ボブ・マーリーの「One Love」
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しかしそれには、ジャマイカの20年にわたる流血の歴史が横たわっていた・・・
ジャマイカ|首都キングストン|Kingston, Jamaica|Googleマップ
カリブ海の先住民だったアラワク人の「島は木と水の地」あるいは「泉の地」を意味するXaymaca(ザイマカ)と言われていた島は、1494年のコロンブスの第二回航海でその島が発見されジャマイカと呼ばれるようになり、当初スペイン植民地となるが、世界の覇権も七つの海を支配する大英帝国に移り、1670年にマドリード条約によって正式にイギリス領となる。そして海賊や私掠船の母港として栄え、1692年の大地震で町が倒壊し北のキングストンに首府が移る。
しかしもともと、砂糖プランテーションを支えるための労働力として、西アフリカから奴隷として連れてこられたアフリカ系の部族民が現在の国民でありアフリカ系が大部分(90.9%)を占め、そのため黒人奴隷や逃亡黒人の反乱が長い間続く・・・
1865年には英国の直轄領となり、1938年にジャマイカ労働党(JLP)が設立、西インド連邦が樹立されその後、独自の元首を持たずイギリス国王を元首とし、1962年にイギリス連邦加盟国として立憲君主制の「英連邦王国」として独立する。その後、保守中道のジャマイカ労働党(JLP)と民主社会主義の人民国家党(PNP)が交互に政権に携わり、南米アメリカ大陸では米国、カナダに続き、三番目の英語圏として今日に至っている・・・
しかし、二つの政党の抗争は次々と暴動を生み、特にジャマイカの人口、270万人余の約半数が住むキングストンでは、住居不足はもちろん失業に低賃金、マリファナなどの麻薬や、暴動の多発でキングストン市内は、コロンビア、南アフリカ共和国に次いで世界第三位と、世界で最も殺人事件発生率の高い危険な街へと変貌する・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャマイカ
そんな街に音楽が流れ・・・
その音も1960年代初頭に黒人たちから生まれたジャズなどのアメリカのポピュラー音楽の影響を受けながら、もともとジャマイカにあった1950年代のスカ(Ska)やロックステディー(Rocksteady)からより発展し、1960年代後半には「ぼろ、ぼろ布、または口げんか、口論」という意味を表すジャマイカ英語のスラング、パトワ語で「レゲレゲ ("rege-rege")」が転じたとされるレゲエ(Reggae)が誕生し、1970年代のボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの世界的ヒット以降「レゲエ :Reggae」は大きな広がりをみせ、ジャマイカの歴史を大きく変えながら世界のポピュラー音楽にも多大な影響を与えていく・・・
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ボブ・マーリー (Bob Marley・出生名ロバート・ネスタ・マーリー Robert Nesta Marley) は、1945年ジャマイカ・セント・アン教区のナイン・マイルズのイギリス海軍大尉で、ジャマイカ最大の建設会社「マーリー・アンド・カンパニー」を経営していたイギリスの61歳の白人、ノーヴァル・マーリー と、母親はジャマイカ生まれの18歳の黒人、セデラ・ブッカーとの間に生まれた・・・
両親はボブ・マーリーの誕生後すぐに別れ、父親は首都キングストンで、ボブ・マーリーは母親とその家族と共にナイン・マイルズで幼少期を過ごす。10歳のときに父親が死に経済的な援助はなくなり、母親とボブ・マーリーはキングストン郊外のスラムに移り住む。1959年に学校を中退し音楽に専念する・・・ボブ・マーリー14歳・・・
父親はイギリスの白人、母親はジャマイカ生まれの黒人と云う混血の暗い宿命を背負い、ボブ・マーリーは深い思惟を彷徨い、当時、1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した宗教的思想運動、ラスタファリ運動 (Rastafari movement)に傾倒する・・・
それは、アフリカ回帰運動として、エチオピア帝国最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世をジャーの化身、もしくはそれ自身だと解釈し、名称はハイレ・セラシエの即位以前の名前ラス・タファリ・マコンネン(アムハラ語で『諸侯タファリ・マコンネン』の意)に由来する・・・
その指向は、エチオピアの国旗でもある赤と緑と黄金の色の3色を象徴として、ラスタの生活様式全般、例えば菜食主義やドレッドロックス、ガンジャを聖なるものとして、ジャマイカ国家の革命を主張する。現在では全世界に波及し100万人のラスタファリ運動の実践者がいると言われる・・・
その後、ボブ・マーリーは21歳の時に19歳のリタ・アンダーソンと結婚し、1962年にレスリー・コンのビバリーズ・レーベルから「One Cup of Coffee」と「Judge Not」を発表。1963年にウェイラーズを結成。1973年にはメジャーデビューアルバム「キャッチ・ア・ファイア」をリリースする・・・
そして、1973年の楽曲、
「アイ・ショット・ザ・シェリフ:I Shot The Sheriff」が全米ビルボードチャート1位を獲得し、
ついにボブ・マーリーは時代に登場する・・・
Bob Marley - I Shot The Sheriff -(4:42) https://www.youtube.com/watch?v=nrnZSLwfzVs Bob Marley and The Wailers interpretando en vivo el tema "I Shot The Sheriff". Excelente versión de este clásico. |
翌年の1974年この曲はエリック・クラプトンがカヴァーを発表し、爆発的なヒットで世界の音楽界に旋風を巻き起こし、キングストン市内に自宅兼音楽事務所を構える・・・
しかし、1976年12月3日、プロデューサーのクランシー・エクルズらと人民国家党(PNP)の政治キャンペーンに参加したことからマイケル・マンリー率いる(PNP)と、エドワード・シアガが率いるジャマイカ労働党(JLP)の二大政党の対立抗争に巻き込まれ、キングストンの自宅兼音楽事務所は5人の賊によって狙撃され、与・野党の政治抗争に巻き込まれ、ボブ・マーリーはアメリカへの亡命をよぎなくされた・・・
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←自宅兼音楽事務所/Bob Marley Museum|Kingston
そして、伝説となった音楽が時代を変える瞬間が生まれる・・・
1978年、JLP党員のクローディアス・アソップとPNP党員のアストン”バッキー”マーシャルの2人の人物がジャマイカに平和を呼び戻すため、ピース・ムーヴメントと呼ばれる平和運動グループを設立。ボブ・マーリーは4月22日ジャマイカに舞い戻り、3万人の群衆に埋め尽くされたキングストンの「ワンラブ・ピース・コンサート」に出演し、見に来ていたマイケル・マンリーとエドワード・シアガの2人の党首をステージ上に招き、和解の握手をさせる・・・
(Bob with Manley and Seaga )→
それは、ジャマイカという国がレゲエという音楽を通じて、今までのあらゆる争いを乗り越えて、和解という素晴らしい感動の一瞬を味わい、そして今までの20年間にわたる悪夢をもみ消すように、ボブ・マーリーの「ワン・ラブ」を合唱し「ワンラブ・ピース・コンサート」は幕を閉じた・・・
ボブ・マーリー:Bob Marley (1945年〜1981年) 出生名/ロバート・ネスタ・マーリー:Robert Nesta Marley |
ボブ・マーリーは1981年、以前から発症していた癌がもとで全身に転移し、
療養先のドイツからジャマイカに向けて帰国の途中で容態が悪化、
アメリカ・フロリダ州の病院で妻と母に見届けられ、
脳腫瘍と癌の肺への転移により、36年の短い生涯を終えた・・・
同月21日、キングストンにて国葬され、我々の心に響く数々のレゲエ・ミュージックと共に、
感情や情念の様な深い心の何かを鋭い感性と云う武器で我々の心に刻み込み、
「One Love」と云う伝説を残して時代の彼方に消えていった・・・
出生名 ロバート・ネスタ・マーリー :Robert Nesta Marley
(1945年〜1981年)
(以下・参考サイト)
ボブ・マーリー(Bob Marley、1945年2月6日 - 1981年5月11日、出生名ロバート・ネスタ・マーリー Robert Nesta Marley)は、ジャマイカのレゲエミュージシャン。その音楽はラスタファリ運動の思想を背景としており、彼の音楽と思想は数多くの人々に多大な影響を与えた・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/ボブ・マーリー
Official Bob Marley website
http://www.bobmarley.com/
http://www.seyeneco.com/pages/pictures/jamaica/bob_marley_museum/
http://ja.wikipedia.org/wiki/ラスタファリ運動
http://ja.wikipedia.org/wiki/ボブ・マーリー%26ザ・ウェイラーズ
http://ja.wikipedia.org/wiki/ボブ・マーリー%26ザ・ウェイラーズの作品
http://ja.wikipedia.org/wiki/悪性黒色腫
I AM LEGEND/ボブ・マーリィ来日コンサート(1979年4月) | 海水魚がいる癒しの空間
http://aquariumzone.jp/archives/94
ラスタファリニズム
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/rastafarinism.htm
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Live/9130/vol31.html
http://www.geocities.jp/spmtt573/colmun02.htm
http://iyashitour.com/archives/27135
http://iyashitour.com/archives/27132
http://iyashitour.com/archives/27132#page1
http://iyashitour.com/archives/27132/2
http://iyashitour.com/archives/27135#page1
http://iyashitour.com/archives/27135/2
<第三世界が生んだ20世紀最大のポップ・ヒーロー>
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/bob-marley.htm
スティーブン・デイビス著「ボブ・マーリー、レゲエの伝説」より
http://www.ruff-cut.com/rasta/BOBMARLEY2.html
http://www.ruff-cut.com/rasta/BOBMARLEY2.html#SMILE
http://ja.wikipedia.org/wiki/ワン・ラヴ/ピープル・ゲット・レディ
https://downthebumpyroad.wordpress.com/
https://downthebumpyroad.wordpress.com/2014/10/20/a-deep-bow-to-mother-nature/
Downtown Kingston
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=appsfch2&p=Downtown+Kingston
http://www.seis-micent.com/?p=2387
http://tabisite.com/gallery_am/jamaica/kgt.shtml
http://artis3live.estuarypr.com/tag/treasure-beach/
Best Of Bob Marley
https://www.youtube.com/watch?v=K69A1lL1PHQ
http://ja.wikipedia.org/wiki/スカ
http://ja.wikipedia.org/wiki/ロックステディ
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャマイカ
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャマイカの歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャマイカ国王
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャマイカの総督
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャマイカの首相
ジャマイカ|ジャマイカ政府観光局
http://www.visitjamaica.jp/
Jamaica
http://wheredreamslead.com/best-sandals-resort-in-jamaica/
http://www.weddinglocation.com/jamaica-weddings/
http://jamaicainn.com/resort/beach.php
http://blogs.yahoo.co.jp/nagacumatz04/38246443.html
The Marley Museum on Hope Road - Kingston JA
https://theblackhistorymonthproject.wordpress.com/2012/02/06/robert-nesta-marley/
「ワン・ラヴ」は長年ジャマイカの観光を宣伝する曲として使用されている。
2010年には日本の大和証券グループ本社がCMソングに採用した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ワン・ラヴ/ピープル・ゲット・レディ
http://salvation.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/_bob_marley_the_3825.html (訳文サイト)↑ |
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