晴耕雨画-10 [流木のオブジェ] -Vol.1
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波に洗われ、どこからか浜辺に打ち上げられ、流れ付いたその流木たちの不思議な形に魅せられ、気の向くままに拾い集めた。家に持ち帰り洗らって汚れを落とし、数日、乾かした後に立体の遊び、はては立体言語?的に、いろんな流木をくっ付けて構成して、カラースプレイで色を吹きつけると彫刻かオブジェの様な物が何点か完成した・・・
どうも晴耕雨画ではなく、以下、御覧の様に晴耕工芸か晴耕木工?みたいな日々となった・・・
でも、ま〜、平面も立体も表現手法は違えども同じ「美の言語」ではないかと思う・・・
Size:w=250,h=170,d=200mm
<流木と竹ひごと糸での構成、台の脚の部分は軽石>
飛行機が滑走路から飛び立つような・・・
Size:w=200,h=310,d=120mm
<頭の部分が流木で赤いTシャツの部分は針金を曲げたもの>
少年は希望を胸に未来へ・・・
Size:w=200,h=200,d=150mm
<流れ着いた軽石を竹ひごでくっ付けて構成>
過去から現在、未来へと家族のつながり・・・
私などのつたない流木のオブジェは所詮、ゴミがゴミを作り、ゴミに消えて行くとしても、
美の巨匠たちが創った彫刻などは・・・・・・
ルネサンスの巨人ミケランジェロの様に彫刻と絵画を両立した芸術家は意外にも結構いて、近代の巨匠たちもモチーフとして平面の絵画でありながら立体を創り上げ、試行錯誤をしながら名画を制作していた様だ・・・
たとえば、印象派前後にあたる「象徴主義」のギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)などもサロメやスフィンクス、オルフェウスなどの彫刻を制作し、結構多く良く出来ていて、モロー美術館(Musée Gustave Moreau)に、それらがケースに収められて展示されている。
印象派のエドガー・ドガ(Edgar Degas)も「まぶしがり症」といわれる網膜の病気を患って、外に出ることがままならず、晩年には視力が衰え、踊り子、馬などを題材とした彫刻作品を残し、死後アトリエから150体ほど発見され、その一部がオルセー美術館などに展示され、同じ様に同時代のオーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)も何点かの彫刻がオルセー美術館に展示されている。
そして、エコール・ド・パリのモディリアーニ(Amedeo Modigliani)の彫刻もニューヨーク近代美術館やワシントン・ナショナル・ギャラリーなどに幾点か残っている。近代ではジョアン・ミロ(Joan Miró i Ferrà)も1944年からは陶器や彫刻の制作を始め、その彫刻やモビールの一部がポンピドーセンターに展示されている・・・
それは画家が制作に当たって、頭の中で平面が持つ言語と立体が持つ言語を組み合わせながら自己のオリジナリティをひもとき「美」を生み出していたと考えられ、それらには、平面であれ立体であれ巨匠たちの訴えかける「美の言語」のオリジナリティが見事ににじみ出ている。しかも立体の方が驚く程顕著に現れている様だ・・・
ギュスターヴ・モロー
Gustave Moreau
(1826年〜1898年)
フランスの象徴主義の画家である。パリに生まれパリで亡くなった。聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られる。印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描いた画家であった。彼の作品は19世紀末のいわゆる「世紀末」の画家や文学者に多大な影響を与え、象徴主義の先駆者とされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ギュスターヴ・モロー
ギュスターヴ・モロー美術館
Musée national Gustave-Moreau
1852年、ギュスターヴ・モローはパリ9区ラ・ロッシュフーコー街にある邸宅に移り住み、そこを自宅兼アトリエとし、死後、邸宅はコレクションと共に国に遺贈され、1903年に美術館として開館・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/ギュスターヴ・モロー美術館
エドガー・ドガ
Edgar Degas
(1834年〜 1917年)
フランスの印象派の画家。殊にバレエの踊り子と浴女を題材にした作品が多く、彼女らの一瞬見せた何気ない動作を永遠化する素描力は秀逸である。写真技術にも強い関心を示し、マラルメとルノワールが並ぶ有名な肖像写真が残されている。パステル画の名画も多く残され、パステル画に関しては、父が負債を隠したまま亡くなったため、その負債を返済するために大量に絵を描く必要があったから、という理由もある。また、晩年に「まぶしがり症」といわれる網膜の病気を患っており、外に出ることがままならなかったことも関係しているとされる。視力の衰えもあり、踊り子、馬などを題材とした彫刻作品も残している。それらはドガの死後にアトリエから発見された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/エドガー・ドガ
ピエール=オーギュスト・ルノワール
Pierre-Auguste Renoir
(1841年〜1919年)
フランスの印象派の画家である。後期から作風に変化が現れ始めたので、まれにポスト印象派の画家とされることもある。風景画、花などの静物画もあるが、代表作の多くは人物画である。初期にはアングル、ドラクロワなどの影響を受け、モネらの印象主義のグループに加わるが、後年は古典絵画の研究を通じて画風に変化が見られ、晩年は豊満な裸婦像などの人物画に独自の境地を拓いた。日本など、フランス国外でも人気の高い画家である。1903年からは南仏のカーニュに移り住み、1907年レ・コレットと呼ばれる広大な地所を購入し、この地で死を迎えた。ルノワールの作品総目録(カタログ・レゾネ)は現在編集中だが、4,000点は下らないだろうと言われている。ルノワールは日本にも早くから紹介され、その親しみやすい画風のためか愛好者も多い。また、梅原龍三郎をはじめ多くの画家に直接・間接に影響を与えている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ピエール=オーギュスト・ルノワール
アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ
Amedeo Clemente Modigliani
(1884年〜1920年)
イタリアの画家、彫刻家。芸術家の集うモンパルナスで活躍し、エコール・ド・パリ(パリ派)の画家の一人に数えられる。1906年パリのモンマルトルにアトリエを借り活動を始め、アパート洗濯船の画家、パブロ・ピカソ、ギヨーム・アポリネール、アンドレ・ドラン、ディエゴ・リベラたちと知り合う。1909年モンパルナスに移り、アフリカやアジアなどの民族美術に影響を受けた彫刻作品を主に作っていた。画商ポール・ギヨームと知り合い、シャイム・スーティン、藤田嗣治、モーリス・ユトリロとも交友し、1916年には、ポーランド人の画商レオポルド・ズボロフスキーと専属契約を結び、ジャンヌ・エビュテルヌと知り合い同棲を始める。しかし、貧困と生来患っていた肺結核に苦しみ、大量の飲酒、薬物依存の末、1920年結核性髄膜炎により死亡した。35歳没・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/アメデオ・モディリアーニ
ジョアン・ミロ
Joan Miró i Ferrà [ʒuˈan miˈɾo i fəˈra]
(1893年〜 1983年)
ミロはスペイン、カタルーニャ地方の中心都市、バルセロナに生まれる。パリでシュルレアリスムの運動に参加したことから、シュルレアリストに分類されるのが通例だが、彼の描く人物、鳥などを激しくデフォルメした有機的な形態、原色を基調にした激しい色使い、あふれる生命感などは、古典的・写実的描法を用いることが多い他のシュルレアリストの作風とは全く異なり、20世紀美術に独自の地位を築いている。ミロは「画家」という肩書きにこだわって狭い世界に閉じこもることを嫌い、パリでは作家のヘミングウェイやヘンリー・ミラーなどとも交流があった。1970年には日本万国博覧会(大阪万博)のガス館に陶板壁画『無垢の笑い』を制作するため来日した。1983年、アトリエのあるパルマで死去した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョアン・ミロ
(以下・参考サイト)
オブジェ (仏:Objet)は、事物、物体、対象などの意味を持つ、英語ではobjectにあたる言葉。主に美術用語として用いられ、その場合には自然物、工業製品、廃品、日用品など、またはそれを使用して作られた作品をさす。ダダイスムとシュルレアリスムでの使用が顕著。
思想としてのオブジェは、仏文学者の澁澤龍彦(しぶさわ たつひこ)が好んで用いた概念。人間を物自体としてとらえるその考え方は、マゾヒズムの基盤ともなる思想であり、その中ではあらゆる存在が唯物論的観点の元で対等になる。さらにそこへ美という観念を加え、その対象をオブジェと称した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/オブジェ
objet[仏語] 物体・対象の意
前衛芸術?で、作品中に用いられる石・木片・金属などさまざまな物。また、その作品。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AA%A5%D6%A5%B8%A5%A7
彫刻(ちょうこく)とは、木、石、土、金属などを彫り刻んで、物の像を立体的に表すこと。または、それらの表面に書画や図版などを掘り込むこと。あるいは美術的な鑑賞を目的として、様々な素材を用いて立体的に制作された芸術作品のこと・・・
彫刻の対象(モチーフ)は元来、人間や身近な動物など具体物であった(具象彫刻)が、20世紀になると、心象を表したもの(抽象彫刻)も多く制作されるようになった。
現在では、表現が多様化し、従来の彫刻の概念では収まらないケースもあり、それらを「立体」、「立体アート」と呼ぶこともあるほか、表現が設置空間全体へ拡散したものは、特に「空間表現」や「インスタレーション」と呼び分けられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/彫刻
ギュスターヴ・モロー美術館
(Maison des Musées de France)
54歳でのサロン出典を最後にひとり創作の世界にこもっていたモローは、66歳にして友人の後任として国立美術学校のアトリエ主任教授の任につきます。そこから巣立ったのはのちのフォービズムの巨匠となるマティスをはじめ、ルオー、マルケといった20世紀に名を残す画家たち。しかしそこに彼の芸術的系譜は見あたりません。「私は橋です。君らの何人かがそれを通っていくでしょう」あまりに独創的な世界を築きながら、絵画の多様性こそが芸術であることを説いたモロー。日曜日ごとに現在のモロー美術館である邸宅に数人の教え子や、若手芸術家を招き、芸術家としていかに生きるべきかを生身で示しました。その彼を愛弟子の誰もが慕い、ルオーはその学舎ともいえる、モロー美術館の初代館長を務めています。
http://www.museesdefrance.org/museum/serialize/
backnumber/0509/museum_0509.html
ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau
1826-1898 | フランス | 象徴主義
http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/moreau.html
50歳のフランス滞在記|ギュスターヴ・モロー美術館
http://blog.goo.ne.jp/take_uu2004/e/aa7f53efd540e466c902566f0081ee25
≪ 彫刻を中心に、オルセー、ルーブル。 G.モロー美術館も ≫
http://www.abaxjp.com/gw04-pari-art/gw04-pari-art.html
【ドガ展】
三重県・サンパウロ州姉妹提携
<15周年記念>
今回の展覧会は、ブラジルの、サンパウロ美術館などが所蔵するドガの全彫刻74点を含めて、世界各地の美術館が所蔵する、油彩、パステル、素描など計160点によって、ドガの才気あふれる多彩な活動を紹介した 。
三重県立美術館
(Mie Prefectural Art Museum)
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/
art-museum/nenpo/np88/
np88ex09degas.htm
エドガー・ドガ Edgar Degas
1834-1917 | フランス | 印象派
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/degas.html
「踊り子の画家」ドガの注いだ視線
当時発売されたばかりのカメラをいち早く入手したドガは、撮影した写真をもとに絵画作品を制作しました。会場には、≪浴後(身体を拭く裸婦)≫(油彩)と、よく似た姿勢で写された裸婦の写真が展示されています。彼の没後、彫刻作品をほとんど発表しなかったドガのアトリエから、150体もの蝋彫刻が発見されたことも、同じ意味を持ちます。彼にとって、全てが絵画制作のための資料だったのです。事実、ドガは知人に対し、「これらは絵画制作のための習作であり、資料以外のなにものでもない」と話したといいます。そのほか同じ構図で何枚も描かれた作品や、大量のデッサンからは、作家が繰り返した試行錯誤の過程に迫ることができます。
http://www.museum.or.jp/modules/topics/index.php?action=view&id=19
横浜美術館で「ドガ展」を観た!
http://ameblo.jp/tonton3/day-20101019.html
http://ameblo.jp/tonton3/image-10667993160-10808813085.html
http://privateroomdesu.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-d8ac.html
オルセー美術館には上階の印象派の展示室に、ゴッホ、ゴーギャン、モネ、シスレー、マティス、ルソー、セザンヌ、etc.に混じって、ある部屋があって、そこは真ん中がガラス張りのショーケースと言っても普通のイメージの物ではなくまるで温室のようなスペースがあって、そこの、この“馬狂い”のエドガー.ドガの木彫りの彫刻やら多数展示してあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/yotaka1030/52802625.html
ピエール=オーギュスト・ルノワール
Pierre-Augustê Renoir
1841-1919 | フランス | 印象派
http://www.salvastyle.com/
menu_impressionism/renoir.html
静岡駅南口駅前広場のルノワール彫刻
フランス印象派の画家であるピエール・オーギュスト・ルノワール(1841年~1919年)の晩年の作品である「勝利のヴィーナス」と「洗濯する女」が、静岡駅南口駅前広場に設置されています。
この彫刻は、静岡の南の玄関口に相応しく、また、明るく親しみやすい駅前広場のシンボルとして設置されたものです。
http://www.city.shizuoka.jp/deps/sigaiti/minami-runo.html
JR静岡駅 南口 駅前広場に画家「ルノワール」の制作したブロンズ像があることを。
http://navichiyo1.eshizuoka.jp/e881794.html
アメデオ・モディリアーニ Amadeo Modigliani
1884-1920 | イタリア | エコール・ド・パリ
http://www.salvastyle.com/menu_20th/modigliani.html
国立新美術館、モディリアーニ展
http://kumasan114.blog61.fc2.com/blog-entry-338.html
モディリアーニの傑作彫刻がアート市場を沸かせる
http://blog.goo.ne.jp/n-banno/e/733c08da0b3de2792d347d3fb340a2df
エコール・ド・パリの画家、モディリアーニ
顔や首の長く、目がうつろな肖像画を多く描いた画家にとってはめずらしい、彫刻作品です。
http://allerretour.blog56.fc2.com/blog-entry-109.html
ポンピドー美術館に展示されていた、モディリアーニの彫刻。
http://blossom-soon.seesaa.net/article/41580689.html
【6月15日 AFP】イタリア出身の芸術家アメデオ・モディリアニ(Amedeo Modigliani、1884~1920)の彫刻が14日、パリ(Paris)で行われたクリスティーズ(Christie's)のオークションに出品され、モディリアニの作品としては絵画も含めて最高値の4318万ユーロ(約48億円、手数料込み)で落札された。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2736125/5879512
モディリアーニ~最高額の彫刻
http://ameblo.jp/fuwafuwakingdom/entry-10565312165.html
ジョアン・ミロ Joan Miró i Ferrà
「鳥と女」バルセロナ・ミロ公園 [屋外彫刻]
バルセロナのあるカタルーニャは多くの独創的な芸術家を生み出しました。ジョアン・ミロもその一人です。
ミロ美術館のあるモンジュイックの丘とサンツ駅の間にあるミロ公園にはミロによる巨大な彫刻作品「鳥女」がありました。
http://mckeee.blog.so-net.ne.jp/2012-01-14-1
『箱根彫刻の森美術館』本編
http://gakuseezoo.at.webry.info/200708/article_2.html
ジョアン・ミロ(スペイン)「人物」
http://sculptures.design-mania.jp/modules/webphoto/index.php/photo/800/
http://blogs.yahoo.co.jp/dnnyh656/55611256.html
「人間」ブロンズ 1970年 ジョアン・ミロ
パリのマイヨール美術館では、ジョアン・ミロの展覧会「彫刻家ミロ」(7月31日まで)が開催されています。ミロと因縁の深いマーグ財団美術館が、南仏ニース近郊のサン=ポール・ド・ヴァンスの同館に所蔵する約100点の彫刻作品と、陶芸作品、絵画作品を紹介するパリでは40年ぶりの本格的なミロの展覧会です。
http://gworks21.livedoor.biz/archives/1315400.html
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