あるく奈良-25 [法隆寺の神無月]
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ここは、世界遺産「法隆寺」・・・
創建は聖徳太子の飛鳥時代、仏教文化の華を開かせた607年(推古15年)、金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍、境内の広さは約18万7千平方メートル、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群・・・
法隆寺|斑鳩|奈良県|Googleマップ
(2015年10月15日撮影)
世界遺産「法隆寺」(ほうりゅうじ)
法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。
法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/法隆寺
推古天皇と聖徳太子は601年(推古9年)飛鳥からこの地に移り、用明天皇の遺願を継いで、607年(推古15年)に斑鳩寺として建立。670年(天智9年)に火災で一度失われその後再建され、711年(和銅4年)に五重塔初層安置の塑像群や中門安置の金剛力士像、五重塔や中門を含む西院伽藍全体が完成したと云われている。その1,400年に及ぶ歴史から国宝・重文に指定されたものは約190件、点数にして2,300余点に及んでいる・・・
↓(金堂-飛鳥時代)
秋となれば・・・
生涯に20万を超える句を詠んだ正岡子規は、1895年(明治28年)5月に記者として日清戦争に従軍中に喀血し、神戸に入院後、故郷松山で養生し、当時書かれた「坊ちゃん」の英語の先生だった夏目漱石の下宿で50日ほど仮寓、その後病状がよくなり10月下旬に帰京するが、その途中で奈良に数日滞在し、誰もがご存知の句が生まれている・・・
法隆寺の茶店に憩ひて...
「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 正岡子規
1895年(明治28年)11月8日号「海南新聞」
そして、この斑鳩の里は、法隆寺を中心に中宮寺、法輪寺、法起寺など、7世紀頃に古代寺院が多く建立され、今も仏教文化が栄えた姿を止めている・・・
で、いにしえの斑鳩は秋、特に秋深まる「神無月」(旧暦10月)だと、
明治から大正の浪漫派詩人「薄田 泣菫」は詠う・・・
薄田 泣菫
(詩集「白羊宮」1906年/明治39年)
ああ、大和(やまと)にしあらましかば、
いま神無月(かみなづき)、
うは葉(は)散り透(す)く
神無備(かみなび)の森の小路を、
あかつき露(づゆ)に髪ぬれて
往(ゆ)きこそかよへ、
斑鳩(いかるが)へ。
平群(へぐり)のおほ野、高草の
黄金(こがね)の海とゆらゆる日、
塵居(ちりゐ)の窓のうは白(じら)み、
日ざしの淡(あは)に、
いにし代の
珍(うづ)の御経(みきやう)の黄金文字、
百済緒琴(くだらをごと)に、
斎(いは)ひ瓮(べ)に、
彩画(だみゑ)の壁に
見ぞ恍(ほ)くる柱がくれのたたずまひ、
常花(とこばな)かざす芸の宮、
斎殿(いみどの)深(ふか)に、
焚(た)きくゆる香(か)ぞ、
さながらの八塩折(やしほをり)
美酒(うまき)の甕(みか)のまよはしに、
さこそ酔(ゑ)はめ。
新墾路(にひばりみち)の切畑(きりばた)に、
赤ら橘(たちばな)葉がくれに、
ほのめく日なか、
そことも知らぬ靜歌(しづうた)の
美(うま)し音色に、
目移しの、ふとこそ見まし、
黄鶲(きびたき)の
あり樹の枝に、
矮人(ちひさご)の樂人(あそびを)めきし
戯(ざ)ればみを。
尾羽身(をばみ)がろさのともすれば、
葉の漂ひとひるがへり、
籬(ませ)に、木(こ)の間(ま)に、
これやまた、
野の法子兒(ほふしご)の化(け)のものか、
夕寺深(ゆふでらふか)に聲(こわ)ぶりの、
讀經(どきやう)や、今か、靜こころ、
そぞろありきの在り人の
魂(たましひ)にしも泌み入らめ。
日は木(こ)がくれて、諸(もろ)とびら
ゆるにきしめく夢殿の
夕庭寒(ゆふにはさむ)に、
そそ走(ばし)りゆく乾反葉(ひそりば)の
白膠木(ぬるで)、榎(え)、楝(あふち)、
名こそあれ、葉廣(はびろ)菩提樹、
道ゆきのさざめき、
諳(そら)に聞きほくる
石廻廊(いしわたどの)のたたずまひ、
振りさけ見れば、
高塔(あららぎ)や、
九輪の錆(さび)に入日かげ、
花に照り添ふ夕ながめ、
さながら、緇衣(しえ)の裾(すそ)ながに
地に曳きはへし、
そのかみの學生(がくじやう)めきし
浮歩(うけあゆ)み、
ああ大和にしあらましかば、
今日神無月、日のゆふべ、
聖(ひじり)ごころの暫(しば)しをも、
知らましを、身に。
(以下・参考サイト)
ご当地グルメ「柿の葉寿司」&三輪素麺・・・
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柿の葉寿司「平宗」
http://www.hiraso.jp
店舗のご案内|路面店|法隆寺店
http://www.hiraso.jp/store/road/houryuji.html
柿の葉すし本舗「たなか」
https://www.kakinohasushi.co.jp
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一口大の酢飯に鯖や鮭などの切り身と合わせ、柿の葉で包んで押しをかけたすし。柿の葉は剥がして食べる・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/柿の葉寿司
奈良県三輪素麺工業協同組合
http://www.miwasoumen-kumiai.com
https://ja.wikipedia.org/wiki/三輪素麺
法隆寺オフィシャルサイト|聖徳宗総本山
交通案内 - 境内図 - 法隆寺略縁起 - 法隆寺の四季
http://www.horyuji.or.jp
法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。聖徳宗の総本山である。別名は斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺など
https://ja.wikipedia.org/wiki/法隆寺
https://ja.wikipedia.org/wiki/法隆寺献納宝物
https://ja.wikipedia.org/wiki/法隆寺地域の仏教建造物
https://ja.wikipedia.org/wiki/法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘
夢殿 - 法隆寺
http://www.horyuji.or.jp/yumedono.htm
法隆寺の歴史法隆寺のことが全てわかるサイト
http://www.horyuji.asia/entry5.html
奈良 法隆寺観光|いかるがの里観光案内所
法隆寺iセンター
http://www4.kcn.ne.jp/~ikaru-i/
(画面をクリックすると、600 x 857pixに拡大します)→
https://ja.wikipedia.org/wiki/正岡子規
薄田 泣菫(すすきだ きゅうきん、1877年(明治10年)5月19日 - 1945年(昭和20年)10 月9日)は、日本の詩人・随筆家。本名、淳介(じゅんすけ)。 『暮笛集』『白羊宮』などで島崎藤村、土井晩翠の後を継ぐ浪漫派詩人として登場。また、象徴派詩人として蒲原 ...
1917年、パーキンソン病に罹患。1919年、大阪毎日新聞社学芸部部長に就任し西宮市に在住、自邸を「雑草園」と名づけた。芥川龍之介を社員として招聘して多くの文章の発表場所を与えたが、1923年、病気が悪化したため、休職。晩年は口述したものを夫人が筆記していた。1945年10月4日、意識不明となり疎開先から連島に戻ったが、9日に尿毒症で死去した。68歳没...
https://ja.wikipedia.org/wiki/薄田泣菫
木村真理子の文学|ああ大和にしあらましかば 訳
http://blog.goo.ne.jp/mariko_kimura/e/0b26b73bc79344cea9dc808d294aa022
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