ぶらり京都-90 [大覚寺の行く春]
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平安遷都後に、風光明媚な嵯峨一帯は天皇や大宮人たちの遊猟、行楽地となり、嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営して居住。1255年(建長7年)に後嵯峨上皇が「嵯峨御所」として離宮を造営し、1268年(文永5年)に出家して寺に改め「大覚寺」となり、嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を今に伝える・・・
大覚寺|京都市右京区嵯峨||Googleマップ
(2015年4月9日撮影)
「大覚寺」旧嵯峨御所 大本山(だいかくじ)
京都市右京区嵯峨にある、真言宗大覚寺派大本山の寺院。山号を嵯峨山と称する。本尊は不動明王を中心とする五大明王、開基は嵯峨天皇である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。また、嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を今に伝える寺でもある・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/大覚寺
旧嵯峨御所 大本山 大覚寺|オフィシャルサイト
大覚寺(正式名:旧嵯峨御所大覚寺門跡)は、京都市右京区嵯峨にある1200年の歴史 を誇る寺院です。弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山として知られ、明治 時代初頭まで、天皇もしくは皇統の方が住職を務めた皇室ゆかりの門跡寺院でも ...
http://www.daikakuji.or.jp/
平安時代の810年~824年(弘仁)、嵯峨天皇が大覚寺前の大沢池の花で生け花をしたのが発祥と伝わる、華道の一派「華道嵯峨御流」が生まれ、その後、衰退していた「嵯峨御流」は、未生流の未生斎広甫によって再興され「華道嵯峨御流」として今日にその名をとどめている・・・
「嵯峨御流」(さがごりゅう)
嵯峨天皇を開祖とする華道の一派である。「華道嵯峨御流」とも言われる。日本の歴史書には、第52代嵯峨天皇(延暦5年9月7日(786年10月3日) - 承和9年7月15日(842年8月24日))が弘仁の時世に、大覚離宮(大覚寺)に宮殿を構え、横に位置する大沢池に出向かい、大沢池の花で生け花をしたのが発祥と伝わる。歴史書によると、その時に嵯峨天皇は「爾今、花を賞ずる者はこれを範とする」と言われ、その後、一時「嵯峨御流」は衰退したが、未生流を学んだ未生斎広甫が華道などの伝統的文化の再興を図り、その結果「嵯峨御流」は全国的に名が知れ渡る様になった・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/嵯峨御流
雨に打たれながら桜(はな)は人々の心のなかを通り、はや散り染め、
足早に季節は通り過ぎた ・・・
はらはらと散る花びらと心経宝塔を望み、行く春を送る・・・
「ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心(しづごころ)なく 花の散るらむ」
(日の光がこんなにものどかな春の日に、どうして桜の花だけ、慌ただしく散ってしまうのだろうか)
「古今集」春下・84 紀友則(きのとものり)(生没年不詳) 紀貫之の従兄弟
(以下・参考サイト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/嵯峨御流
http://ja.wikipedia.org/wiki/華道
http://ja.wikipedia.org/wiki/未生流
http://ja.wikipedia.org/wiki/未生斎広甫
華道祭
4月10日(金)~4月12日(日) 数多くのいけばなを展示する華展をはじめ、年に2回しか行われない大沢池の「龍頭鷁首舟」、平安絵巻さながらの献華式やお茶席、各種法会など、優雅なたたずまいのなか繰り広げられます。
https://www.daikakuji.or.jp/event_month_04/
https://www.daikakuji.or.jp/event_season_spring/#season_02
http://ja.wikipedia.org/wiki/嵯峨野
http://ja.wikipedia.org/wiki/嵯峨天皇
http://ja.wikipedia.org/wiki/後醍醐天皇
http://ja.wikipedia.org/wiki/大覚寺統
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