ぶらり京都-66 [葵祭]
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1,400年余の歴史を刻んでいる「葵祭」も、現在では祭祀と祭礼の祭としてのストリートアートであっても当時は相当なパホーマンスで、且つ目を見張るほどの前衛的な芸術であっただろうと思う・・・
その王朝文化を今に伝えるパレード(Parade)として、御所の南、丸太町通柳馬場辺りから垣間みる・・・
京都|葵祭・御所|丸太町通柳馬場|Google マップ(2014年5月15日撮影)
祭の起源をひもとくと、五穀豊穣を祈り欽明天皇の567年とされ、源氏物語にも登場するが、819年(弘仁10年)には国家的行事に発展し、江戸時代の1694年(元禄7年)には当初の賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになる。
その祭祀と祭礼の豊穣への感謝・祈りの「祭」を、現代風にカタカナを交え、イベント(Event)の視点で捉えてみると、何やら日本人の感性の深さや凄さがみえてくる・・・
それは、王朝絵巻のストリートアートやストリートパホーマンスとして、十二単の斎王代、花を飾り付けたフロートとも云える牛車(御所車)、頭には葵の葉で飾られた勅使、供奉者の衣冠、駿馬、牛馬など、午前10時半すぎに京都御所を出発し、下鴨神社を経て、上賀茂神社までのパレードは、若干の変化や、時代と共に付け足し、改良を重ねたとしても、その時代にかようなイベントを創造した人々に敬意を払い、且つ1,400年余続いている事が心の遺産の様にうつる・・・
上鴨神社と下鴨神社の祭祀と祭礼を込めたイベント・プロモーション(販売促進)のための手段とし、当然、プロモーターやイベンターたちや、500人を越える出演者と運営の人々、総てを取り仕切るスーパーバイザー、京都市中の儲け頭のスポンサーが絡み合い・・・
雅楽とのコラボレート或は一部はコンサート(Concert)として、ある意味のフェスティバル(Festival)ないしはフェスタ(Festa)の様に、路には露天やフリーのマーケットが点在し、女性にとって庶民の夢のような、一度は乗ってみたい公家のフロート(山車)にため息をもらし、男性においては喉から手が出そうな、ほれぼれとした駿馬を眺め、出演者は粋なフォッションにチョット厚化粧をきかせて、カーニバル(Carnival)風にと、現代のそれとひとつも遜色無き1,400余年前のストリートイベントが前を通り過ぎた・・・
(注:写真はすべて順不同です)
(以下・参考サイト)
葵祭(あおいまつり、正式には賀茂祭)は、京都市の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)で、5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に行なわれる例祭。石清水八幡宮の南祭に対し北祭ともいう。平安時代、「祭」といえば賀茂祭のことをさした・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/葵祭
賀茂祭(葵祭)│上賀茂神社(賀茂別雷神社:かもわけいかづちじんじゃ)公式Webサイト
賀茂祭は祭儀に関わる全ての人たち、また社殿の御簾・牛車に至るまで二葉葵を桂の小枝に挿し飾ることから、広く一般には「葵祭」として知られる祭です。 賀茂祭の起源及び変遷. 賀茂祭. その起源は太古別雷神(わけいかづちのかみ)が現社殿北北西にある ...
http://kamigamojinja.jp/kamo/index.html
葵祭 | 京都市観光協会
http://www.kyokanko.or.jp/aoi/
行列コースと時間 - 葵祭 沿革・祭儀 | 京都市観光協会 - 有料観覧席のご案内 - 行列
http://www.kyokanko.or.jp/aoi/junkou.html
パレード(parade)とは、祭事や祝い事・イベント時等に、見物人に見せるために屋外を行列で進むこと、またはその行列のことである・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/パレード
http://ja.wikipedia.org/wiki/祭り
http://ja.wikipedia.org/wiki/イベント
http://ja.wikipedia.org/wiki/フェスティバル
http://ja.wikipedia.org/wiki/フロート車
http://ja.wikipedia.org/wiki/演奏会
http://ja.wikipedia.org/wiki/蚤の市
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