食は日本にあり-8 [はりはり鍋]
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みんで「鍋」を囲み、わいわい、がやがやとしゃべりながら食する・・・
その料理となる「○○鍋」のオススメのレシピは200を遥かに超え、しかもご当地全国辻浦々の地域に深く根付き、シメには、おもちやうどん、そばなどや、ご飯を入れたおじやで終わる・・・
鍋の種類も非常に多く、世界的にも、パエリア鍋/中華鍋/タジン鍋/フォンデュ/タイ鍋/ジェズベ・・・
日本においては料理によってその形をかえ、すき鍋/天ぷら鍋/しゃぶしゃぶ鍋/おでん鍋/湯豆腐鍋・・・
或は素材を変えて、土鍋/鉄/銅/アルミ/石/琺瑯(ほうろう)/耐熱ガラスなど・・・
で、食い道楽を自称する大阪の「はりはり鍋」は、特に今や食材のクジラは捕鯨規制で絶滅食材料理?となっているが、その料理は至ってシンプル、アルミの鍋に昆布とカツオに薄口醤油で味付けした出汁に旬の水菜、鯨の肉、それ以外は何も入れない・・・(2014年1月5日撮影)
水菜の少し苦味のあるシャキシャキ感とクジラの少し癖のある臭いに好き嫌いは多少あるにせよ、冬の関西、特に大阪には欠かせない「冬のお鍋」の風物詩と云える・・・
お鍋が出来る間に、まずは鯨のお造りを生姜醤油でパクリと頂き、お酒は香りのある新潟魚沼の白瀧酒造「上善如水」で喉を潤す・・・
しかし、この「はりはり鍋」鯨肉(高タンパク)と水菜(風邪の予防のビタミンC)で冬を乗り切る、
よくま〜考えたもんだと、名もなき人の「食の感性」に感心する・・・
大阪はくいだおれで食い意地がはってるとか、食いしん坊とかの評価以上に、ほんと、エライ!! ・・・
昨今、鯨などは滅多に口にする事は無いが、昔は小学校の給食に「鯨の竜田揚げ」がよく出てきて、何故か?コッペパンとミルクで食べた様な記憶も、若い人に語れば老人性痴呆症と思われるほど時が過ぎている。
その捕鯨問題、非常にヒステリックな反捕鯨運動のシーシェパードやグリーンピースなどに云われなくとも、品格のある日本人であれば?、当然、地球環境や動植物や自然保護の観点からも、調査捕鯨は無くなり、これほどの食文化を無くすのは惜しいけど、はりはり鍋は「絶滅危惧・鍋?」になるだろう・・・
しかし、捕鯨問題やそれ以外の国際的な問題においても、一時期はグローバルスタンダードと云ってみたり、元々「答え」など無いにもかかわらず一つの答えを求め過ぎ、国家主義的な臭いが強くなっている今日のように、目まぐるしく変わる価値基準において、政治的にも赤か黄かのタイや、近国のバングラデシュ、EU加盟問題のウクライナに、石油利権の南イエメン、アラブの春どころか春の嵐で、未来の答えを出せないまま一触即発の危険性をはらみはじめている。
元々、日本民族が世界を席巻、或は覇権出来る資質など到底無い以上、今呑んでいるこの酒の銘柄の様に、この国は無論、出来れば他の国々も老子の黒田官兵衛(如水)が愛した「上善如水」の様な考え方で物事を高みから見て解決し、生きていけないものかと?、とっとっ〜・・・と、
(アカン・アカン......何やら、呑んでる酒に呑まれているような答えが返ってきた・・・)
老子、曰く・・・ 上善如水。水善利万物、而不争。 上善は水の如し、水は善く万物を利して、而(しか)も争わず。 処衆人之所悪。故幾於道。 衆人の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に幾(ちか)し。 居善地、心善淵、与善仁、 居には地を善(よ)しとし、心には淵(えん)なるを善しとし、与(まじわり)には仁を善しとし、 言善信、正善治、事善能、動善時。 言には信を善しとし、正(政)には治を善しとし、事には能を善しとし、動には時を善しとす。 夫唯不争、故無尤。 夫(そ)れ唯(ただ)争わず、故に尤(とが)め無し。 水は、 柔軟な性質をもち・・・ 四角な器に入れれば、四角な形になり、丸い器に入れれば、丸くなり、 器に逆らうことなく形を変える柔軟さであり・・・ 何時も謙虚な姿で・・・ 低いところに身をおくのは誰でも嫌なものだが、水は人の嫌がる低いところに流れていく。 それは謙虚な姿であり、自分の能力や地位を誇示しようとしない・・・ そして、内には大いなるエネルギーを秘め・・・ 緩やかな流れは、人の心を癒す力を持ち、速い流れは、硬い岩をも砕く力強い力も持っている・・・ 人もこのような特徴を身につけることができれば、理想の生き方に近づけるだろう・・・ |
(以下・参考サイト)
はりはり鍋(はりはりなべ)は、鯨肉と水菜を用いた鍋料理の一種。大阪府を中心とした関西地方の料理である。「はりはり」は、水菜の繊維質によるシャキシャキとした食感から来た表現。「ハリハリ鍋」と表記する場合もある・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/はりはり鍋
鯨肉|低カロリー・低脂肪・高タンパク・栄養豊富
クジラ肉は高タンパクでありながら低カロリー、低脂肪、低コレステロールのうえ、海洋生物由来のDHAやEPAなどの機能性成分を多数含んでいます。特にいま注目されているのが、「バレニン」というアミノ酸です。
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1101/mf_news_01.html
ミズナ(水菜)・ミブナ(壬生菜):栄養成分と効用
ビタミンCが多く含まれています、風邪の予防や疲労の回復、肌荒れなどに効果があります ・・・
http://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/kyouna3.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/鍋料理
http://ja.wikipedia.org/wiki/鍋
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の郷土料理一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/農山漁村の郷土料理百選
上善如水|上善は水の如し「老子」
「上善」とは、最も理想的な生き方です。そういう生き方をしたいと願うならば、水のあり方に学べというものです。
http://www.gld.mmtr.or.jp/~sumiyosi/tetugaku(jinsei)25.htm
上善如水(じょうぜんみずのごとし)
http://www.avis.ne.jp/~zuzu/culture/wordsworth/8jozenmizunogotoshi.html
上善とは理想的な生き方のことです。
そういう生き方をするには水に学びなさいと言う事のようです。
では、水のどんな点を参考にするのでしょうか?
まず水は、あるとき非常に柔軟です。
いかなる形の器(うつわ)にも逆らわず、器の方にあわせて己の姿を変えます。
つぎに水は非常に謙虚だと言えます。
自分を主張することなく、自然に低いところ低いところを選んで流れていくのです。
さらに言うと、水は静かに流れているように見えるけれど、非常に大きなエネルギーを秘めているのです。
この3つを身につけることが出来たなら人間の理想に近づくことが出来るということです。
「柔軟性」「謙虚さ」「秘めたるエネルギー」です。
それから黒田如水(官兵衛)が残したと言われている、「水五訓」というものがあります。
「水五訓」
一つ、自ら活動して他を動かしむるは水なり。
一つ、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり。
一つ、常に己の進路を求めて止まざるは水なり。
一つ、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり。
一つ、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり
雨となり雪と変じ霰と化し凝っては玲瓏たる鏡となり
たえるも其性を失わざるは水なり
戦国時代の軍師として。信長・秀吉に仕えて活躍した黒田如水ならではの考え方なのでしょう・・・
http://plaza.rakuten.co.jp/isparenopainsto/diary/201202260000/
老子、いわく。
「上善は水のごとし。水はよく万物を利して争わず、衆人のにくむところにおる。故に道に近し。(略)それただ争わず、故にとが無し。」
水のように低い位置にいるのが善いのだという思想。
「上善如水」は、いまでは日本酒の銘柄にも使われているが、老子の原文はふつう「上善若水」として知られている。(「上善如水」という写本もある)「若」も「如」も同義の漢字なのだが、案外、「上善若水」のほうが有名だから、黒田如水と老子が結びつかなかったのではないか・・・
http://blog.goo.ne.jp/kagamigawa/e/6ad13b61859b200f1583969fdee90c42
【はりはり鍋】
くじら肉と水菜を用いた鍋料理。大阪など主に関西で作られたが、近年くじら肉は手に入りにくいため、豚肉や牛肉を代用したものをいうこともある。◇水菜のはりはりとした食感からこの名があるとされる。
http://kotobank.jp/word/はりはり鍋
ハリハリ鍋のおいしい食べ方
http://www.navitown.com/kuzira/harihari.html
食わずに死ねるか その11 激闘鯨合戦
http://www.bere.sakura.ne.jp/atamakuwazu11.htm
どおぞの~鯨料理(くじら)
はりはり鍋 大阪北新地の日本料理店
http://www.doozono.com/
鯨料理ハリハリ鍋の徳家
http://www.tokuya.jp/next.html
http://tabelog.com/osaka/A2702/A270202/27000382/
くえ鍋料理・鯨料理 初代 梅田店
http://r.gnavi.co.jp/k112500/
はりはり定食
http://www.omisejiman.net/kujirayouko/
service4869.html
太地ならではの本場くじら料理 はここ
花いろどりの宿 花遊 かゆう
鯨食文化は、大切な日本の食文化古式捕鯨の発祥の地、太地鯨料理を大切に守り、今なお沿岸小型捕鯨( IWC の管轄化にない小型捕鯨)を行っています。
http://www.hana-kayuu.com/
plan/category/whale.html
鯨・土佐料理 酔鯨亭 鯨料理
全国的にも貴重な鯨料理がナント20種類以上!!
モチモチとうまいサエズリ(舌)や鯨ステーキ、 鯨タタキなど、
「土佐に来たらコレコレ!!」の逸品ぞろいです。
鯨の珍味と刺身を、一皿に少しずつ盛っています。
鯨の一番尾っぽ部分の極僅かしか獲れない尾の身です。サシもしっかり入っています。
http://www.suigeitei.co.jp/kujiraryouri.html
千葉南房総の鯨料理【ぴーまん】
http://blog.tabearuki.net/200801/article_10.html
鯨処ぴーまん③ ~素晴らしき南房総~
http://tsukiyonobanni.at.webry.info/
200807/article_4.html
上善如水 - 白瀧酒造
「上善如水」とは、二五○○年以上前の中国の思想家・老子の言葉で、「もっとも理想的な生き方(上善)は、水のようである」という思想です。
私たち白瀧酒造は、この老子の思想に重ね合わせ、「最良のお酒は限りなく水に近づく」と考えます。
そこで、雪解け水のように清らかで、どんな料理にも合い、 日本酒を飲み慣れた人はもちろん、 初めて日本酒を飲む人にも親しんでもらえるような、柔軟性のあるお酒を作りました。
「上善如水」。澄みきった水の如き日本酒です。
http://www.jozen.co.jp/top/catalog_01.htm
クジラ(鯨、Whale)は哺乳類のクジラ目、あるいは鯨偶蹄目の鯨凹歯類に属する水生動物の総称であり、その形態からハクジラとヒゲクジラに大別される。
財団法人日本鯨類研究所の計算によると、世界中の鯨が食する餌の消費量は魚、イカなどの軟体動物、オキアミなどの甲殻類を合わせると、2.8 - 5億トンとされている。これは、世界中の人間の魚の消費量9千万トンの3倍-6倍と計算される。保護されたために増えすぎた鯨によって海洋のバイオマス(生物資源)は減少しており、捕鯨は海洋生物資源の保全に繋がるという意見もある・・・捕鯨がどの程度、特にクジラを除く生物資源の管理に役立つのか明確でない点が多く、それを示す研究結果も少ない・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/クジラ
基本的には、今後捕鯨を行うことに賛成か、反対かの対立構造があり、2010年5月時点で国際捕鯨委員会(加盟国88カ国)の内、捕鯨支持国は39カ国、反捕鯨国は49カ国ある[1]。
伝統的文化を持ち食糧として捕鯨をしている国々には、ロシア、日本、ノルウェー、アイスランド、フェロー諸島(デンマーク自治領)、カナダなどが挙げられる。アメリカ合衆国は、国内少数民族の先住民生存捕鯨は是認しているが商業捕鯨には反対しており、そのように国内に捕鯨推進派・捕鯨反対派の両者を抱える国も珍しくない。一方で捕鯨国のカナダは、国際捕鯨委員会を脱退している。
捕鯨反対国には、商業鯨油目的の捕鯨を行っていた元捕鯨国のオーストラリア・フランス・スペインなどのEU加盟諸国、ラテンアメリカ諸国(反捕鯨の立場を鮮明にしているアルゼンチンやブラジルなどが主導するかたちで、他のラテンアメリカ諸国も反捕鯨の立場で足並みをそろえている)、ほかニュージーランド、インド等が中心となっており、これに与するNGOも多い。各国で反対理由は異なる・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/捕鯨問題
http://ja.wikipedia.org/wiki/グリーンピース_(NGO)
http://ja.wikipedia.org/wiki/シーシェパード
南極海での調査捕鯨
南極海での商業捕鯨停止の翌年の1987年度から第一期南極海鯨類捕獲調査(JARPA I)を開始した。初年度にはクロミンククジラの捕獲枠を300頭に設定し273頭を捕獲した。翌1988年度から1994年度まではクロミンククジラの捕獲枠を毎年330頭に拡大、1995年から2004年までは捕獲枠を毎年440頭に拡大し、毎年ほぼ枠内いっぱいまで捕獲した。2005年度からは第二期南極海鯨類捕獲調査(JARPA II)を開始し、935頭のクロミンククジラの捕獲枠に加えて10頭のナガスクジラの捕獲枠を設定し、2007年度からはナガスクジラの捕獲枠を毎年50頭に拡大した上で毎年50頭のザトウクジラの捕獲枠も設定した。ただしザトウクジラはクジラ愛好家(反捕鯨主義者)のシンボル的存在で、他の鯨種に比べて特に強い反捕鯨世論があるため、捕獲を「延期」し続けている。JARPA IIにおける捕獲実績は最高で2005年度の計863頭(ミンク853、ナガス10)で、最低で2012年度の計103頭(ミンク103)である。南極海の調査捕鯨に対しては以前からグリーンピースやシーシェパードの執拗な捕鯨妨害活動があったが、シーシェパードが2007年度からアニマルプラネットの『Whale wars(鯨戦争)』の取材陣を同乗させてから妨害活動が苛烈を極め、民主党政権が編成した初めての予算年度となる2010年度からは、捕鯨船団が5~6隻から4隻に、調査実施期間(行き帰り除く)が約100日から約60日に減らされたため、捕獲実績が大幅に低下している(2010年度は172頭、2011年度は267頭、2012年度は103頭)・・・
小型捕鯨業
2011年度における農林水産大臣より許可された小型捕鯨業で捕獲された鯨の鯨体処理場の設置場所は、網走、函館、鮎川、和田、太地の5箇所のみで、その年間捕獲枠も ツチクジラ66頭、タッパナガ36頭、マゴンドウ36頭、オキゴンドウ20頭と極めて厳しく制限されている[8][12]。1920年代から商業捕鯨モラトリアムまでの間はミンククジラを重要な捕獲対象としており、そのため小型捕鯨業用の捕鯨船は通称「ミンク船」と呼ばれていたが、ミンククジラがIWCの管轄下に置かれてしまった為、現在は小型捕鯨業における捕獲対象になっていない・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の捕鯨
日本捕鯨協会
http://www.whaling.jp/
財団法人|日本鯨類研究所
http://www.icrwhale.org/
一般財団法人日本鯨類研究所(にほんげいるいけんきゅうしょ、略称:日鯨研)は、水産資源の適切な管理・利用を目的にクジラなどの国際調査を行う法人。1941年に民間研究機関、中部科学研究所として設立され、1987年に財団法人日本鯨類研究所となった。2013年には、一般財団法人日本鯨類研究所に移行した。旧所管官庁は、水産庁。南極海や北西太平洋で調査捕鯨を実施している。2010年9月末時点の職員数は34人。本部は東京都中央区・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本鯨類研究所
鯨肉(げいにく/くじらにく) とは、食品として扱われる鯨類や、その小型種の一部の総称であるイルカ類の可食部全般を指す。狭義にはイルカ類は除く。筋肉・内臓・鯨類特有の脂皮(脂肪層)などを含む。
鯨肉には様々な部位があって食味が異なり、調理法も分かれている。日本では、伝統的に以下のような部位に分類されてきた。ただし、方言が多い。前述のように鯨種によって取れる部位が異なったり、同じ部位でも食味が違ったりする場合がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/鯨肉
黒田官兵衛は1546年(天文15年)播磨国姫路(現・兵庫県姫路市)で生まれた。父親は、播磨の武将・小寺氏の家老を務めていた黒田職隆(もとたか)。官兵衛の幼名は万吉、諱(いみな)は初め祐隆(すけたか)、後に孝高(よしたか)と改める。隠居後は如水と号したため、「黒田如水」という名でも知られている。
http://www.jiji.com/jc/v4?id=domon_interview201312260001
黒田 孝高(くろだ よしたか)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。孝高は諱で、一般には通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは出家後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)として広く知られる。
豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であり、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。
キリシタン大名でもあった。子に黒田長政がいる・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/黒田孝高
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」 - NHKオンライン
http://www1.nhk.or.jp/kanbe/
「播磨灘物語」(上)(中)(下)(はりまなだものがたり)
司馬遼太郎の歴史小説。豊臣秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛(孝高、如水)の生涯を描く。友人として竹中半兵衛も描かれる。
1973年5月から1975年2月にかけ、「読売新聞」に連載された。
黒田官兵衛が仕える御着城主小寺政職の勢力は、播磨から備前にかけあったが中世的な家風が漂い、中央(京周辺)で台頭する織田信長に対しては否定的であった。信長の時代の到来を予知した官兵衛は、小寺家を信長の勢力圏に組み入れるよう奔走する。だが次第に当の小寺家には疎まれてゆく。そんな中、織田方の重臣荒木村重が叛旗を翻す。
村重に小寺家がなびくことをおそれ、官兵衛は村重を説得しようと有岡城に向かうが、投獄されてしまう。ここで官兵衛は、自分の知恵の無力さ、はかなさを感じ、出獄したころには身も心も変わっていた。天下統一に向け動く秀吉の重臣として新たな人生が始まる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/播磨灘物語
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