通りすぎた名画 [藤田 嗣治とモンパルナスのキキ]
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この名画は当時、写真家マン・レイの愛人であった「モンパルナスのキキ」をモデルに描かれ、サロン・ドートンヌで一大センセーションを巻き起こし、二人の人生の間を駆け抜けていった・・・
東京の牛込でエリート陸軍軍医の末っ子として生まれた藤田 嗣治(ふじた つぐはる 1886年〜1968年)は、1910年に東京美術学校(現)東京芸術大学・西洋画科を卒業後、1913年(大正2年)に渡仏、パリのモンパルナスの集合住宅・蜂の巣(ラ・ルーシュ:La Ruche)に移り住む・・・
当時のパリは印象派からポスト(後期)印象派へ、そして、マチス、ルオーなどによって、1905年にサロン・ドートンヌで、目に映る色彩ではなく心が感じる色彩を表現したフォーヴィスム:Fauvisme(野獣派) が生まれ、芸術家たちも、1910年代以降からモンマルトルから安くて自由なモンパルナスへと移り、隣に住んでいた親友のモディリアーニやスーティンなどの、エコール・ド・パリ:École de Parisの時代をむかえていた・・・
←(La Ruche:ラ・ルーシュ/蜂の巣)
しかし時代は・・・
翌年の1914年、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が銃撃されるというサラエボ事件を契機に、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアからなる中央同盟国と、三国協商を形成していたイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国の2つの陣営に分かれ、第一次世界大戦が勃発する。日本、イタリア、アメリカ合衆国も後に連合国側に参戦し、足かけ5年にわたった戦争で900万人余の兵士が戦死し、連合国が勝利した1918年にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の退位と、ヴェルサイユ宮殿でのパリ講和会議で大戦は終結する。
モンパルナス(Montparnasse)では・・・
大戦後のパリに平和が戻り、芸術家たちが住んだ集合住宅、蜂の巣(ラ・ルーシュ:La Ruche)やカフェやバーのル・ドーム(Le Dôme) やラ・ロトンド(La Rotonde) 、ラ・クーポール(La Coupole) などの溜まり場を中心に、デ・ラ・ゲテ通り:Rue de la Gaité には「ボビノ:Bobino」劇場やミュージックホールが多数ひしめき、毎晩、華やかな祝祭と酒や麻薬による乱痴気騒ぎが繰り返され「狂乱の時代:レ・ザネ・フォル Les Années Folles」と呼ばれるほど、モンパルナスはボヘミアン的な街と変貌し、神話化された芸術の聖地として世界中の人々を引き寄せ、異邦人や移民芸術家たちをはじめ、アメリカのヘミングウェーはもとより、レーニンやトロツキーなどの亡命政治家たちも隠れ住んでいた。特にラ・ロトンドの経営者ヴィクトル・リビオン(Victor Libion)は飲み代の肩代わりに絵を受け取るほどであり、マルク・シャガールは当時を回想してこう記している「私の故郷の町では見ることができないものを、自分のこの目で見ることにあこがれた・・・あのとき芸術の太陽はパリだけを照らしていた」と・・・
藤田も、第一次世界大戦の戦時下に日本からの送金が途絶え、貧窮していた生活が2年ほど続きながらも、大戦終結の1917年頃から、面相筆による線描を生かし、白い絵の具に和光堂のシッカロール(ベビーパウダー:てんかふ)を混ぜた「藤田の白」を完成させ、独特の透きとおるような「乳白色の肌」の画風を確立し経済的に成功をおさめはじめ、多くのモデルが藤田の部屋を訪れるようになった・・・
そんなモンパルナスに、ブルゴーニュ生まれの私生児キキ:Kiki(本名アリス・エルネスティール・プラン:Alice Ernestine Prin 1901年〜1953年)も、12歳でパリに出て、
「母親に道ばたに産み落とされたのだから、あたしは一生路上で暮らしていくだろう」と、・・・
心底、陽気な少女は、この街に住みつき、画家モイズ・キスリング(Moise Kisling)のモデルとなり同棲、雑誌「パリ=モンパルナス」の発行者、アンリ・ブロッカとの愛人関係など、1921年にはアメリカ合衆国の写真家マン・レイと出会い写真モデル兼愛人となり、モンパルナスのまばゆい階段を登り始める・・・
そして藤田は1922年、そのマン・レイの愛人であったキキをモデルに「寝室の裸婦キキ(ジュイ布のある裸婦):Nu couché à la toile de Jouy」を発表。サロン・ドートンヌで8,000フラン余で買いとられ、一大センセーションを巻き起こし、一躍時代の寵児に登りつめる。そして、エコール・ド・パリを代表する画家の一人として確固たる地位を築き、個展開催のため南北アメリカを訪れ、2年後に日本に帰国する・・・
"Nu couché à la toile de Jouy" 1922年|油彩 面相筆 キャンバス|パリ市立近代美術館蔵 Oil, ink, charcoal and pencil on canvas|Musée d'Art moderne de la Ville de Paris 藤田嗣治/洗礼名・レオナール・フジタ(Léonard Foujita)(1886年〜1968年) |
キキも、マン・レイの数々の写真のモデルとして、1926年の雑誌ヴォーグに発表された「黒と白」や1929年に著した自叙伝「キキの思い出」のフジタの序文を巻頭に戴せ、キキを慕う芸術家たちによる肖像画や写真をふんだんに盛り込むなど、歌手や映画にも出演し、新聞や雑誌などに、センセーショナルな写真を次々と世に送り出し「女王キキ」として彼女は、文字通りモンパルナスのスーパーモデルとして「モンパルナスの女王キキ」の黄金期を向かえた・・・
しかし、狂乱の時代は1929年のニューヨーク証券取引所で株価が大暴落した世界金融恐慌をきっかけに幕を落とし、大不況は世界中を席巻し、ついに1939年から1945年にかけて第二次世界大戦へと突入する・・・
そして、1940年のドイツによるフランスの侵攻が始まるとモンパルナスの灯は完全に消え、モンパルナスの狂乱と祝祭の時代:Les Années Folles は幕を閉じた・・・
その後、美術の中心地はニューヨークへ、パリの芸術家はサンジェルマン・デ・プレへと移り、モンパルナスがその輝きを取り戻すことはなかった。キキはこうつぶやいている・・・
「私はパリを愛している。なぜなら、パリには私の愛する人が住んでいるから」
そして、年老いたキキは戦中にナチスから身を隠し、再びパリに戻り退廃したモンパルナスを彷徨いながらドラッグに溺れ、1953年、生まれた時と同じように極貧の中で51年の生涯を閉じた。
葬儀にはカフェ「ラ・ロトンド」や「ラ・クーポール」などから花輪が届けられ、藤田は、ティエスの墓地まで柩とともに見送ったと云われている・・・
その藤田は・・・
第二次世界大戦中に戦争画製作を手がけ、敗戦後の1949年この戦争協力による批判やGHQからも追われながら・・・
パリから南西に約30キロ離れた郊外の村ヴィリエ・ル・バークルの、当時は350人ほどの寒村にアトリエを構え(現・メゾン・アトリエ・フジタ)1955年にフランス国籍を取得し・・・
往年のパトロン、シャンパンの生産地ランスのシャンパンメーカーG.H.Mumm(マム)社社長・ルネ・ラルーが後見人となり、1959年カトリックの洗礼を受け、名前もレオナール・ フジタ:Leonard Foujitaに改める・・・
真紅のリボンが描かれたラベルのコルドン・ルージュで有名なG.H.Mumm社は1840年頃から自社畑所有に取り組みはじめ、現在ではランス郊外に330haのブドウ畑を所有。地下セラーは全長が25km、2,500万本のシャンパンが大切に保管され、徹底した品質管理のもと、F1レースでの公式シャンパンや1958年にマム社の新商品「コルドン・ロゼ」のラベル、藤田が描いた絵がコルク栓の王冠の絵として使われ、マム社の敷地には、藤田によって描かれたフレスコ画が一面に広がる礼拝堂「チャペル・フジタ」が建てられている。そして、藤田は1968年ガンで82年の生涯を終え、そのランスのフジタ礼拝堂に眠っている・・・
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彼は後年、こう述べている・・・
「私は世界に日本人として生きたいと願う。
それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろう」・・・
1922年サロン・ドートンヌで独特の「乳白色の肌」と精緻な表現で絶賛を集めた、
藤田嗣治:Leonard Foujita 作「寝室の裸婦キキ」(ジュイ布のある裸婦)
"Nu couché à la toile de Jouy"
そして、この「名画」は時代と共に、二人の人生の間を駆け抜け、
遥か彼方へと通り過ぎていった・・・
(以下・参考サイト)
藤田 嗣治(ふじた つぐはる、1886年11月27日 - 1968年1月29日)は日本生まれの画家・彫刻家。戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛 ...
https://ja.wikipedia.org/wiki/藤田嗣治
アリス・プラン(Alice Prin、1901年10月2日 - 1953年4月29日)は、「モンパルナスの キキ」として伝説となったフランス人女性。カフェ(ナイトクラブ)の歌手・女優・モデル・ 画家。 生涯[編集]. フランスはブルゴーニュ地方コート=ドール県・シャティヨン=シュル= セーヌ ...
https://ja.wikipedia.org/wiki/アリス・プラン
パリ市立近代美術館(-しりつきんだいびじゅつかん、仏 : Musée d'art moderne de la Ville de Paris)は、パリ16区、パレ・ド・トーキョー東翼内にある美術館である・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/パリ市立近代美術館
キスリングは、20代後半には画家として成功し、パリ派の陽気で面倒見の良いリーダーだった。「モンパルナスの帝王」とも呼ばれた。自殺したパスキン、アルコール中毒のモディリアーニ、ユトリロなど破滅型のイメージの強いエコール・ド・パリの画家たちの中では珍しく幸福な生涯を送った画家である・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/モイズ・キスリング
モイズ・キスリング(Moise Kisling) 画像
http://www.kira-ku.com/category/47770/photo/7
モンパルナス(Montparnasse)は、パリのセーヌ川左岸14区にある地区。モンパルナス大通りとラスパイユ大通りの交差点を中心とした一帯である・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/モンパルナス
1917年から1924年まで、藤田嗣治が画家としての名声を確立した時期に住んでいたのが、ドランブル通り (Rue Delambre) 5番地のアパートである。2度目の妻であるフェルナンド・バレーと共に過ごした場所でもあった・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/14区_(パリ)
1920年代をレ・ザネ・フォル(Les Années Folles 狂乱の時代)と呼ぶ・・・
http://jp.mon-paris.info/contents/branche/oyv0802.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/ベル・エポック
http://ja.wikipedia.org/wiki/エコール・ド・パリ
エコール・ド・パリ(フランス語: École de Paris)は、「パリ派」の意味で、20世紀前半、各地からパリのモンマルトルやモンパルナスに集まり、ボヘミアン的な生活をしていた画家たちを指す。厳密な定義ではないが、1920年代を中心にパリで活動し、出身国も画風もさまざまな画家たちの総称・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/フォーヴィスム
フォーヴィスム(Fauvisme、野獣派)は、20世紀初頭の絵画運動の名称。
1905年にパリで開催された展覧会サロン・ドートンヌに出品された一群の作品の、原色を多用した強烈な色彩と、激しいタッチを見た批評家ルイ・ボークセル(Louis Vauxcelles)が「あたかも野獣の檻(フォーヴ、fauverie)の中にいるようだ」と評したことから命名された・・・
ル・ドーム・モンパルナス(Le Dome Montparnasse)|パリ観光ガイド*Nana・ナナ
http://www.hitoriparis.com/cafe/ledome.html
ル・ドーム・モンパルナス | Le Dôme Montparnasse|フレンチ・コード french-code
http://www.french-code.com/table_dome
ラ・クーポール | La Coupole|フレンチ・コード french-code
http://www.french-code.com/table_lacoupole
ラ・ロトンド モンパルナス(La Rotonde Montparnasse)|パリ観光ガイド*Nana・ナナ
http://www.hitoriparis.com/cafe/larotonde.html
La Rotonde Montparnasse|オフィシャルサイト
http://www.rotondemontparnasse.com/
ボビノ:Bobino 劇場|パリ旅行記(2) モンパルナス
http://hana-petit-bonheur.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-ce9c.html
モンパルナスを散歩|Montparnasse
http://blog.livedoor.jp/chacky_fr/archives/775602.html
「モンパルナスのキキ」キキ(訳:河盛好蔵)/美術公論社/1984年
http://blog.livedoor.jp/kiyosawaganka/archives/51598872.html
雑話66「モンパルナスの狂乱の時代」の画像
http://ameblo.jp/guy503/image-10823410939-11102378158.html
Kiki de Montparnasse
http://fr.wikipedia.org/wiki/Kiki_de_Montparnasse
http://en.wikipedia.org/wiki/Alice_Prin
http://ksh.wikipedia.org/wiki/Alice_Ernestine_Prin
藤田嗣治「寝室の裸婦キキ」|足立区綾瀬美術館 annex
http://suesue201.blog64.fc2.com/blog-entry-104.html
モンパルナスの女王「キキ」Alice Prin ,1901年 10月2日~1953年 3月23日
http://www.madamepeko.com/1920/newkiki.html
モンパルナスの女王|西洋挿絵見聞録|34.(写真-3,2月21日掲載)
http://bibliotheca-g.jugem.jp/?cid=7
藤田嗣治|エッセイの卵
http://www2.plala.or.jp/Donna/foujita.htm
パリ市立近代美術館 |Musée d'art moderne de la Ville de Paris
http://www.mam.paris.fr/
http://ja.wikipedia.org/wiki/パリ市立近代美術館
ヨル journal! |パリ市立近代美術館
http://visuelfr.exblog.jp/7472531/
まさよの裏おフランス日記 美術館・博物館編 : パリ市立近代美術館
http://sawaya2.exblog.jp/2149996
藤田嗣治の住居兼アトリエ|Maison des Musées de France
http://www.museesdefrance.org/museum/serialize/backnumber/0604/museum.html
チャペル・フジタ|Chapelle Foujita
http://maps.google.com/maps?client=safari&rls=en&oe=UTF-8&um=1&ie=UTF-8&q=チャペル・フジタ|Chapelle+Foujita&fb=1&hq=チャペル・フジタ|Chapelle+Foujita&cid=0,0,13778690203969364529&ei=7CZUT9LqF4TLmAW4r42NCg&sa=X&oi=local_result&ct=image&ved=0CBIQ_BI
感動大国、フランス ランス|フランス政府観光局公式サイト
http://jp.franceguide.com/感動大国-フランス-ランス.html?NodeID=1&EditoID=236433
G.H.Mumm(マム)|オフィシャルサイト
http://www.ghmumm.com/
メゾン・アトリエ・フジタへ|NOUVELLE=NOUVELLE DE PARIS
http://nouvelle67.exblog.jp/9974892/
パリで過ごした25日|メゾン・アトリエ藤田:Maison-Atelier Foujita
http://www.naokoparis.com/report/315.html
レオナール・フジタ ラ・メゾン=アトリエ・フジタ|Lamp屋の番人
http://oldlamp.exblog.jp/10051338/
黄金色のシャンパーニュを求めて ~ランスの町を楽しむ編~
http://4travel.jp/overseas/area/europe/france-champagne_ardenne/reims/travelogue/10343879/
シャンパーニュ訪問記「懐が深いぞ! MUMM チャペルFUJITA編」
http://www.shwalista.jp/monthly/travel/080516/
シャンパーニュ20|マム(Mumm)とフジタチャペル |ファーストクラスで世界100ヶ国
http://blogs.yahoo.co.jp/hiroem6/23117969.html
雑誌「サライ」:藤田嗣治レオナール・フジタの素顔 | 弐代目・青い日記帳
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1264
ショッピングソムリエ・高山正勝のお買い物ブログ|GH Mumm コルドン・ルージュ
http://lounge.plaza.rakuten.co.jp/gourmet061/diary/201108010000/
http://ja.wikipedia.org/wiki/和光堂
http://ja.wikipedia.org/wiki/シッカロール
J.ポール・ゲッティ美術館|マン・レイが撮った藤田嗣治| マリブ カリフォルニア
http://www.getty.edu/art/gettyguide/artObjectDetails?artobj=53254
マン・レイ(Man Ray, 本名:エマニュエル・ラドニツキー Emmanuel Rudzitsky, Эммануэль Рудзицкий, 1890年8月27日 - 1976年11月18日)は、アメリカ合衆国の画家、彫刻家、写真家・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/マン・レイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/アメデオ・モディリアーニ
アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(Amedeo Clemente Modigliani、1884年7月12日 - 1920年1月24日)は、イタリアの画家、彫刻家。主にパリで制作活動を行った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/シャイム・スーティン
シャイム・スーティン(Chaïm Soutine。Chaim Soutine、Haim Sutin(ハイム・スーチン)、Chaim Sutin(カイム・スーティン)などのつづりも。1893年1月13日 - 1943年8月9日)は20世紀の画家である。ロシア語での表記はハイム・ソロモノヴィチ・スーティン(Хаим Соломонович Сутин)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジュール・パスキン
ジュール・パスキン(Jules Pascin、本名 ユリウス・モルデカイ・ピンカス(Julius Mordecai Pincas)、1885年3月31日 - 1930年6月5日)はブルガリア人の画家。エコール・ド・パリ全盛の1920年代、モンパルナスで華やかな浪費生活をし「モンパルナスの王子」の異名を得た。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴォーグ_(雑誌)
http://ja.wikipedia.org/wiki/第一次世界大戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/第二次世界大戦
マン・レイ 『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど”
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