西洋画の「横たわる裸婦」たち・・・
|
しかし、ルネサンス期あたりから、一般には半裸や全裸の美女の姿で、神話の愛と美の女神「ヴィーナス/(ラテン語)ウェヌス:Venus」をモチーフに描かれ、それは時代と共に変化しその時代の背景と共に我々に何かを語り、そして何かを伝えてきた・・・
ではそれらは、どのように時代を歩んでいったのだろうか?・・・
それぞれの時代で描かれた「横たわる裸婦」のみから、特に物議をかもし出したものを織り交ぜながら時代とその背景を追ってみる・・・
ルネサンス・・・ローマ神話のヴィーナス
...............................................................................................
豪奢なルネサンス風宮殿を背景に、長椅子かベッドに寄りかかり、
若く官能美あふれ、少し挑発的な視線を投げかける「ローマ神話のヴィーナス」・・・
時は1538年頃のルネサンス:Renaissanceの街フィレンツェ、
1,000年余の間の純粋キリスト教の洗脳による先入観から解放するかのように、
キリスト教が罪とする「裸を見る」行為、
特に女性の場合にローマ神話のヴィーナスに置き換えられ登場し、
それは「最も下品で下劣でわいせつな絵画...」と言われながら裸婦像はその幕を開ける・・・
" Venere di Urbino "/英: Venus of Urbino 1538年|119 cm × 165 cm|油彩・キャンバス ウフィツィ美術館蔵(フィレンツェ)|Galleria degli Uffizi, Firenze ティツィアーノ・ヴェチェッリオ:Tiziano Vecellio (1488年/1490年頃〜1576年) |
...............................................................................................
神話は「幽閉されていたダナエをオリンポスの主神ゼウスが見初め、
黄金の雨に身を変え訪れて彼女と交わった…」と、
レンブラントは、ダナエが右手を上げた独創的なポーズで自らの意思を現し、
女性が主体性をもった姿を描いたと云われている。
それは、オランダが世界に雄飛し黄金時代を築き、それを支えた強き女性の姿かもしれない・・・
" Danaë "/露: Даная 1636年|185x203 cm|油彩・キャンバス エルミタージュ美術館蔵(サンクトペテルブルク)|Государственный Эрмитаж, Saint Petersburg レンブラント・ファン・レイン:Rembrandt Harmensz. van Rijn (1606年〜1669年) |
スペイン黄金時代のベラスケス・・・異端審問の「ヴィーナス」
...............................................................................................
スペイン黄金時代の巨匠ベラスケスが1647年〜1651年のイタリア滞在に描いた、
ベッドに横たわり鏡をみている「ローマ神話のヴィーナス」・・・
17世紀のスペインでは裸婦画は公式に禁じられ、彼が描いた唯一現存しているこの裸婦画は、
厳格なカトリック教国であった当時のスペインで異端審問によって徹底的に弾圧の的となった。
その後絵は、イングランドのヨークシャーのスペイン宮廷人の家に飾られ、
1906年にロンドン・ナショナル・ギャラリーが購入。
1914年には婦人参政権論者のカナダ人メアリ・リチャードソンによって切り付けられひどく損傷し、
今は修復され元通り展示されている・・・
"Venus del espejo" /The Rokeby Venus 1647年〜1651年頃|122 x 177 cm|油彩・キャンバス ロンドン・ナショナルギャラリー蔵|National Gallery, London ディエゴ・ベラスケス:Diego Rodríguez de Silva y Velázquez (1599年〜1660年) |
...............................................................................................
フランス絶対王政の太陽王ルイ14世のヴェルサイユ宮殿に始まり、
その後のルイ15世の「バロック様式」に塗り重ねるかのように生まれた「ロココ様式」は、
優雅な男女が集い恋の戯れや遊びから、宮廷の崩壊に近づくにつれ卑猥で淫らな方向へと変貌し、
国王ルイ15世の公式の愛妾マリー=ルイーズ・オミュルフィをモデルに、
「黄金のオダリスク、金髪のオダリスク」と囁かれるほどに、
公然と官能性や奔放性を全面に淫らな裸婦が描かれる・・・
"Odalisque blonde/Femme nue couchée sur un sofa " 1751年|59.5 x 73.5 cm|油彩・キャンバス ヴァルラフ=リヒャルツ美術館蔵、ケルン|Wallraf-Richartz-Museum, Köln フランソワ・ブーシェ:Francois Boucher (1703年〜1770年) |
...............................................................................................
マハ:Majaとは「小粋な女/小粋なマドリード娘」を意味し、
もはや宗教的なセオリーは無視され、しかも実在の女性の陰毛を描いた作品として、
或は誰の依頼によって描かれたかを、当時のスペインで問題となり、
ゴヤは度々裁判所に呼ばれながらも口を割ることなく、
絵は当時の首相であったマヌエル・デ・ゴドイの邸宅から、
全裸と衣服をまとったものの2枚が張り合わされた裏表の状態でみつかり、
その後100年弱の間プラド美術館の地下に眠りながら1901年に公開された・・・
1797年-1800年頃|97×190 cm|油彩・キャンバス 1797年-1803年頃|97x190 cm|油彩・キャンバス プラド美術館蔵|Museo National del Prado, Madrid, España フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス:Francisco José de Goya y Lucientes (1746年〜1828年) |
...............................................................................................
その手と腰は長すぎる、しかもそんな姿勢はとれない・・・
そのゆがめられたプロポーションは、イタリア・ルネサンスの「新古典主義」から離脱し、
批判の的にされた変形した形の中に自己の美を完成させる・・・
"La Grande Odalisque" 1814年|88.9 x 162.56 cm|油彩・キャンバス ルーヴル美術館蔵|Musée du Louvre,Paris ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル: Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780年〜1867年) |
...............................................................................................
フランス・アカデミー画家の頂点に君臨し、
同時代の印象派と真っ向対立し、マネなどサロンでの展示を拒否し、
下に記載したマネの「オランピア」としばしば比較される・・・
"El nacimiento de Venus" 1863年|130 x 225 cm|油彩・キャンバス オルセー美術館蔵|Musée d'Orsay,Paris アレクサンドル・カバネル:Alexandre Cabanel (1823年〜1889年) |
...............................................................................................
貴族から新興のブルジョワジーへと時代は動き・・・
アカデミックなそれまでの伝統を打ち崩し印象派の扉を開ける。
それは露骨にも当時の娼婦の通称「オランピア」をモチーフに描き、
当時、卑猥な作品として「不道徳」と云われ、一大センセーションを巻き起こした・・・
「オランピア」 "Olympia" 1863年|130.5 x 190 cm|油彩・キャンバス オルセー美術館蔵|Musée d'Orsay,Paris エドゥアール・マネ:Édouard Manet (1832年〜1883年) |
...............................................................................................
19世紀の世紀末をむかえ退廃的ムードのパリ、遊蕩の末に破産した青年ローラ、
娼婦と過ごし束の間の愛の翌朝、男は娼婦に別れを告げ今まさに窓から飛び降りる・・・
不道徳としてサロンに出品を拒否後画商が引き取って店に置くと、
三ヶ月も観客の列が途絶えなかったと云う・・・
"Rolla" 1878年|175 x 220 cm|油彩・キャンバス オルセー美術館蔵|Musée d'Orsay アンリ・ジェルベクス:Henri Gervex (1852年〜1929年) |
...............................................................................................
優美で古代的な姿態に白く透き通る肌の質感に美的純真性が理想化され、
裸婦の身体に当たる木漏れ日や影を、
青や紫の色点で表現した印象派の技法は完成する・・・
"Baigneuse allongée (La source)" 1895年~1897年|65.4×155.6cm|油彩・キャンバス バーンズ・コレクション|The Barnes Foundation, Philadelphia USA ピエール=オーギュスト・ルノワール:Pierre-Auguste Renoir (1841年〜1919年) |
...............................................................................................
西洋文明に絶望したゴーギャンが楽園を求め、
南太平洋のフランス領の島・タヒチに渡ったのは1891年、
その後、パリにアトリエを構えるが絵は売れず1895年に再びタヒチへ・・・
(死霊は見守る&死霊が見ている) "Manao Tupapau /L'esprit des morts veille" 1892年|73×92cm | 油彩・画布 | オブライト・ノックス美術館 タヒチでゴーギャンと同棲していた13歳の現地民テハアマナ(通称テフラ)をモデルに描かれた。 死霊が闇の中に潜むように、非現実的な神秘と超自然的な恐怖の生死の象徴として、 第一次タヒチに滞在した期間に制作された作品・・・ "Nevermore" 1897年|61 x 116 cm|油彩・キャンバス ロンドン大学 コートールド・インスティテュート蔵|Courtauld Institute of Art,London 1897年ゴーギャンは娘アリーヌの死を知らされ、この「ネヴァ・モア」と大作の「られわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」の代表作2点を描く・・・ ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン:Eugène Henri Paul Gauguin (1848年〜1903年) |
...............................................................................................
1917年前後に画商ズボロフスキーの勧めで集中的に裸婦を描き、
1917年12月3日ベルト・ヴァイル画廊にて生前唯一の個展を開催する。
しかし展示された裸婦画が猥褻(わいせつ)であるとし、警察が踏み込み一日で裸婦画は撤去される・・・
"Reclining Nude with Loose Hair" 1917年|60 x 92.2 cm|油彩・キャンバス 大阪新美術館コレクション蔵/大阪新美術館建設準備室|Artrip Museum(アートリップミュージアム) アメデオ・モディリアーニ:Amedeo Clemente Modigliani (1884年〜1920年) (モディリアーニの裸婦は非常に多い)以下抜粋↓ |
...............................................................................................
写真家マン・レイの愛人であった「モンパルナスのキキ」をモデルに、
独特の透きとおるような「乳白色の肌」と面相筆で描かれ、
サロン・ドートンヌで一大センセーションを巻き起こす・・・
"Nu couché à la toile de Jouy" 1922年| cm|油彩・キャンバス パリ市立近代美術館蔵|Musée d'art moderne de la Ville de Paris 藤田 嗣治(レオナール・フジタ):Léonard-Tsuguharu Foujita (1886年〜1968年) |
...............................................................................................
ポーランド生まれで「モンパルナスの帝王」と云われるほど、
陽気で面倒見の良いキスリングが描く何処か異邦人のような、
その絵からはエコール・ド・パリの香りが漂う・・・
"Nu au divan rouge " 1937年|96 x 149 cm|油彩・キャンバス パリ市立近代美術館蔵|Musée d'art moderne de la Ville de Paris モイズ・キスリング:Moïse Kisling (1891年〜1953年) |
...............................................................................................
制作に約半年ほどの歳月を費やし、22枚の制作写真が残る程、何度も何度も描き直し、
誇張に簡略化や省略化を繰り返し、デフォルメ:Déformerされ、
たどり着いたマティスの健康美あふれる裸婦・・・
"Large Reclinig Nude" 1935年|66 x 92.2 cm|油彩・キャンバス ボルティモア美術館蔵|Baltimore Museum of Art|Maryland,USA アンリ・マティス:Henri Matisse (1869年〜1954年) |
...............................................................................................
ナビ派に分類されるボナールは、日本美術に多大な影響を受け「日本的なナビ」と呼ばれる。
入浴好きの妻(通称マルト)をモチーフにした絵が多く、
彼の描く裸婦は浴室の情景に点在する華麗な色彩の中に埋もれている・・・
"Le Nu dans le bain " 1936年〜1937年|93x147 cm|油彩・キャンバス パリ市立近代美術館蔵|Musée d'art moderne de la Ville de Paris ピエール・ボナール:Pierre Bonnard (1867年〜1947年) |
...............................................................................................
ベルギー生まれで、独自の夢とノスタルジーの世界に浸り、
無表情で大きな目を見開き陰毛をあらわにし、マネキンのような裸の女性たち、
シュルレアリスムが創りだした静寂と幻想の世界・・・
"Sleeping Venus " 1944年|172.7 x 199.1 cm|油彩・キャンバス テイト美術館蔵|Tate Gallery, London ポール・デルヴォー:Paul Delvaux (1897年〜1994年) |
...............................................................................................
作風がめまぐるしく変化したピカソのキュビスムを感じる裸婦・・・
どこがどうで、どこからどう描いたのか?画歴からは1万3500点の油絵と素描を残し、
彼の絵はほとんどが人物像で占められている・・・
"Le Nu dans le bain " 1959年|193 x 276.9 cm|油彩・キャンバス シカゴ美術館附属美術大学蔵|The Art Institute of Chicago, Chicago, Illinois, USA パブロ・ピカソ:Pablo Picasso (1881年〜1973年) |