もち歌 ‧ ‧ ‧ もち色? ‧ ‧ ‧ 「和色?」
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しかも音楽の「和音」にも似て、ハーモニーやリズムを奏でるように、画家の「もち色?」も和音ならぬ「和色?」のように眼から何かの「色音?」のような軽やかなメロディーが感じられる様だ・・・
以下、画家の「もち色?」や、その絵の下にカラー・スポイドでその「和色?」なるものを拾ってみた。
きっと観る人は、画家の「もち色?」が奏でる美しい「和色?」を眼で感じとるのだろう?・・・
(色はホルベイン油絵具のカラーチャートから絵に近い色名を表記)
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15世紀末、ハプスブルク家のスペイン領から独立し東インド会社を設立するオランダは、
繁栄の一途を歩みはじめ「フランドル絵画」が生まれる・・・
当時のフェルメールが生まれ育ったデルフトで作られる「デルフト焼」は、
白地に青色の彩色を施した陶器の非常に高価な青色の顔料「ラピスラズリ:Lapis lazuli 」が使われ
「デルフトブルー」と云われていた。それをフェルメールは絵の具に混ぜ合わせ、
彼が描く全作品の、人々を包み込む穏やかな光りのなかに描き込み、
それは、彼がこだわり抜いた「青」の "フェルメール・ブルー" と呼ばれている・・・
油彩|キャンバス|1650年代 〜1670年代頃|作品点数37点 ヨハネス・フェルメール:Johannes Vermeer(1632年?〜1675年?) http://ja.wikipedia.org/wiki/フェルメールの作品 |
「バルビゾン派」の巨匠カミーユ・コローの「銀灰色」
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コローはヨーロッパやフランス各地を写生旅行し、
彼の心のなかに広がる抒情詩的に映る森や湖の風景画に、
彼がもっともこだわる「銀灰色」を用い、
鈍色に輝く抑制的な色彩・色調で「ニンフの踊り」や「水辺」などを描き、
ロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワや、後の印象派の画家たちに多大な影響を与えた。
代表作の「モルトフォンテーヌの想い出」は、1864年のサロンに出品し大好評を博し、
皇帝ナポレオン3世の命により国家に買い上げられ、パリ画壇に風景画が登場する・・・
油彩|キャンバス|1864年|Huile sur toile,65×89cm ルーヴル美術館蔵:Musée du Louvre, Paris, France ジャン=バティスト・カミーユ・コロー:Jean-Baptiste-Camille Corot (1796〜1875年) http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャン=バティスト・カミーユ・コロー |
17世紀のバロック期、スペイン絵画の黄金時代を代表する巨匠ベラスケスの「黒」・・・
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以後30数年、国王や王女をはじめ、宮廷の人々の肖像画、王宮や離宮を飾るための絵画を描き、
最高傑作フェリペ4世の王女マルガリータを描いた「ラス・メニーナス」(女官たち)を生み、
天才ベラスケスがこだわり続けた「黒」には如何ほどの「黒」の色があるのだろう・・・
油彩|キャンバス|1628年 プラド美術館蔵:Museo del Prado, Madrid, España, ディエゴ・ベラスケス:Diego Rodríguez de Silva y Velázquez (1599〜1660年) http://ja.wikipedia.org/wiki/ディエゴ・ベラスケス |
時と共に移ろい行く光と色を追い求めたクロード・モネの「和色?」のハーモニー・・・
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晩年、白内障になっても、死の間際まで描き続けた、
オランジュリー美術館(Musée de l'Orangerie)の楕円形の2部屋を飾る8枚の「睡蓮」の大壁画、
彼が永遠に追い求めた、水辺に刻々と移り行く「和色?」のハーモニーは・・・
油彩|キャンバス|1916年|150x197cm マルモッタン美術館蔵:Musee Marmottan, Paris, France クロード・モネ:Claude Monet (1840〜1926年) http://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・モネ http://www.marmottan.fr/fr/claude_monet-musee-2517 http://www.monetpainting.net/ http://www.monetpainting.net/photographs.php "Le Matin aux saules" 200 x 1275 cm http://www.musee-orangerie.fr/pages/page_id19052_u1l2.htm# |
ルノワールの幸福の色・・・Rouge Vermillon:ルージュ・ヴェルミヨン(朱色)
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「絵というものは、愛すべきもの、美しいものでなければいけない」と云うルノワールは、
人間が生きる喜びを全面に「人間讃歌」をうたい、印象派が描く人物画を完成させる。
そして、彼が終世こだわった色は、Rouge Vermillon:ルージュ・ヴェルミヨン(朱色)・・・
彼の人物画は1876年の印象派展の木漏れ日の人々の「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」に始まり、
1881年には、子犬と遊ぶルノワールの妻アリーヌを描いた「舟遊びの人々の昼食」など、
多くの肖像画や人物画、浴女などの背景にその色は散りばめられている・・・・
油彩|キャンバス|1908年|46×35cm Peinture à l'huile sur toile オルセー美術館蔵:Musee d'Orsay, Paris, France. ピエール=オーギュスト・ルノワール:Pierre-Auguste Renoir (1841〜1919年) http://ja.wikipedia.org/wiki/ピエール=オーギュスト・ルノワール |
江戸庶民の小粋なエレガンス・・・「歌麿の紫」
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浮世絵師・歌麿は、版元「蔦屋」から江戸後期の文化文政時代の1790年(寛政2年)頃に
「婦女人相十品」「婦人相学十躰」などの美人大首絵で江戸市中で人気を呼び、
「美人画の歌麿」時代を築き上げる・・・
その後は、遊女、花魁、さらに茶屋の娘など無名の女性をも題材にし、
幕府が贅沢だと使用を禁じた高価な「紫」を使い、江戸の小粋でエレガントな庶民文化を生み出し、
歌麿の浮世絵は一つのメディアへと発展する・・・
当時、寛政の改革(1787〜1793年)の江戸幕府は贅沢品や浮世絵など風紀の取締りをおこなうが、
歌麿は幕府への抵抗心をみなぎらせ、判じ絵でしたたかに禁令の下をかいくぐって描き続ける。
しかし、1804年(文化1年)秀吉の醍醐の花見を題材にした「太閤五妻洛東遊観之図」を描いたことで、
幕府の逆鱗に触れ捕縛、手鎖50日の処分を受ける・・・
出所後、過労から二年後の1806年(文化3年)に54年の生涯を終え「紫」にこだわり続けた彼の絵には、
「江戸絵師・紫屋歌麿 筆」と記されている・・・
浮世絵|ボストン美術館蔵|寛政11年〜12年頃?(寛政は1789年〜1801年) 喜多川 歌麿:Kitagawa Utamaro(1753年:宝暦3年〜1806年:文化3年) http://ja.wikipedia.org/wiki/喜多川歌麿 |
ゴッホの燃える「黄金色」・・・
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1888年アルルに旅立ったゴッホは・・・
一面に広がる光りに満ちあふれた麦畑から燃えるほどの黄色に染まる「黄金色」を見つけ出し、
その色は、キャンバスから飛び出るほどの眩いばかりの光りで溢れ、今も我々を魅了し続ける・・・
そして、ゴーギャンとの共同生活、耳きり事件、アルル市立病院からサン=レミの精神病院へ、
その後のオーヴェル=シュル=オワーズでの1890年までのおおよそ3年余、
彼の全作品900点近くの油絵作品の風景画はもとより静物や人物画のなかには、
燃える様な「黄金色」が渦巻いている・・・
油彩|キャンバス|1889年|100×76.5cm 損保ジャパン東郷青児美術館蔵/東京:Seiji Togo Memorial Sompo Japan Museum of Art フィンセント・ファン・ゴッホ:Vincent van Gogh(1853年〜1890年) http://ja.wikipedia.org/wiki/フィンセント・ファン・ゴッホ |
パリの哀愁・・・ユトリロ「白の時代」
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モンマルトルの丘、階段のある坂道や小路、
教会などの街並みや建物の壁を、漆喰を練り混ぜて描いたユトリロの「白」・・・
アルコール中毒で精神病院への入院を繰り返しながら「白の時代 」(1909年~1914年頃)は生まれている・・・
油彩|キャンバス|1911年|62×46cm ポンピドゥー・センター蔵:Pompidou Centre, Paris モーリス・ユトリロ:Maurice Utrillo(1883年~1955年) http://ja.wikipedia.org/wiki/モーリス・ユトリロ |
「多彩な緑」・・・アンリ・ルソーの植物園
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ルソーは早々と税関を退職し年金生活に入り、アンデパンダン展の「日曜画家」から・・・
パリの植物園でスケッチしたさまざまな植物を組み合わせ、写真や雑誌の挿絵を元に構図を考え、
「多彩な緑」の樹木や草花は葉の1枚1枚が几帳面に描かれ、
あたかも熱帯のジャングルのにいるような幻想的な風景を作り上げた。
今も観る人は、幻想的で「多彩な緑」に包まれた夢のようなルソー動植物園を彷徨う・・・
油彩|キャンバス|1907年|169×189cm オルセー美術館蔵|Musée d'Orsay アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー Henri Julien Félix Rousseau(1844年〜1910年) http://ja.wikipedia.org/wiki/アンリ・ルソー |
アンリ・マティス・・・"Tanjaの青"
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モロッコの北端にある港町タンジェ:Tanja・・・
マティスは42歳にこの地を訪れその鮮やかなイスラム世界の”青”の色彩に衝撃を受け心を奪われ、
その40年後の1941年に十二指腸ガンを宣告される。以後、車椅子の生活になった最晩年の82歳、
イスラム世界では「青」は人間の命を包み込む色とされ、
その”青”の幾種類の色紙を作り切って貼付け、切り紙で創作した一枚の切り紙絵。
マティスこだわりの「青」の「ブルーヌード」・・・
切り紙絵|1952年|116.2 cm × 88.9 cm (45.7 in × 35 in) Gouache-painted paper cut-outs stuck to paper mounted on canvas ポンピドゥー・センター蔵:Pompidou Centre, Paris アンリ・マティス:Henri Matisse(1869年〜1954年) http://en.wikipedia.org/wiki/Blue_Nude_II La série Nu Bleu, I, II, III et IV d'Henri Matisse (1952). G. FUENTES / REUTERS http://www.20minutes.fr/article/893009/matisse-doubles http://ja.wikipedia.org/wiki/アンリ・マティス |
藤田 嗣治の和光堂シッカロールの「乳白色の肌」・・・
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第一次大戦後のパリ、毎晩華やかな祝祭と酒や麻薬による乱痴気騒ぎが繰り返され、
「狂乱の時代:レ・ザネ・フォル Les Années Folles」と呼ばれるほど、
ボヘミアン的な街に変貌したモンパルナス・・・
写真家マン・レイの愛人であった「モンパルナスの女王キキ」をモデルに藤田 嗣治が描いた
「寝室の裸婦キキ(ジュイ布のある裸婦)」は、
1922年のサロン・ドートンヌでセンセーションを巻き起こし、8000フラン余で買いとられた・・・
藤田嗣治がこだわりぬき、白の絵の具に和光堂シッカロール(てんかふ)を混ぜて生まれた独自の白色に、
面相筆の細い線で描かれた透きとおるような独特の画風は、
藤田の「乳白色の肌」と呼ばれている・・・
マルモッタン美術館蔵:Musee Marmottan, Paris, France 藤田 嗣治/レオナール・フジタ:Léonard Foujita(1886年〜1968年) http://ja.wikipedia.org/wiki/藤田嗣治 |
たどり着いたモンドリアンの「赤・青・黄」・・・
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1900年初頭からモンドリアンが繰り返して描いた連作の「リンゴの樹」・・・
1910年を過ぎると、木の形態は単純化され完全な抽象へと向かい、1921年には水平と垂直の直線のみによって分割された画面に、赤・青・黄の三原色のみを用いるというストイックな原則を貫き、
画面から不必要な要素は総て取り除きギリギリまで切り詰め、
額縁さえも取り除いた一連のミニマル・アート作品「コンポジション」が出来上がり、
抽象画のモンドリアンは誕生する・・・
”Composition with Red Blue Yellow” 油彩|キャンバス|1930年|46 x 46 cm チューリヒ美術館蔵 スイス:Kunsthaus Zürich, Switzerland ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian (1872〜 1944年) |
落書きは、はなから「白と黒」さ !!・・・
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1980年、ニューヨークの地下鉄構内で広告掲示板に黒い紙を張り、
その上に白いチョークで絵を描き、キースの落書き「サブウェイ・ドローイング」は始まった・・・
シンプルな線と色とで構成された彼の絵は、
ニューヨークのマンハッタン、シドニー、メルボルン、リオデジャネイロ、アムステルダム、パリ、日本そしてベルリンの壁の有名なチャーリー検問所の壁にその足跡を残し、
HIV感染者のキースは、1990年にAIDSにより31歳の若さで時を終える・・・
キース・ヘリング:Keith Haring(1958年~1990年) http://ja.wikipedia.org/wiki/キース・ヘリング |
貧しく弱い者へ「ピカソ・青の時代」"Picasso's Blue Period"・・・
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1900年、19歳のピカソは友人カサヘマスやパリャーレスらとともに初めてパリを訪れる。
その無二の親友カサヘマスが失恋を契機に短銃自殺してから、
無機顔料のプロシア青(プルシアンブルー)をベースにピカソは青い絵ばかり描くようになり、
この頃から1903年にモンマルトルの「洗濯船」にアトリエを構えるまでの4年間は、
「ピカソ・青の時代」と云われている・・・
そしてその作品は「盲人の食事」「悲劇」「老いたギター弾き」「酒場の娼婦達」など、
貧しい者や社会的弱者に共感し、
貧困や人生の悲哀や絶望からでも生まれる人間の尊厳を描き出す・・・
油彩|キャンバス|1903年|196.5 × 128.5cm クリーブランド美術館 アメリカ/オハイオ州:Cleveland Museum of Art パブロ・ピカソ:Pablo Picasso (1881〜1973年) http://ja.wikipedia.org/wiki/パブロ・ピカソ 油彩|キャンバス|1902年 |
人はどんな人でも自分の好きな色を持っている・・・
そしてその事は、あの人は赤が良く似合うとか、黒や黄とか青とか、その人をイメージした時に
不思議とその人らしい色を連想させ、その人の色として定着している。
きっとそれは、非常に重要な自分なのだろう・・・
そして、色は無限に存在し、画家はパレットで絵の具を混ぜ合わせイメージに近い色を作る。
有名なウジェーヌ・ドラクロワのパレットは、几帳面に絵の具が並べられ、
「フランスで最も美しいパレット」と言われている・・・
そしておそらく、
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そんなパレットで好みの色が出来た時、
その時きっと自分と云うのが生まれた瞬間なのだろう?・・・
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