スナップの達人 [木村伊兵衛のパリ]
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「木村伊兵衛のパリ」Kimura Ihei in Paris: Photographs, 1954-55・・・
家路を急ぐ人々の向こうに、今から3,000年前の紀元前13世紀頃に造られ、1833年にエジプトから運ばれてコンコルド広場に建てられたルクソール神殿のオベリスクと、その向こうにかすんで見える、1889年にパリでおこなわれた第4回万国博覧会とフランス革命100周年記念のために建造されたエッフェル塔の遥かな時空を背景に、今を生きるパリの人々を「夕景のコンコルド広場」として、木村伊兵衛はフイルムに映し出した・・・
↓ 写真と同じ場所をGoogleマップで見る (今も全く変わらぬ当時の風景) 「夕景のコンコルド広場」Place de la Concorde|リヴォリ通り:Rue de Rivoli|Googleマップ ↑「木村伊兵衛のパリ」Kimura Ihei in Paris: Photographs, 「夕景のコンコルド広場」 |
木村伊兵衛:1901年(明治42年)〜1974年(昭和49年)は、日本の戦前から戦後にかけて近代写真に大きな足跡を残した写真家であり、ライカの小型カメラを片手に、一瞬の表情を逃さず、サッと居合抜きのように撮影し、スナップ写真の名人として、人は彼を「スナップの達人」と呼んだ・・・
1901年(明治42年)に東京は下谷(したや)に生まれ、本郷の京華商業学校を卒業後、台湾・台南市の砂糖問屋に入社し勤務のかたわら同地の写真館に出入りし営業写真の技術を習得。帰京し1924年東京・日暮里で写真館を開業する。1930年(昭和5)花王石鹸長瀬商会広告部に嘱託入社し、同年、登場したばかりのライカA型カメラを購入、35ミリ判小型カメラによる撮影に集中しはじめる。
敗戦後の1950年代以降は、都会の路上でのスナップ撮影を続け、江戸っ子らしくベランメェ口調で、居合い抜きのように一瞬のもとに撮り「街角で」と題するシリーズを71年〜74年まで「アサヒカメラ」誌に断続的に連載。日本を代表するスナップ写真の名手として舞台写真や女性写真などにも境地を拓き、長年にわたって「秋田」を撮っている。1950年日本写真家協会の初代会長となり、1974年(昭和49年)心筋梗塞のため72歳で没。翌年その業績を記念して、朝日新聞社が新人写真家を対象とする「木村伊兵衛写真賞」を創設、写真界の芥川賞と呼ばれている・・・
以下 ↓ 彼の作品・・・
「靖国神社」1945年(昭和20年 )
見事に時代を切り取った終戦の一枚。
この一瞬の一枚は、当時の国の価値観が見事ににじみ出ている。
靖国の鳥居、右手に英語でOFF LIMITSの看板・・・
戦争の終結に頭を垂れて、戦地の人を思っているのか?はては?哀しみか喜びか?明日は?・・・
ただ確かなのは、この三人の頭上を今まさに時代が通り過ぎている・・・
「浅草・神谷バー」1953年(昭和28年 )
戦後の昭和28年。文豪達が集まる明治13年創業のハイカラ・サロンの老舗、日本最初のバー「浅草・神谷バー」でデンキブランと名付けられた有名なカクテルを飲み干す男。
戦後の日本、やっと闇市から抜け出しはじめ高度成長期に入ろうとしながら、産業も進歩と後退を繰り返し、時には倒産の憂き目のなかを歩みはじめながら、今を生きる人々の一瞬の断片を切り取っている。それはまるで絵画の人物画以上に、その人間の深い内面を写し出している・・・
神谷バー|明治13年創業|浅草1丁目1番地|多くの文豪たちにも愛されてきた、日本初のバー。
http://www.kamiya-bar.com/
「本郷森川町」1953年(昭和28年 )
木村伊兵衛「本郷森川町」 KIRIN 美の巨人たち
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/051001/
その本質はライブ感、まるでその「場」にいるように感じさせる写真は、被写体の人物がどの辺に来て、背景、写角、構図などが瞬間に計算され、通り過ぎる時には、2〜3回シャッターを切り、通り過ぎた人物は自分が写された事に気づかず、写真を見ている人を街角や日常の時空間へトリップさせる・・・
カメラの時代も・・・
1942年(昭和17年)アメリカのコダック社が、その後日本では、小西六やオリエンタル写真工業などがカラーフィルムを発売し、写真もカラーの時代を迎えていた・・・
そしてパリへ・・・
53歳の木村伊兵衛は戦後間もない1954年(昭和29年)と1955年(昭和30年)の2回にわたって、ニコンS とライカ M3 を手に、開発間もない富士フイルムから託された、昼光で感度ASA10という驚くべき低感度の試作カラーフィルムでパリの街角を写し取った・・・
パリでの木村伊兵衛は、アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)を訪ね、ブレッソンが木村の撮影ガイドを頼んだロベール・ドアノー(Robert Doisneau)とも親密に交流し、近代写真の父ウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugène Atget)やブレッソンが撮りきれなかった画像からは、木村伊兵衛と云う日本人の感性がとらえたパリが見える・・・
その後ブレッソンは世界中を映し出し、ドアノーは1950年に有名な一枚「パリ市庁舎前のキス」を生み「写真は創るものではなく、探すものだ」と、パリの街を歩き回り、写真が持つ感性を映し求めた・・・
↓ 以下の写真は「木村伊兵衛のパリ」
絵画の人物画を遥かに超えたその人物の深い内面を、スナップと云う神業で切り取り、彼が生きた「昭和」という時代の中を歩きながら、一瞬の時代をも写し取り名画の様な画像を残し、72年の生涯を終えた・・・
逸話が残っている・・・
当時写真界を二分していた土門拳とについて、女優の高峰秀子は「いつも洒落ていて、お茶を飲み話しながらいつの間にか撮り終えている木村伊兵衛と、人を被写体としてしか扱わず、ある撮影の時に京橋から新橋まで3往復もさせ、とことん突き詰めて撮るのだが、それでも何故か憎めない土門拳」と評している(wiki)・・・
アンリ・カルティエ=ブレッソン
(Henri Cartier-Bresson) 1908年〜2004年
20世紀を代表する写真家であると多くの写真家・芸術家から評されている。彼は小型レンジファインダーカメラを駆使し、主にスナップ写真を撮った。芸術家や友人たちを撮ったポートレイトもある。
彼はライカに50mmの標準レンズ、時には望遠レンズを装着して使用した。1947年には写真家集団「マグナム・フォト」をキャパ、シーモア、ロジャー、ウィリアム・ヴァンダイヴァーらとともに結成。有名誌の依頼によって彼はヨーロッパおよびアメリカを横断し、1948年から1950年には、インドで暗殺前後のマハトマ・ガンディー、中国で国民党の最後と中華人民共和国誕生後、インドネシアの独立などを撮影した。1954年にはカメラマンとしては初めてソビエト連邦に入国許可された。彼の写真集の多くは1950年代から1960年代にかけて出版され、最も有名なものは1932年〜1952年に撮影された写真を集成し1952年に出版された「決定的瞬間:Image à la sauvette」で、表紙は画家アンリ・マティスによるコラージュが用いられた ・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/アンリ・カルティエ=ブレッソン
ロベール・ドアノー
(Robert Doisneau) 1912年〜1994年
フランスの写真家である。主として報道写真やファッション写真の分野で活躍した。
パリの恋人たちのキスの場面を捉えた作品「パリ市庁舎前のキス:Le Baiser de l'hôtel de ville:1950年」はドアノーの作品の中でも特に有名であるが、後にこの作品は「演出作品」であったということが判明した。なお、この作品は写真壁画となって、東京都写真美術館の1階外壁に掲げられている(3点のうちの1点。残りの2点は、ロバート・キャパと植田正治)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ロベール・ドアノー
「ジャン=ウジェーヌ・アジェ
(Jean-Eugène Atget) 1857年〜1927年
フランスの写真家。フランス南西部のボルドーの近くの町リブルヌに生まれ、パリにて死去。近代写真の父と呼ばれる 。彼の撮影した作品の多くは、死後発掘公表された。フランス第三共和政下のパリの様子をとどめた貴重な記録であり、都市風景を撮影する手本として評価された・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/ウジェーヌ・アジェ
アジェは41歳のときから30年間に約8,000枚の写真を残した。アジェは自分の気持ちのおもむくまま写真を撮ったのではない。パリ市歴史図書館などの購入者がおり,テーマを決めて計画的に撮影し、アジェ自身が作成したアルバムは次の7つがある。
パリの生活と仕事 146枚 1898年〜1900年
パリの乗り物 57枚1910年
パリの屋内:芸術的,絵画的そして中産階級の 54枚1910年
パリの仕事,店そしてショーウィンドウ 59枚1912年
古きパリの看板,そして古い店 58枚1913年
パリを囲む城壁跡 56枚1913年
パリの旧軍用地帯の住人の様子 62枚1913年〜1914年
ウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugène Atget) 画像|1〜10
http://www.kira-ku.com/category/49918/photo/1
http://www.atgetphotography.com/The-Photographers/Eugene-Atget.html
Eugène Atget - Atget Paris
http://www.kira-ku.com/animation/category/id/49918/video/-ascHv1zeVs
http://www.icp.org/museum/exhibitions/paris-photographs
PARIS. LE MOULIN ROUGE 86 BOULEVARD DE CLICHY
Le Moulin Rouge, 86 boulevard de Clichy, Paris (XVIIIème arr.). 1911. Photographie d'Eugène Atget. Bibliothèque historique de la Ville de Paris.
1900〜1920年代頃のMontmartre(モンマルトル)の風景写真・・・
http://www.parisenimages.fr/fr/galerie-des-collections-selection.html?lieu=
&personnalite=&oeuvre=&mots=montmartre&source=&noiretblanc=
&couleur=&oeuvre=&debut=&fin=&exact=&start=500&count=100
(以下・参考サイト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/木村伊兵衛
http://ja.wikipedia.org/wiki/木村伊兵衛写真賞
http://100.yahoo.co.jp/detail/木村伊兵衛/
[木村伊兵衛のパリ]
http://www.osiris.co.jp/kimuraparis.html
木村伊兵衛 天然色でパリを撮る|日曜美術館
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2012/0122/index.html
TV Tokyo|KIRIN~美の巨人たち~|木村伊兵衛 「板塀」
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/120929/index.html
木村伊兵衛―人間を写しとった写真家 (別冊太陽 日本のこころ)
http://www.amazon.co.jp/木村伊兵衛―人間を写しとった写真家-別冊太陽-日本のこころ-田沼武能/dp/4582921892
木村伊兵衛の眼(レンズ)―スナップショットはこう撮れ! (コロナ・ブックス) [単行本]
http://www.amazon.co.jp/木村伊兵衛の眼-レンズ-―スナップショットはこう撮れ-コロナ・ブックス-伊兵衛/dp/4582634281/ref=pd_sim_b_1
アンリ・カルティエ=ブレッソン (「知の再発見」双書) [単行本(ソフトカバー)]
http://www.amazon.co.jp/アンリ・カルティエ-ブレッソン-「知の再発見」双書-クレマン・シェルー/dp/4422212036/ref=pd_sim_fb_2
Robert Doisneau [ペーパーバック]
http://www.amazon.co.jp/Robert-Doisneau-Jean-Claude-Gautrand/dp/3822816124/ref=pd_sim_b_2
大阪ニコンサロン/ニコンサロン bis 大阪
http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2008/05_osaka-2.htm
木村伊兵衛の絵はがき
http://yodamina.blog69.fc2.com/blog-entry-482.html
木村伊兵衛の「そこにいる体験」
http://wcollection.blog.so-net.ne.jp/2009-11-01
http://pariskeiko.exblog.jp/14580208/
「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」展
http://piko1729.exblog.jp/12951913/
木村伊兵衛とドワノー|日本人写真家が見たrue vilin
http://blog.livedoor.jp/dessay/archives/cat_50029170.html
パリ20区は落書き芸術家のテリトリー・・・ベルヴィル・メニルモンタン
http://4travel.jp/traveler/scipion/album/10101740/
http://ja.wikipedia.org/wiki/メニルモンタン
http://myfilter.exblog.jp/tags/木村伊兵衛/
http://www.kanshin.com/keyword/230332
木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン(写美)
http://atelierrusses.jugem.jp/?eid=297
銀座メゾンエルメスでよみがえる「木村伊兵衛のパリ」
http://i-digitalphoto.exblog.jp/4251226/
人とカメラと写真の歴史
http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/tyyle-camera/history(1)/history-(1).htm
http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/tyyle-camera/history(2)/history-(2).htm
http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/tyyle-camera/history(3)/history-(3).htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/写真史
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本写真史
http://ja.wikipedia.org/wiki/写真
日本語EUC
http://www.geocities.jp/capa1413/photohist.html
カメラの歴史
http://www.jcii-cameramuseum.jp/kids/rekishi/
http://ja.wikipedia.org/wiki/写真家一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/土門拳
http://ja.wikipedia.org/wiki/マン・レイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/フェリックス・ナダール
http://ja.wikipedia.org/wiki/ロバート・キャパ
http://ja.wikipedia.org/wiki/植田正治
http://ja.wikipedia.org/wiki/コンコルド広場
コンコルド広場のオベリスク
http://highskyblue.web.fc2.com/paris_j.htm
ルクソール神殿(ルクソールしんでん)は、エジプト・ルクソール東岸にある古代エジプト時代の神殿。元々、カルナック神殿の中心を形成するアメン大神殿の付属神殿としてエジプト第18王朝ファラオ・アメンホテプ3世によって建立された。
アメン大神殿とはスフィンクスの参道で結ばれていた。神殿入口にはラムセス2世の坐像、その手前にはオベリスクが1本立っている。 オベリスクは本来左右2本あったが、右側の1本はパリに運ばれ、現在コンコルド広場にある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ルクソール神殿
オベリスク(obelisk)は、古代エジプト(特に新王国時代)期に製作され、神殿などに立てられた記念碑(モニュメント)の一種。近代および現代においては、エジプトに拠らず欧米の主要都市の中央広場などにも建設され、その地域を象徴する記念碑である。その意味でメンヒルに類似する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/オベリスク
http://ja.wikipedia.org/wiki/コンコルド広場
コンコルド広場 /Place de la Concorde|Googleマップ
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