あるく奈良-17 [薬師寺]
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小雨も上がり雲間から少し陽が顔を覗かせる梅雨空を、唐招提寺から南の薬師寺へ歩き出す・・・
歩いていると声がする・・・
「何か古都は古都でも京都にくらべて・・・」
「この辺はちょっと小洒落た風景とちゃうね〜・・・」
「廻りは田んぼやし、お店も少ないし・・・」
言われてみれば・・・
万葉集と古今和歌集の違いの様に、
古都でも京都の嵐山や洛北にくらべれば、
それほど都会的な、きりっとしたキレも無く、
京都のような観光、観光と云うおしつけも無く、
万葉の自然がそのままかな〜?・・・と、
思える様な、のんびりとした時が流れ、
かなり、でれ〜とした田舎と云える・・・
で、その万葉自然のなかを、
徒歩約5〜6分程で薬師寺にたどり着く・・・
薬師寺|奈良市西ノ京|Googleマップ
(2015年6月6日撮影)
世界遺産「薬師寺」(やくしじ)
興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基は天武天皇、道昭、義淵である。
薬師寺は天武天皇9年(680年)に、後の持統天皇である皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、その後、和銅3年(710年)の平城京への遷都に際して、薬師寺は飛鳥から平城京の六条大路に面した右京六条二坊の現在地に移転、天平2年(730年)に東塔(三重塔)が完成する。
20世紀半ばには江戸時代後期仮再建の金堂、講堂が建ち、創建当時の伽藍は焼け残った東塔だけであった。1960年代以降、高田好胤が写経勧進による白鳳伽藍復興事業を進め1976年に金堂が再建され、中門、回廊の一部、大講堂などが再建された。再建には、「鉄は持って数百年程度、木材は千年持つ」と主張する宮大工の西岡常一と、「台風や地震、火災から鉄筋コンクリート補強が望ましい」と主張する竹島卓一(元名古屋工業大学)の意見が衝突し、西塔は鉄の使用を極力少なくし木材の乾燥収縮を考慮して東塔より約30センチ高くして再建された・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/薬師寺
「薬師寺・金堂・西塔」
金堂の手前には東塔・西塔の二つの三重塔がそびえたち、西塔は1981年(昭和56年)に再建。本瓦葺、高さ 33.9m、西塔の高さは東塔より30cm高い。
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西岡 常一(にしおか つねかず)は、奈良県斑鳩町法隆寺西里出身。祖父西岡常吉、父西岡楢光はともに法隆寺の宮大工棟梁。1924年(大正13年)生駒農学校卒業後は見習いとなり、1928年(昭和3年)大工として独立し、法隆寺修理工事に参加、1934年(昭和9年)には法隆寺東院解体工事後、法隆寺棟梁となる・・・
1970年(昭和45年)より薬師寺管主高田好胤の悲願であった薬師寺金堂、同西塔などの再建を棟梁として手掛ける。これらのプロジェクトにおいては、時として学者との間に激しい論争や対立があったが、西岡は一歩も引かず自論を通し、周囲から「法隆寺には鬼がおる」と畏敬を込めて呼ばれていた。特に薬師寺再建に関しては「プロジェクトX」で取り上げられて紹介されている。また途絶えていた「槍鉋(ヤリガンナ)」などの道具の復活を行う・・・
曰く・・・「200年後には同じ高さになるやろう...」
http://ja.wikipedia.org/wiki/西岡常一
シルクロードの終着点となる奈良・・・
「西遊記」で有名な玄奘三蔵のご頂骨を、1981年(昭和56年)に分骨を拝受し、2000年(平成12年)玄奘三蔵院伽藍を、平山郁夫の「大唐西域壁画」と共に建立。年4回公開される。
「大唐西域壁画」平山郁夫作
平山画伯の30年に及ぶ取材旅行の集大成として、4千枚を超えるスケッチを基に、約20年かけて描かれた、7場面・13壁面の大唐西域壁画、玄奘三蔵が旅したシルクロードの世界・・・
http://www.nara-yakushiji.com/
guide/garan/garan_genjyo.htm
(以下・参考サイト)
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相 宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者 )は天武天皇、道昭、義淵である。1998年(平成10年)に古都奈良の文化財の...
http://ja.wikipedia.org/wiki/薬師寺
奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site
http://www.nara-yakushiji.com/
「薬師寺吉祥天像」(やくしじ きちじょうてんぞう)
奈良時代の吉祥天の画像で、奈良県薬師寺に所蔵されている。1951年、日本の国宝に指定された。「吉祥天女画像」とも称する・・・
サイズは53.0×31.7センチメートル。麻布に描かれ、額装仕立てになっている。
本作品は吉祥悔過会(きちじょうけかえ)の本尊像として製作されたものと推定される。吉祥悔過会とは奈良時代に始まったもので、年の初めに宮中や諸大寺において吉祥天像を祀り、過去の罪障を悔い改めるとともに、国家の繁栄や国民の幸せ、五穀豊穰などを願って営まれたものである・・・
本画像は通常は非公開で、正月の吉祥悔過会の際(1月1日 - 15日)に金堂薬師三尊像の前に安置されるほか、薬師寺大宝蔵殿の特別開扉の時などに公開されることがある・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/薬師寺吉祥天像
玄奘三蔵院伽藍『大唐西域壁画』公開期間
http://guide.travel.co.jp/article/3708/
仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護
http://blog.goo.ne.jp/supika09/e/b631c113bb18cf238a237018b0df336b
高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22 日)は、法相宗の僧。薬師寺元管主。法相宗管長。分かりやすい法話により「話の面白い お坊さん」、「究極の語りのエンタテイナー」とも呼ばれ、そこから百万巻写経勧進の道 ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/高田好胤
西岡 常一(にしおか つねかず、1908年(明治41年)9月4日 - 1995年(平成7年)4月11日)は、宮大工。その強烈な職人堅気で摩擦も多かったが、一方では多くの人々との交流もあっ た。とくに薬師寺管主高田好胤とは薬師寺伽藍再建との関わりが深く、常一が最も影響 を受けた僧侶の一人であった。もともと高田は師の ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/西岡常一
平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 2009年12月2日)は日本画家、教育者。 日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京藝術大学学長を務めた。 文化勲章受章者。称号は広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市...
http://ja.wikipedia.org/wiki/平山郁夫
丹塗り - 社寺建造物美術協議会
http://shabikyo.org/soushoku03.html
http://www.konishi-da.jp/jigyou/ninuri.html
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