には、東京・みゆき通りに集まる流行に敏感な若者、総称して「みゆき族」の間に流行していたニュー・イングランド風のファッションを、アメリカ東海岸名門大学グループ「アイビーリーグ」にちなんで「アイビー」と呼んだが、このアイビー・ブームを打ち出したのがこの会社である・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴァンヂャケット
JUNは、株式会社ジュンのカンパニーロゴである・・・
元々は上野で手始めとして海水パンツなどの販売から業務をスタート、1958年よりクラシックをベースに流行を適度に取り入れたスタイルで展開す、ターゲットは22?30歳。ブランド設立後しばらくはJUNのみのブランドロゴだった。と言うのもかつてのアイビーブームの中、石津謙介のVANが全盛だった時代に類似のアルファベット3文字ブランドが多発した為である(TAC、ACE、JAX、3文字ではないがJAZZ、EDWARDSなど)一説にはその当時の社長が6月生まれでJUNEから一文字取ったのがきっかけとされてい・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/JUN
雑誌 平凡パンチ
『平凡パンチ 第1巻第1号』 平凡出版 昭和39年 状態D+背傷み 表紙、裏表紙汚れ グラビア 女・加賀まりこ 特集・自由化で激増した無銭旅行の若者たち 表紙 大橋 歩. 平凡パンチ 第2号. 『平凡パンチ 第1巻第2号』 平凡出版 昭和39年・・・
http://www.k-ebihara.com/zaiko-zasshi-punch-m.htm
私たちの青春時代から、平凡パンチをはずすことはできない。オリンピックの年(1964)に創刊されたようなのだが、孤児院で外界とまったく遮断されていた私は知るよしもない。
のちにある友人を通じてお知り合いになったのだが、大橋歩さんの描く表紙のイラストが冴えていた・・・
http://plaza.rakuten.co.jp/fuminoritamaki/diary/200709210000/
平凡パンチ画蔵検索
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週刊少年マガジン(しゅうかんしょうねんマガジン)は、講談社が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1959年3月17日創刊。毎週水曜日発売・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/週刊少年マガジン
週刊少年マガジン の画像検索
http://www.google.co.jp/images?client=safari&rls=en&q=週刊少年マガジン&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=H8n9TPmwHYqrrAeT-am4CA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=7&ved=0CFQQsAQwBg&biw=1015&bih=899
週刊少年マガジン50周年記念、1959年から50年分の表紙50枚全画像を一挙公開
そんなある水曜日の深夜になんとあの三島由紀夫氏が「撮影で遅くなってしまい、店頭で買えなかった」ということで突然編集部を来訪し、週刊少年マガジンを求めたこともあるそうで。というのも、三島由紀夫氏は週刊少年マガジンに掲載され・・・
http://gigazine.net/news/20090317_shonenmagazine_50th/