ぶらり京都-79 [六孫王神社]
|
清和源氏発祥の源経基(みなもと の つねもと)を祭神とする「六孫王神社」(ろくそんのうじんじゃ)、場所は東海道新幹線の真下に位置する・・・
境内は源経基の邸宅「八条亭」の跡地で、源経基死後の963年(応和3年)に嫡子の満仲が現社地に経基の墓所を建立し、その前に社殿を造営したのが当社の創建らしい、小さな境内に満開の桜をくぐりぬけ礼拝する・・・
六孫王神社|京都市南区八条町|Googleマップ
(2015年3月31日撮影)
「六孫王神社」(ろくそんのうじんじゃ)
京都府京都市南区にある神社。旧社格は郷社。 清和源氏始祖の源経基を祭神とする。経基 は清和天皇第六皇子の貞純親王の子で、天皇の孫であることから「六孫王」と称される。境内には唐門、拝殿、本殿が立ち並び、中央に神竜池がある。本殿背後の石室が神廟。鎌倉時代には、源実朝の妻の本覚尼がこの地に遍照心院(大通寺)を建立し、当社はその鎮守社とされたという。その後は戦乱などにより社殿を失い、経基の墓所だけが残されたとも伝える。元禄13年(1700年)からは、江戸幕府により社殿の再興が進められた。元禄14年(1701年)には正一位の神階と権現号が授けられている。社殿の再建は宝永4年(1707年)をもって完了し、その社殿が現在まで伝わっている。その後は江戸幕府の滅亡とともに衰微し ・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/六孫王神社
六孫王神社|オフィシャルサイト
http://www.rokunomiya.ecnet.jp/
「清和源氏」(せいわげんじ)
清和源氏は、第56代清和天皇の皇子・諸王を祖とする源氏氏族で、賜姓皇族の一つ。姓(カバネ)は朝臣。
一般に武家として知られる清和源氏の起源は、清和天皇の第六皇子貞純親王の子である経基王(六孫王)が臣籍降下により源姓を賜り源経基と名乗ったことに遡る。経基の名跡を継いだ源満仲は、摂津国川辺郡多田(現 兵庫県川西市多田)を本拠地として源氏武士団を形成した。酒呑童子退治などで有名な満仲の長男・源頼光も摂津国に拠点を置いたことから、摂津源氏と呼ばれる武士団を形成した。摂津源氏の中で多田に土着する系統を多田源氏といい、傍流からは美濃に土着した美濃源氏が輩出された。満仲の次男・源頼親の系統は大和国宇野(現奈良県)を本拠地としたことから大和源氏と呼ばれる武士団を、三男・源頼信の系統は河内国壷井(現大阪府羽曳野市壷井)を本拠としたことから河内源氏と呼ばれる武士団を形成した・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/清和源氏
武士(もののふ)は・・・
源氏や平氏の10世紀から19世紀にかけてこの国に存在し、
明治元年の1868年5月3日、
江戸城は明治政府軍に明け渡され、
約1,000年余続いた武士統治の時代は幕を閉じる・・・
再び足を北へ、
新幹線と東海道線をくぐり抜け歩を進める・・・
(以下・参考サイト)
京都十六社 朱印めぐり|六孫王神社
http://www.kyoto-16sha.jp/j_rokusonnoou.html
京都観光Navi:六孫王神社|六孫王神社(六孫さん)
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000244
武士(ぶし)は、10世紀から19世紀にかけての日本に存在した、宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員である。「もののふ」(cf. wikt) とも読み倣わすが、その起源については物部氏の名に求めるなど諸説がある・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/武士
武士の時代の幕開け…保元の乱: 今日は何の日?徒然日記
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2011/07/post-ed87.html
江戸時代の期間は主流の学説では、慶長8年2月12日(1603年3月24日)に徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸(現在の東京)に幕府を樹立してから慶応4年/明治元年4月11日(1868年5月3日)に江戸城が明治政府軍に明け渡されるまでの265年間を指す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/江戸時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/源氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/平氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/源経基
http://ja.wikipedia.org/wiki/清和天皇
Copyright © 2015 guchini.exblog All Rights Reserved.