ぶらり京都-96 [琳派の風神雷神図屏風]-琳派400年記念-
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それから遥か100年後の江戸時代は元禄の終わり頃、尾形光琳に受け継がれ・・・
その又100年後の文化文政の頃に酒井抱一や鈴木基一へと伝承された「琳派:Rinpa」を京都国立博物館で垣間見る・・・
京都国立博物館|京都市東山区|Googleマップ (2015年10月28日撮影)
「琳派 京(みやこ)を彩る」 -琳派400年記念-
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特に模写として有名な、75年ぶり(10/27〜11/8の期間のみ)に関西で一同に展示された、
三人三様の「風神雷神図屏風」を観る・・・
http://rinpa.exhn.jp
琳派誕生400年記念
「琳派 京(みやこ)を彩る」
会期:2015年10月10日(土)~11月23日(月・祝)
会場:京都国立博物館 平成知新館
交通:JR、近鉄、京阪電車、阪急電車、市バス
休館日:月曜日
※月曜日が祝日の場合は開館し、翌火曜日休館
開館時間:午前9時30分から午後6時まで
(入館は午後5時30分まで)
※ただし会期中の毎週金曜日は午後8時まで
(入館は午後7時30分まで)
観覧料
一般:1,500円(1,300円)
大学生:1,200円(1,000円)
高校生:900円(700円)
中学生以下:無料
http://www.kyohaku.go.jp/jp/special/
「風神雷神図屏風」は、当時の京(みやこ)で豪商で歌人でもあった打它公軌(うだ きんのり)?〜正保4年(1647年)が、寛永14年(1637年)からの京都・妙光寺再興の際に製作を依頼したとされるが、元和末期(1624年)頃の作だとも云われ、それを示す直接の文書はなく、それ以外に制作事情や伝来についての史料は見つかっておらず、後年の1818年から1829年頃に建仁寺に渡たり、現在は建仁寺から京都国立博物館に寄託され、建仁寺には現在、陶板焼きとレプリカが展示されている・・・
本阿弥光悦と俵屋宗達に始まった「琳派:RIMPA」は、戦国時代が終わり桃山時代へ、そして江戸時代へと激動の時代をくぐり抜け、光悦は1615年(元和元年)に徳川家康から鷹峯の地を拝領し、本阿弥一族や町衆、職人などの法華宗徒仲間を率いて移住し、洛北鷹峯に芸術村を築き、1637年(寛永14年)に79年の時を終え、宗達は「風神雷神図」を完成させ、1642年前後(寛永19年)におおよそ72年の生涯を終えた・・・
二人の死から約100年ほどの歳月が流れ・・・
尾形光琳の曽祖父の尾形道柏・夫人は本阿弥光悦の姉であり、光悦と光琳は遠い姻戚関係にあり、光琳は宗達を慕い妙光寺にあった「風神雷神図」を模写し、幕府御用絵師の狩野派とは別の、京の富裕な公家、豪商、お寺などを顧客とし、弟の乾山と共に「光琳模様」と云われる簡略した明快で装飾的な様式に凛とした気品を漂わせ「琳派」として時代に登場し、1716年(正徳6年、享保元年)京の新町通り二条下ルで58年の生涯を終える・・・
そして、光琳の死後100年の歳月が流れ・・・
光琳の模本「風神雷神」は、江戸の将軍の父親が所有しその絵を観る事が出来た姫路城藩主の次男の酒井抱一は、宗達の屏風があることなど夢にも思わず、その作品を光琳オリジナルの作品と誤解、かつての光琳と同じように「風神雷神図」を模写する。そして時代は幕末の文化・文政期の1815年(文化12年)、抱一は光琳の模写はおろか、自宅の庵(雨華庵)で光琳百回忌法要を行い、弟子の鈴木其一と共に、光琳からより優雅で明快な装飾的な様式を進化させ「江戸琳派」として再び時代に登場する・・・
それは、狩野派や円山派といった他の江戸時代の流派や北斎漫画の様にマニアルの写本を通じたり、師から直接に画技を学んだのに対し、琳派は受け継がれて行く時代差が約100年程であったり、場所や身分や遠く離れた人々によって受け継がれた事は、他の流派には類を見ない特色であり、同じ題材や独特の技法を意識的に選択・踏襲することで流派のアイデンティティを保持し、絵師独自の発見と解釈を加え再構成し・・・
光琳は「紅白梅図屏風」で、袍一は「風雨草花図」で、歴代の琳派の師を超えて行く。それは、単なるコピーではなく、模写する事によって「琳派」が持つ王朝時代の古典の神髄と、明快で装飾的な意匠感覚をもって「琳派」のもつ「美」の精神(esprit)を継承し、次の時代の中に新たな芸術を生み出してきた・・・
特に、創始の光悦とのコラボに見る宗達の絵は成るにまかせる勢いと子供心の無邪気さや、そして見飽き無いのは人間の視線と思考に呼吸に近い自然なリズムを持っているように感じる・・・
Tawaraya Sōtatsu(生没年不詳?1570年(永禄13年)〜1642年(寛永19年) 国宝|2曲1双・紙本金地着色|(各)154.5×169.8cm 元和末期(1624年)頃の作|建仁寺蔵(京都国立博物館に寄託) (画面をクリックすると1200 x 533pixに拡大します) Ogata Kōrin(1658年:万治元年〜1716年:享保元年) 重要文化財|2曲1双・紙本金地着色|(各)166.0×183.0cm 宝永末年(1710年)頃の作|東京国立博物館蔵 (画面をクリックすると1200 x 533pixに拡大します) Sakai Hōitsu(1761年:宝暦11年〜1829年:文政11年) 2曲1双・紙本金地着色|(各)170.7×170.2cm 文政4年(1821年)頃の作|出光美術館蔵 (画面をクリックすると1200 x 590pixに拡大します) |
↓ 以下は、琳派を継承する鈴木其一の模写「風神雷神図襖」です・・・
Suzuki Kiitsu(1796年:寛政8年〜1858年: 安政5年)
絹本着色|全8面(屏風4枚)|(各)168.0×115.5cm
江戸時代後期|東京富士美術館蔵
(画面をクリックすると1200 x 217pixに拡大します)
http://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=3557
私的に「琳派」の流れは、和歌、俳諧の流れに良く似ているように思う・・・
光悦や宗達の「万葉集」のように大らかな世界から、定家の「古今和歌集」のような計算された一分の隙もないような光琳の世界へ、総てを削ぎ落とし感じたそのものの、芭蕉や子規の「俳句」の世界へと変化していく和歌や俳諧の流れに符合しているように映る。
それは、流派や様式が完成していく過程とはそうゆうものかも知れない・・・
そして、三者の時代背景も光悦や宗達は南蛮文化の影響を持ち、上方の元禄文化を背景にした光琳や、一連の浮世絵が風靡する化政文化の抱一と、三者三様の時代背景を背負いながら生まれ出ている・・・
それらが、三者三様の作品の僅かな部分に、例えそれが模写であっても三者三様に時代を感じるのか、色や形やそれら一連の動きの中で不思議と時代が微妙に見え隠れする・・・
そして、この三者の時代を通して継承し作り上げた「琳派」の「美の方程式」は非常に重い・・
もともと、京で「俵屋」の絵屋を営んでいた宗達は、京の街人にその時々の時代の息吹を吹き込み、今で云うところの団扇や着物などの生活に密着したデザイン屋さんと云える・・・
今でこそデザインも経済的な地盤を持ち、あらゆる人々やあらゆる所に浸透し「美しい」と云う満ち溢れた恩恵の中で暮らし、進化するデジタルの時代にも欠かせないものとして今日を生きているが、
当時、特に宗達の時代に経済性をも含め、どれ程の価値を有していたかを想像するに、それは先のない細い切れそうな糸の様にも映る。作品の美しいと云う感動以上に、そんな「美」を模写しながら必死に学び取る姿を思えば、何か心にジンと来るものがある・・・
そしておそらく...「琳派」は、古きローマやスペイン、パリなどの街の「美」のかおりのように、
街に住む人々が創り出し、よりすぐり、選び抜き、長い年月を磨き抜く、
それはきっと、その街を愛し何千年も住み続けた人々の、美の精神(esprit)の遺産なのだろう・・・
(以下・参考サイト)
産経フォト|写真で深読み、見るニュース
宗達、光琳の風神雷神図 琳派巨匠が競演
京都国立博物館(京都市東山区)で10日から始まる琳派誕生400年を記念した特別展「琳派 京を彩る」の報道向け内覧会が9日行われ、目玉となる俵屋宗達と尾形光琳の「風神雷神図屏風」(国宝と重要文化財)がお披露目された。会期中の10月27日~11月8日には、宗達、光琳に加えて、酒井抱一の「風神雷神図屏風」も同時に鑑賞できる。普段は別々の場所にある3作品がそろうのは関西では75年ぶり・・・
http://www.sankei.com/photo/story/
news/151009/sty1510090005-n1.html
国宝「風神雷神図屏風」俵屋宗達筆 =9日午前、京都市東山区の京都国立博物館(志儀駒貴撮影)
琳派(りんぱ)とは、桃山時代後期に興り近代まで活躍した、同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派、または美術家・工芸家らやその作品を指す名称である。本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって発展、酒井抱一・鈴木其一が江戸 ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/琳派
本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ、永禄元年(1558年) - 寛永14年2月3日(1637年2月27日))は、江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。書は寛永の三筆の一人と称され、 その書流は光悦流の祖と仰がれる・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/本阿弥光悦
俵屋 宗達(たわらや そうたつ、生没年不詳 - 慶長から寛永年間に活動)は、江戸時代初期の画家。通称は野々村宗達。号は「伊年」あるいは「対青軒」ほか。宗達は尾形光琳と並び称せられる、近世初期の大画家だが、その知名度の高さと後世への影響の大きさに比べ、その伝記には不明な点が多く、生没年さえわかっていない・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/俵屋宗達
尾形 光琳(おがた こうりん、万治元年(1658年) - 享保元年6月2日(1716年7月20日))は、江戸時代の画家。工芸家。後代に「琳派」と呼ばれる装飾的大画面を得意とした画派を生み出した始祖であり、江戸時代中期を代表する画家のひとりである・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/尾形光琳
尾形 乾山(おがた けんざん、 寛文3年(1663年) - 寛保3年6月2日(1743年7月22日)は、江戸時代の陶工、絵師。六歳年上の兄は尾形光琳である・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/尾形乾山
酒井 抱一(さかい ほういつ、 宝暦11年7月1日(1761年8月1日) - 文政11年11月29日( 1829年1月4日))は、江戸時代後期の絵師、俳人。 権大僧都。本名は忠因(ただなお)、 幼名は善次、通称は栄八、字は暉真(きしん)・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/酒井抱一
鈴木 其一(すずき きいつ、寛政8年(1796年)4月 - 安政5年9月10日(1858年10月16日))は、江戸時代後期の絵師。江戸琳派の祖・酒井抱一の弟子で、近代に通じる都会的洗練化と理知的な装飾性が際立ち、近代日本画の先駆的な絵師だと位置づけられる・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木其一
仁王門のある頂妙寺
頂妙寺のお墓には、風神雷神図屏風で知られる俵屋宗達(たわらや そうたつ)も眠っています。宗達の墓は石川県にも残されていて、実は晩年も出自も詳しくは分かっていない人物です。しかし、日本のレオナルド・ダ・ヴィンチとも呼ばれるほどの才能持った芸術家、本阿弥光悦に見出され、その個性あふれる作風は当時から高い評価を得ていました。頂妙寺には「牛図」が伝わり、京都国立博物館に寄託されています。
http://kyoto-tabiya.com/blog_higashiyama/仁王門のある頂妙寺/
俵屋宗達 Tawaraya Sotatsu
江戸時代前期 | 日本 | 琳派・絵師
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/sotatsu.html
俵屋 宗達(たわらや そうたつ)の代表作品・経歴・解説
http://lempicka7art.blog.fc2.com/blog-entry-149.html
養源院 金地着色松図(養源院 白象図 唐獅子図杉戸絵)
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=4&ManageCode=1000108
養源院(桃山御殿 血天井、宗達筆襖、杉戸絵)
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000229
「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」
(部分)
俵屋宗達 画
本阿弥光悦書
巻物
(高さ34.0×長さ1356.0cm)
京都国立博物館蔵
重要文化財
[ブログ内関連記事]
琳派の「鶴」‧ ‧ ‧
"Gunkaku zu Byōbu"
http://guchini.exblog.jp/
22363087/
本阿弥 光悦
ほんあみ こうえつ、永禄元年(1558年〜寛永14年2月3日:1637年2月27日)江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる・・・
←舟橋蒔絵硯箱(ふなばしまきえすずりばこ)
本阿弥光悦 作
木製漆塗
縦24.2 横22.9 高11.8
江戸時代(17世紀)/国宝
東京国立博物館蔵
←八橋蒔絵螺鈿硯箱
(やつはしまきえらでんすずりばこ)
尾形光琳 作
1合/木製漆塗
縦27.3 x 横19.7 x 高14.2cm
江戸時代(18世紀)/国宝
東京国立博物館蔵
美術雑誌『聚美』の公式サイト|俵屋宗達
http://www.seigetsusha.co.jp/shubi/archives/pg36.html
←唐獅子図杉戸|白象図杉戸|京都・養源院
http://www.seigetsusha.co.jp/
shubi/_src/sc372/shubi07_P024-25.jpg
桃山-江戸時代・17世紀頃|各155.5×170cm | 2曲1双・紙本金地著色 | 醍醐寺蔵
(奈良時代あたりにアジア大陸諸国から伝来した舞と音楽の融合芸能文化で、公家や神道寺院とも縁の深い「舞楽」で、右隻が「採桑老」「納曽利」、左隻が「羅陵王」「還白楽」「崑崙八仙」の五種類の有名な舞楽演目を描いた作品)
http://www.kyotodeasobo.com/art/houmotsukan/daigoji-temple/04daigoji-3.html#.VRdU2CgubCo
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/sotatsu.html
(上の写真は画面をクリックすると1000×448ピクセルに拡大します)
「養源院:ようげんいん」は、京都市東山区にある浄土真宗遣迎院派の寺院。蓮華王院(三十三間堂)の東向かいに位置する。養源院の寺名は浅井長政の院号から採られた。もと天台宗・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/養源院
京都「養源院」で俵屋宗達の絵を見る
http://blogs.yahoo.co.jp/genkikidx/22408872.html
京都散歩ナビ|養源院
http://kyoto-sampo.jp/kanko/yogenin.html
http://kyoto.wakasa.jp/detail/25/861/
http://kofuntonekosukoshi.blogspot.jp/2013/05/blog-post_14.html
慶長(けいちょう)は、日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。http://ja.wikipedia.org/wiki/慶長
寛永(かんえい)は、日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1645年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。http://ja.wikipedia.org/wiki/寛永
http://kotobank.jp/word/永禄
東京国立博物館-トーハク-の公式サイト
尾形光琳生誕350周年記念「大琳派展-継承と変奏-」
※2008年10月28日(火)~11月16日(日)まで、4つの「風神雷神図」を同時にご覧いただけます・・・
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=559
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