・・自然と楽しく暮らす・・
by -Guchini-
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
▼2015年・最新の記事
---お知らせ---

ご覧の「感性の時代屋」は
画像容量が一杯となり、
2016年1月1日より
新たに「続・感性の時代屋」として始まりました・・・ !!
f0190950_19535875.jpg
「続・感性の時代屋」のサイトは ↓
http://guchini2.exblog.jp
以下の記事覧は現在調整中 !!
加筆や写真の修正、レイアウトの変更など
補足修正する予定です・・・
---しばらく調整します---





▼2015年の記事--------------
感性の時代屋について・・・
Walk神戸-19 [北野坂からXmas]
ぶらり京都-102 [鞍馬の天狗]
ぶらり京都-101 [貴船神社]
ぶらり京都-100 [大原・寂光院]
ぶらり京都-99 [大原・宝泉院...周辺]
ぶらり京都-98 [大原・三千院]
叡山・延暦寺「最澄の秋」Vol.2
叡山・延暦寺「最澄の秋」Vol.1
高野山「空海の秋」Vol.2
高野山「空海の秋」Vol.1
ぶらり京都-97 [大徳寺-利休の三門]
ぶらり京都-96 [琳派の風神雷神図]
あるく奈良-26 [中宮寺と法輪寺..]
あるく奈良-25 [法隆寺の神無月]
あるく奈良-24 [法起寺]
あるく奈良-23 [石舞台と高松塚]
あるく奈良-22 [天武持統天皇陵]
あるく奈良-21 [橘寺]
あるく奈良-20 [飛鳥寺]
あるく奈良-19 [岡寺]
あるく奈良-18 [明日香村稲渕棚田]
琵琶湖周遊-4「八幡堀」
琵琶湖周遊-3「玄宮園」
琵琶湖周遊-2「彦根城」
琵琶湖周遊-1「メタセコイア並木道」
暑い夏の終わりはバルの夜
筆触は「筆を選ばず」・・・
感性の数式「内藤多仲のタワー六兄弟」
大阪「天神祭」
ぶらり京都-95 [続・伏見稲荷大社]
「織姫」と「彦星」の戎神社?
ぶらり京都-94 [渡月橋の鵜飼い船]
ぶらり京都-93 [上七軒]

ぶらり京都-92 [千本釈迦堂]
大阪の「青い色やねん」
フォンタナの「切り裂かれたキャンバス」
あるく奈良-17 [薬師寺]
あるく奈良-16 [唐招提寺の緑]
「さくらんぼの実る頃」
ボブ・マーリーの「One Love」
葛城山「霧に煙るツツジの群生」
あるく奈良-15 [元興寺]
ロダン「愛の終着駅」
ぶらり京都-91 [京都あいまい品質]
淡路島-Vol.7「国営明石海峡公園」
淡路島-Vol.6「あわじ花さじき」(春編)
ぶらり京都-90 [大覚寺の行く春]
ぶらり京都-89 [16世桜守・藤右衛門]
ぶらり京都-88 [賀茂川河畔の桜]
ぶらり京都-87 [京都御所]
ぶらり京都-86 [金戒光明寺]
ぶらり京都-85 [真如堂]
ぶらり京都-84 [哲学の道周辺]
ぶらり京都-83 [南禅寺楼門五三桐]
ぶらり京都-82 [高瀬川桜の水路]
ぶらり京都-81 [東本願寺と渉成園]
ぶらり京都-80 [西本願寺]
ぶらり京都-79 [六孫王神社]
ぶらり京都-78 [東寺の不二桜]
綾部山梅林の観梅
ぶらり京都-77 [琳派400年記念祭]
ぶらり京都-76 [二条城の梅]
デ・キリコの「哲学仕掛けの風景」
大阪・服部緑地の「椿‬」・・・
白い花嫁「レカミエ夫人‬」の肖像
Walk神戸-18 [春節祭]
美しき光りの魔術「レンブラントの末裔...」
キヨッソーネの "Giappone"
西洋画の「横たわる裸婦」たち‧‧‧
十日戎の「福」詣で・・・
ぶらり京都-75 [雪の初詣]
初春 [2015・1・1]



記事ランキング
検索
タグ
カテゴリ
┃以┃前┃の┃記┃事┃一┃覧┃
▼2014年の記事--------------
Osakaから"Xmas"
デュフィ「テキスタイルの...」
ぶらり京都-74[下鴨神社]
ぶらり京都-73[瑞巌山-圓光寺]
ぶらり京都-72[高雄のもみじ]
ぶらり京都-71[槇尾山西明寺]
ぶらり京都-70[鳥獣戯画高山寺]
ぶらり京都-69[阿弥陀-豊国廟]
モネの人物画「マダム・モネ」
淡路島-5「あわじ花さじき」秋
淡路島-4「明石海峡大橋」
Walk神戸-17[竹中大工道具館]
ぶらり京都-68[河井寛次郎・館]
食は日本にあり-9[日本酒]
ボブとスージーの「風に吹か..」
「天才たちの恋人」マーラー
三田 裕巳の世界
晴耕雨画-11[流木のオブジェ]-2
彦馬の「亀山社中」
淡路島-3「あわじ花さじき」夏
淡路島-2「本福寺・水御堂」
淡路島-1「淡路夢舞台」
あるく奈良-14[なら燈花会]
Walk神戸-16[神戸・花火大会」
もち歌...もち色?...「和色?」
横尾忠則から「昭和」の残像...
バラの季節-9[バラ図鑑] Vol.2
琳派の「鶴」"Gunkaku zu By
しんあさひ風車村の「花菖蒲園」
大阪万博から...時の便り
ぶらり京都-67[平安神宮花菖蒲]
バラの季節-8[靭公園のバラ園]
琳派の「八橋図屏風」
フリーダ・カーロの「悲しい絵」
ぶらり京都-66[葵祭]
和気「藤の廻廊」
あるく奈良-13[法華堂]
あるく奈良-12[春日若宮神社]
あるく奈良-11[萬葉植物園の藤]
グランフロントのインスタ...
サバンナを駆ける...TingaTing
「又兵衛桜」のゆく春
吉野桜の「一目千本」
Walk神戸-15[神戸・王子動物園
ぶらり京都-65[上賀茂神社]
ぶらり京都-64[半木の道]
ぶらり京都-63[祇園・夜桜]
ぶらり京都-62[御所・近衛の桜]
ぶらり京都-61[京都府立植物園]
ぶらり京都-60[桜の平野神社]
ぶらり京都-59[嵐電・桜...]
ぶらり京都-58[嵐山・祐斎亭]
ぶらり京都-57[嵐山・法輪寺]
ぶらり京都-56[嵐山・千光寺]
キンケラ・マルティンの...
パリ発...?「ロココ」
大阪天満宮の「盆梅展」
大阪城梅林の「梅見」
The「鳴尾物語」Vol.3
The「鳴尾物語」Vol.2
The「鳴尾物語」Vol.1
アルフォンス・ミュシャの...
パリに死す「3人の街角」
ぶらり京都-55[京のゆきふり]
食は日本にあり-8[はりはり鍋]
初春[2014・1・1]
▼2013年の記事--------------
「絵」の音色...感性間知覚
甲子園ホテルから Joyeux Noel
シャーガールの「夜想曲」
アンリ・ルソー「植物園...」
ぶらり京都-54[方広寺の正面通]
ぶらり京都-53[秋の高瀬川]
ぶらり京都-52[養源院の宗達]
ぶらり京都-51[来迎院と含翠軒]
ぶらり京都-50[今熊野観音寺]
ぶらり京都-49[東福寺方丈庭園]
ぶらり京都-48[東福寺通天橋]
明石のひるあみ「魚の棚商店街」
世界遺産「姫路城」現在修理中
秋色の書寫山「圓教寺」
Walk神戸-14[南京町]
Walk神戸-13[ビエンナーレ]
Walk神戸-12[港・神戸]
武庫川コスモス園
大阪南から[通天閣&ハルカス]
インスタレーションのキャンバス
ストリートアートの"Banksy"
バスキア「27年の落書き」
食は日本にあり-7 [ブータン]
その名は「エル・グレコ」
遥かなる航路・ジャポネサムライ
食は日本にあり-6[かき氷一丁]
ぶらり京都-47[祇園祭・宵山]
アルベール・カーンのネガとポジ
カンディンスキー[抽象画の扉]
近松門左衛門の「道行」
時と空間[人類わずか2,000年]
水無月の「花菖蒲」」
バラの季節-7[バラの谷の香り]
バラの季節-6[バラ図鑑] Vol.1
ゴッドマザー "Godmother"
黄菖蒲の風景
ココ・シャネルの C'est la vi
大阪なう[グランフロント大阪]
鯉のぼり...およぐオリジナル
あるく奈良-10[二月堂]
あるく奈良-9[萬葉植物園]
あるく奈良-8[春日大社]
あるく奈良-7[奈良公園飛火野]
あるく奈良-6[興福寺の藤]
箱根周遊 - (後編)
箱根周遊 - (前編)
武庫川湖畔の「桜」
ぶらり京都-46[疏水のゆく春]
ぶらり京都-45[蹴上げの桜路線]
ぶらり京都-44[知恩院三門]
ぶらり京都-43[円山公園]
ぶらり京都-42[清水坂の春]
ぶらり京都-41[淀川河川公園]
ぶらり京都-40[石清水八幡宮]
客船[Sea Princess]-⑤
客船[Sea Princess]-④
客船[Sea Princess]-③
客船[Sea Princess]-②
客船[Sea Princess]-①
語り合う2つの名画
桜、咲く・・・「小さい春」
細雪の「椅松庵」と陰翳礼讃
ライト坂のひな祭り
ダリ・神の空間
光琳「紅白梅図屏風」の金と銀
幕末ニッポンを描いた風刺画
ミラボー橋の二人
あるく奈良-5[慶派の極彩色]
あるく奈良-4[東大寺大仏殿]
あるく奈良-3 [ならまち]
Walk神戸-11[神戸旧居留地]
謎の写楽 [1/2,000の浮世絵師]
頌春/癸巳 元旦 [2013・1・1]
▼2012の記事--------------
あるく奈良-2[朱雀大路の彼方に]
あるく奈良-1[青丹(あおに)よし]
街角にはクリスマス
大阪・・・[北] と [南]
ぶらり京都-39[愛宕念仏寺]
ぶらり京都-38[化野念仏寺]
ぶらり京都-37[奥嵯峨野]
ぶらり京都-36[落柿舎]
ぶらり京都-35[嵯峨野の竹林]
ぶらり京都-34[二尊院・小倉山]
ぶらり京都-33[常寂光寺の錦秋]
大阪の秋色
箕面のもみじ
菊花の香り
秋風に揺れるコスモス
Walk神戸-10[六甲枝垂れ]
Walk神戸-9[六甲MeetsArt]
Walk神戸-8[六甲MeetsArt]
Walk神戸-7[六甲MeetsArt]
雪舟の「日本」
晴耕雨画-10[流木のオブジェ]2
稀代のパトロン「バロン薩摩」
久々に備前焼へ・・・
スイカのバースデーケーキ
乱世の余興人「梅庵」
残暑お見舞い申し上げます
フィレンツェのヴィーナス
スナップの達人[木村伊兵衛]
ぶらり京都-32[宇治・平等院]
ぶらり京都-31[宇治・三室戸寺]
ぶらり京都-30[祇園・白川沿い]
ぶらり京都-29[平安神宮神苑]
大坂「適塾」
Walk神戸-6[神戸布引ハーブ園]
Walk神戸-5[風見鶏]
Walk神戸-4[北野坂]
Walk神戸-3[相楽園]
バラの季節-5 [中之島公園]
バラの季節-4[バラの三原色]
バラの季節-3[ラ・フランス]
バラの季節-2[平和への祈り]
バラの季節-1[ヴィーナスの誕生]
食は日本にあり-5[生の桜えび..]
廣田神社[コバノミツバツツジ]
ぶらり京都-28[原谷苑の行く春]
ぶらり京都-27[仁和寺の御室桜]
ぶらり京都-26[龍安寺の春]
ぶらり京都-25[伏見稲荷大社]
ぶらり京都-24[伏見桃山城]
ぶらり京都-23[春爛漫の高瀬川]
ぶらり京都-22[醍醐の花見]
桜の夙川河畔[日本桜名所百選]
晴耕雨画-9 [ポロックの模写]
モディリアーニの風景画
松谷 武判の世界
通りすぎた名画-藤田嗣治とキキ]
歩道のナスカ絵
日本語の響き・・・
ゴッホ・炎の旅路
食は日本にあり-4 [ 出会い物 ]
謎の写楽 [1/2,000の浮世絵師]
謹賀新年 [2012・1・1]
▼2011年の記事--------------
御堂筋の銀杏並木
広重の雨「大はしあたけの夕立」
讃岐路-4[豊浜ちょうさ祭]
讃岐路-3[豊浜ちょうさ祭]
讃岐路-2[坂出・丸亀]
讃岐路-1[坂出・丸亀]
切り分けられた名画
オルセーのパトロンたち
フェルメールの青
盛夏 [Summertime]
晴耕雨画-8[抽象絵画は...]
五月の風[一人あたりの公園面積]
つくし誰の子・スギナの子
オリジナリティー[岩窟の聖母]
電子書籍発売後1ヶ月・経過報告
梅一輪[季節は巡る]
電子書籍を発売 !!
北斎とシーボルト[後編]
北斎とシーボルト[前編]
霊峰飛鶴 (れいほうひかく)
▼2010年の記事--------------
大阪から Merry Christmas
晴耕雨画-10[流木のオブジェ]-1
晴耕雨画-9[ポロックの模写?]
晴耕雨画-8[抽象絵画は・・・]
晴耕雨画-7[オデオン通り]
晴耕雨画-6[絵画と観光絵はがき]
晴耕雨画-5[モン・スニ階段]
晴耕雨画-4[パリのエレガンス]
晴耕雨画-3[赤い風車]
晴耕雨画-2[油絵の具の臭い]
晴耕雨画-1[素描モンマルトル]
晩秋の夙川河畔[桜の紅色]
陽溜(ひだま)りに揺れる秋桜
ベティ・オハラ写真展
食は日本にあり-5[生の桜えび]
食は日本にあり-4[出会い物]
食は日本にあり-3[美味しい鮮度]
食は日本にあり-2[即席麺]
食は日本にあり-1[鱧の落とし]
光琳とクリムト[後編]
光琳とクリムト[前編]
黄目と青目[街角の色]
暑中お見舞い申し上げます
ぶらり京都-21[銀閣寺]
ぶらり京都-20[哲学の道]
ぶらり京都-19[水路閣]
ぶらり京都-18[インクライン]
ぶらり京都-17[絶景南禅寺三門]
ぶらり京都-16[永観堂のもみじ]
ぶらり京都-15[木の文化]
ぶらり京都-14[三十三間堂]
ぶらり京都-13[方広寺の梵鐘]
ぶらり京都-12[桜図と智積院]
ぶらり京都-11[長谷川等伯展]
ぶらり京都-10[風神雷神図]
ぶらり京都-9[遠い記憶]
ぶらり京都-8[清水の舞台]
ぶらり京都-7[変身舞妓]
ぶらり京都-6[維新の道]
ぶらり京都-5[八坂神社]
ぶらり京都-4[嵐電の100年]
ぶらり京都-3[金閣寺]
ぶらり京都-2[北野天満宮の梅]
ぶらり京都-1[弥勒菩薩]
イタリアンブロッコリーの食感
桜の通り抜け[127年目の八重桜]
桜(花)のある風景 -5
桜(花)のある風景 -4
桜(花)のある風景 -3
桜(花)のある風景 -2
桜(花)のある風景 -1
十日戎 [商売繁盛で・・・]
大阪の初夢
▼2009年の記事--------------
木を見て森を見ず
Walk神戸-2[神戸ルミナリエ]
Walk神戸-1[長田の鉄人28号」
老舗の身の丈
装丁デザイン[まさか?の一冊]
梅雨の晴れ間に「伊勢詣り」
パリの空の下で-30-水の国
パリの空の下で-29-ほほえみ
パリの空の下で-28-ノイズ
パリの空の下で-27-ブランド
パリの空の下で-26-美の迷い子
パリの空の下で-25-巨匠ピカソ
パリの空の下で-24-地下水路
パリの空の下で-23-消費の伽藍
パリの空の下で-22-民の息吹
パリの空の下で-21-夜の覇権
パリの空の下で-20-人生交差点
パリの空の下で-19-美しき街角
パリの空の下で-18-ユトリロ
パリの空の下で-17-ムーラン街
パリの空の下で-16-モローの橋
パリの空の下で-15-パリと大阪
パリの空の下で-14-知的な香り
パリの空の下で-13-豪華・絢爛
パリの空の下で-12-最後の筆色
パリの空の下で-11-オルセー
パリの空の下で-10-ロダン
パリの空の下で-9-光を追う
パリの空の下で-8-セーヌの流れ
パリの空の下で-7-エスカルゴ
パリの空の下で-6-美の伝承
パリの空の下で-5-見られてる絵
パリの空の下で-4-出会いと別れ
パリの空の下で-3-優美な女神
パリの空の下で-2-パリ美の源流
パリの空の下で-1-美しきもの達
イメージ在庫
藤棚の16年
ガリレオとダヴィンチとローウィ
櫻吹雪のその先は
櫻咲く
イマージン
歌麿の紫 [その名は・紫屋歌麿]
雪舟とダ・ヴィンチ
便利と不便
人がどっからか、わいて来る
カリフラワー&ブロッコリー
資本の果実
白梅[思い出は路の上]
縁の結び目
海葡萄
人生には坂が3つある
読み解き情報
▼2008年の記事--------------
デザイン家具-25-リファレンス
デザイン家具-24-マチエール
デザイン家具-23-エスプリ
デザイン家具-22-成形の彫刻
デザイン家具-21-時空の遺産
デザイン家具-20-Work Chair
デザイン家具-19-色の魔術師
デザイン家具-18-座空間
デザイン家具-17-素/粗/甦
デザイン家具-16-遊/誘/愉
デザイン家具-15-現代建築巨匠3
デザイン家具-14-現代建築巨匠2
デザイン家具-13-現代建築巨匠1
デザイン家具-12-諸行無常
デザイン家具-11-Wire Chair
デザイン家具-10-イギリスの囁
デザイン家具-9-職人ブランド
デザイン家具-8-究極のカーブ
デザイン家具-7-Sofaの触覚
デザイン家具-6-曲木の王者
デザイン家具-5-自由自在
デザイン家具-4-脱脂カラ松
デザイン家具-3-2Rの弾性
デザイン家具-2-Stackingの王者
デザイン家具-1-鳴子物語
桃・栗三年・柿八年
デザイン消耗品
山高ければ、谷深し
伊豆の旅-余・S=1/1絵師の.....
伊豆の旅-4・黒船襲来
伊豆の旅-3・踊子物語
伊豆の旅-2・天城越え
伊豆の旅-1・沼津の色
江戸とモンマルトルの浮世絵師
IDデザイナーの憂鬱
はやりやまい
絵が一人歩きする
旬・鮮度・素材・感性・物
緑の歳月
大阪流「それなんぼ?」
▼2007年の記事--------------
物の心象
田舎からの贈り物
花の色は
ブログパーツ
2013年 11月 29日
ぶらり京都-52 [養源院の俵屋 宗達]
慶長から寛永年間の近世初期に活躍した、俵屋 宗達(たわらや そうたつ:生没年不詳) ・・・
でも、その伝記には不明な点が多く、作品点数はもとより生没年さえわからず、おおよそ1570年(永禄13年・元亀元年)より少し前あたりに生まれ、1642年(寛永19年)の少し前で、おそらく70歳余で亡くなっていると推定されている・・・

そして、その絵が少しまとまって残っているのが「養源院」で、1621年(元和7年)頃に描かれた、
着色杉戸絵(表.獅子・裏.波に麒麟図、表.獅子・裏.白象図)4枚(8面)
金地着色松図(襖8面、戸襖4面)12面
(裏.白象図の表.獅子は現在展示していない)
そしておそらく誰もが知っている、50才頃に描かれただろうと推定されている、1624年の元和末期頃の代表作、建仁寺蔵の「風神雷神図」(現在は京都国立博物館に寄託)を残し、煙のように時代を通りすぎた、画人「俵屋 宗達」を「養源院」に訪ねた・・・
養源院|Googleマップ(2013年11月20日撮影)


f0190950_11385891.jpg

f0190950_11583825.jpg
「養源院」(ようげんいん)
1594年(文禄3年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が1573年(天正元年)信長に謀反をおこし小谷城で自刃した父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建。その後1619年(元和5年)火災により焼失。1621年(元和7年)淀殿の妹である徳川秀忠の正室・お江:崇源院により再興され、本堂は1619年(元和5年)に関ヶ原の戦いの前哨戦、伏見城の戦いで鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し自刃した廊下の板の間を血痕が残る血天井として移築し供養、左甚五郎の鶯張廊下や庭園は小堀遠州の作庭・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/養源院


養源院本堂の入口の土間から奥の間へ順に、分厚い杉の板の引き戸に描かれた動物の杉戸絵の3点・・・


f0190950_993913.jpg
「獅子図」
俵屋 宗達 画/1621年(元和7年)/着色杉戸絵/養源院蔵

(上の写真は画面をクリックすると800×590ピクセルに拡大します)


f0190950_15111410.jpg
「波に麒麟図」
俵屋 宗達 画/1621年(元和7年)/着色杉戸絵/養源院蔵

(上の写真は画面をクリックすると800×560ピクセルに拡大します)


f0190950_93927.jpg
「白象図」
俵屋 宗達 画/1621年(元和7年)/着色杉戸絵/養源院蔵

(上の写真は画面をクリックすると800×590ピクセルに拡大します)



本堂内部の杉戸絵「白象図」の全体写真・・・注(院内は写真撮影は禁止でネットから総て抜粋)
f0190950_1016436.jpg

そして下の「金地着色松図」、本堂松の間の襖4面、左右2枚の右面とその部分拡大・・・

f0190950_9531517.jpg
「金地着色松図」
俵屋 宗達 画/1621年(元和7年)/4面襖絵/養源院蔵

(上の写真は画面をクリックすると1200×390ピクセルに拡大します)

f0190950_1074927.jpg
「金地着色松図」部分拡大
俵屋 宗達 画/1621年(元和7年)/4面襖絵・部分拡大/養源院蔵

Yōgen-in Temple, Higashiyama Ward, Kyoto,Japan




時代は室町から戦国時代へ桃山時代から江戸時代へと激しく動いていた・・・
俵屋 宗達が生まれた頃の1568年(永禄11年)に、信長は足利義昭を奉じて上洛し、義昭を第15代将軍に擁立後の、1579年(天正7年)安土城を完成後、まもなくの1582年(天正10年)本能寺の変で時を終える。1597年(慶長2年)の第2次朝鮮出兵の慶長の役の翌年に豊臣秀吉は死去。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い。そして1603年(慶長8年)征夷大将軍の家康が江戸幕府を開府し、1605年(慶長10年)に徳川秀忠が第2代将軍に就任し、1614年(慶長19年)の大坂冬の陣、夏の陣で大坂城は落城し豊臣家は滅亡。江戸時代が始まり1621年(元和7年)に養源院のこれらの絵が描かれ、その後鎖国を迎えて、俵屋 宗達が亡くなる頃の1634年(寛永11年)には平戸商館を長崎出島に移している・・・

「美」の時代も・・・
きらびやかな桃山文化を金碧障壁画に託した、狩野 永徳が1590年(天正18年)に47歳の若さで過労死し、ライバル長谷川 等伯も江戸に下向する旅中で発病、江戸到着後2日目の1610年(慶長15年)72歳で病死する。そして、数々の合作を生みながら、師とあおぐ本阿弥 光悦も書家、陶芸家、芸術家として1637年(寛永14年)に79年の生涯を終えている・・・

俵屋 宗達(おそらく?1570年前後/永禄13年〜1642年前後/寛永19年)もそんな時代を生きた・・・

そして俵屋 宗達が描いた絵とは・・・
時代も戦国時代の終わりを告げ、京・大阪の上方から江戸を中心とした、江戸幕府の新たな時代を生み始めていた。養源院も当初の淀君による創建も火災により焼失し豊臣時代は終焉し、徳川時代を迎えて、淀君の妹、崇源院(お江)によって再興され、当代一流の俵屋 宗達・小堀遠州・左甚五郎などを集め、その当時の一流どころの、ぴかぴかに輝く時代の断片のように見え、それは明らかに徳川時代の幕開けを、京の街や上方の人々、いや全国に大々的に宣伝する為のもの様にも映る・・・

f0190950_11433865.jpg

そして、俵屋 宗達は師と仰ぐ本阿弥 光悦と共に、激動の時代をくぐり抜け、互いの美の時代を築き上げ、時を終えた・・・

その後「絵」たちも養源院の板戸から抜け出し、彼ら二人が創り上げた王朝時代の古典の神髄と、明快で装飾的な意匠感覚は、ほとんど100年近く経った江戸中期に、尾形光琳(1658年:万治元年〜1716年:享保元年)に引きつがれ「琳派」と呼ばれ、その後はるか海を渡り世界へと羽ばたいていった・・・




(以下・参考サイト)
俵屋 宗達(たわらや そうたつ、生没年不詳 - 慶長から寛永年間に活動)は、江戸時代初期の画家。通称は野々村宗達。号は「伊年」あるいは「対青軒」ほか・・・
宗達は尾形光琳と並び称せられる、近世初期の大画家だが、その知名度の高さと後世への影響の大きさに比べ、その伝記には不明な点が多く、生没年さえわかっていない。おそらく、親交のあった角倉素庵や烏丸光広と同年代、1570年代かその少し前の生まれと推定される ・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/俵屋宗達

仁王門のある頂妙寺
頂妙寺のお墓には、風神雷神図屏風で知られる俵屋宗達(たわらや そうたつ)も眠っています。宗達の墓は石川県にも残されていて、実は晩年も出自も詳しくは分かっていない人物です。しかし、日本のレオナルド・ダ・ヴィンチとも呼ばれるほどの才能持った芸術家、本阿弥光悦に見出され、その個性あふれる作風は当時から高い評価を得ていました。頂妙寺には「牛図」が伝わり、京都国立博物館に寄託されています。
http://kyoto-tabiya.com/blog_higashiyama/仁王門のある頂妙寺/

俵屋宗達 Tawaraya Sotatsu
江戸時代前期 | 日本 | 琳派・絵師
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/sotatsu.html
俵屋 宗達(たわらや そうたつ)の代表作品・経歴・解説
http://lempicka7art.blog.fc2.com/blog-entry-149.html
養源院 金地着色松図(養源院 白象図 唐獅子図杉戸絵)
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=4&ManageCode=1000108
養源院(桃山御殿 血天井、宗達筆襖、杉戸絵)
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000229



f0190950_17214336.jpg「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」
 (部分)


俵屋宗達 画
本阿弥光悦書
京都国立博物館蔵
重要文化財

本阿弥 光悦
ほんあみ こうえつ、永禄元年(1558年〜寛永14年2月3日:1637年2月27日)
江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/本阿弥光悦
f0190950_17321934.jpg
「四季草花下絵古今集和歌巻」(部分)
本阿弥光悦書・俵屋宗達画/畠山記念館蔵/重要文化財




「養源院:ようげんいん」
は、京都市東山区にある浄土真宗遣迎院派の寺院。蓮華王院(三十三間堂)の東向かいに位置する。養源院の寺名は浅井長政の院号から採られた。もと天台宗・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/養源院
京都「養源院」で俵屋宗達の絵を見る
http://blogs.yahoo.co.jp/genkikidx/22408872.html
数奇な運命をたどった、浅井、豊臣、徳川が眠る寺
http://kyoto-higashiyama.jp/shrinestemples/yogenin/
養源院
http://www.doco-ico.net/kyoto/sightseeing/detail/yougennin/
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/yougen-in.htm
京都散歩ナビ|養源院
http://kyoto-sampo.jp/kanko/yogenin.html
http://kyoto.wakasa.jp/detail/25/861/
http://kofuntonekosukoshi.blogspot.jp/2013/05/blog-post_14.html

養源院|庭園|池泉回遊式
小堀遠州の作庭で東山連峰の阿弥陀ケ峯を遠景とし、水が北の池より南の池へ
注ぐ風景を造作したもので、築山部分の涸れ滝石組みがすばらしい。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~inosan/yougenin.html



美術雑誌『聚美』の公式サイト|俵屋宗達
http://www.seigetsusha.co.jp/shubi/archives/pg36.html

f0190950_20511853.jpg←唐獅子図杉戸|白象図杉戸|京都・養源院
http://www.seigetsusha.co.jp/
shubi/_src/sc372/shubi07_P024-25.jpg


f0190950_20504711.jpg

f0190950_143146.jpg
俵屋宗達「舞楽図屏風」
桃山-江戸時代・17世紀頃|各155.5×170cm | 2曲1双・紙本金地著色 | 醍醐寺蔵
(奈良時代あたりにアジア大陸諸国から伝来した舞と音楽の融合芸能文化で、公家や神道寺院とも縁の深い「舞楽」で、右隻が「採桑老」「納曽利」、左隻が「羅陵王」「還白楽」「崑崙八仙」の五種類の有名な舞楽演目を描いた作品)
http://www.kyotodeasobo.com/art/houmotsukan/daigoji-temple/04daigoji-3.html#.VRdU2CgubCo
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/sotatsu.html
(上の写真は画面をクリックすると1000×448ピクセルに拡大します)



宗達障屏画作品における金地構成|by 岡本明子 - ‎2006
宗達総金地作品の最初期のものと考えられる養源院 「松図襖」 の制. 作年代は、 養源院の ... 野探幽が一一条城一一の丸御殿大広間の三の間に総金地の 「松に孔雀. 図」 を描いたのは ... しくは全面に金箔を貼付した所謂金地着色画」 を指耀。 金箔を大画・・・
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/27630/1/055.pdf

慶長(けいちょう)は、日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。
http://ja.wikipedia.org/wiki/慶長

寛永(かんえい)は、日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1645年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。
http://ja.wikipedia.org/wiki/寛永
http://kotobank.jp/word/永禄




Copyright © 2013 guchini.exblog All Rights Reserved.

[PR]
by gpo-higuchi | 2013-11-29 09:41 | ぶらり京都-52[養源院の宗達] | Trackback
2013年 02月 18日
光琳「紅白梅図屏風」の金と銀
梅の便りもチラホラと聞かれ、お歳暮の盆栽の寄せ植の白梅も見頃になり、陽射しも風も柔らかく、
東風ふかば・・・の、香りを漂わせ、もう、春はそこに来ているようです・・・


「梅」と云えば「光琳の梅」・・・
f0190950_947536.jpg江戸時代の元禄と云うきらびやかな時代が終わりを告げる頃、江戸詰となったパトロン兼援助者の京都の銀座(貨幣鋳造所)の役人・中村内蔵助を頼り江戸へ下って、鳴かず飛ばずのままの5年余の暮らしを終えて、京都に戻った光琳は、正徳元年(1711年)に新町通り二条下ル(二条城の東方)に新居を構える。ここで陶芸家の弟・乾山(けんざん)との合作によるf0190950_1024686.jpg陶器の絵付けや手描き小袖の絵付け、漆工芸品の意匠などを制作し、そして晩年に制作された静岡県熱海市のMOA美術館蔵の「紅白梅図屏風」はこの屋敷の2階の画室で描かれている。光琳が他に梅を題材にした絵は、東京国立博物館蔵の「竹梅図屏風 」や、出光美術館蔵の「紅白梅図屏風」、個人蔵の立葵を描いた2曲1双の「孔雀立葵図屏風」などが残されている ↓ (以下)・・・

f0190950_10474994.jpg
「竹梅図屏風 」尾形光琳/江戸時代18世紀/東京国立博物館蔵



f0190950_10483622.jpg
「紅白梅図屏風」(伝)尾形光琳/江戸時代18世紀/東京・出光美術館蔵



f0190950_15343529.jpg
「孔雀立葵図屏風」尾形光琳/2曲1双/個人蔵



で、問題のMOA美術館蔵の「紅白梅図屏風」・・・
作品の製作技法は、明治の頃は水紋を群青で描かれたと云われ、その後銀箔を硫黄で変色させたとか、或は染織の技術による型紙によって描かれたなど、諸説唱えられてきた。そして、屏風の金地の背景については、2003年から翌年にかけての東京文化財研究所の蛍光X線による調査では、金箔を貼ったものではなく、金泥(金粉を膠で溶いた絵具)を使って描き、金箔の市松の様な継ぎ目(箔足)をわざわざ描き出していた可能性が指摘された ・・・
f0190950_10151178.jpg
「紅白梅図屏風」尾形光琳:Ogata Korin (1658 - 1716)/2曲1双/MOA美術館蔵
"Red Prunus and White Prunus"



しかし、2010年に、作品を所蔵している「MOA美術館」の発表では、X線回析法による再調査で、金箔を貼ったものという調査結果が出たとしており、NHKでは幾度か放送されて来た。NHK BSプレミアム「極上美の饗宴」の<黒い水流の謎>として、背景は金箔で、水流は銀箔が黒化した可能性が高いという新事実から、日本画家の森山知己さんが「紅白梅図屏風」の描法を再現したり、或は、BS朝日の「エコの作法」で放送された「MOA美術館」の科学調査では ・・・
1)中央の川の部分に銀が、銀箔の状態で残っている
2)川の黒色の水流は、硫化銀(Ag2S:鉱物名 針銀鉱)である。
3)金地と、中央の川の銀の定量分析から、用いられた金箔、銀箔の厚みを推定
5)流水部分黒い格子模様は、銀箔の重なった箔足である
6)金地は金箔である

などから、光琳は金地には金箔をはり、中央の川に銀箔をはって、防染剤(硫化反応を起こさせないマスキング材)で曲水の流水模様を描き反応を止め、その他を反応させ硫化銀の黒い川の流水模様をつくり、銀箔全体に防染剤を塗り保護皮膜を作り、それが年月と共に白い流水が赤く変化した。そして左右の金箔の画面には100年前の俵屋宗達のたらし込みの絵画技法で紅白の梅を描いた事がおおむね判明した・・・

f0190950_151428.jpg
↑ <CGで再現した紅白梅図屏風>
http://www.facebook.com/moamuseum
昨年末実施した「紅白梅図屏風 研究会」において、同作品の科学調査の結果が報告されました。特に作品中央の流水部には銀箔が使われていることが明確になり、その復元画像と共に、新聞、テレビ等で広く報道されました。
熱海|MOA美術館|催し物概要
http://www.moaart.or.jp/event.php?id=122



f0190950_1139184.jpg「光琳の梅」は、彼が描く他の梅と同じく、ほとんど花はパターン化され、あたかも文様や家紋の様に平面的に処理されて、友禅染の型紙で吹き付けたかの様にベタ塗りで描かれている。金箔の下地に絵の具が乾かないうちに色を混ぜ合わせて、微妙に色が掛け合わされていくたらし込みの技法と、f0190950_11434556.jpg様式化された平面的な梅や、巧みに友禅の技法や工芸的手法を使っている黒い水流。さてこの名画、今までサラリと見ていたようだが、いやはや相当な「技あり」で非常に奥が深い・・・
f0190950_1095444.jpg
「紅白梅図屏風」左隻・2曲1双/尾形光琳:Ogata Korin (1658 - 1716)/MOA美術館蔵
"Red Prunus and White Prunus (left hand screen)"


f0190950_10101180.jpg
「紅白梅図屏風」右隻・2曲1双/尾形光琳:Ogata Korin (1658 - 1716)/MOA美術館蔵
"Red Prunus and White Prunus (right hand screen)"



尾形光琳 (万治元年1658年〜享保元年1716年)は・・・
京都の呉服商「雁金屋」の当主・尾形宗謙の次男として生まれ、光琳の曽祖父の尾形道柏・夫人は本阿弥光悦の姉であり、光悦と光琳は遠い姻戚関係にあたる。そして、光琳の兄が家督を継いだ頃「雁金屋」の経営は破綻していたが、生来遊び人であった光琳は遊興三昧の日々を送り、相続した莫大な財産を湯水のように使い果たしていた・・・
やっと、40代になって画業に身を入れ始め、本格的に絵を制作したのは、初期の代表作で、法橋の位を受領した元禄14年(1701年)44歳前後の「燕子花図」から59歳で没するまでの15年間位だと推定されている。
その短い10数年間の制作期間に多数の名品を残し、装飾的な「光琳模様」という言葉を生み「琳派」を再形成し、今日に至るまで日本の絵画、工芸に留まらず世界中に大きな影響を与え、58年の生涯を閉じた・・・




そして「淋派」とは・・・
本阿弥 光悦を祖とする琳派は、江戸初期に活躍した謎の多い天才芸術家・俵屋 宗達(生没年不詳)を生む。宗達は晩年、最高傑作「風神雷神図屏風」を描き、京都・妙光寺(1818年から1829年頃に建仁寺に渡たる)におさめる。
そしてその後、宗達の絵からほとんど100年近く経った江戸中期。宗達を慕う光琳は、その妙光寺にあった宗達の風神雷神図の模本を作り「風神雷神図屏風」(東京国立博物館所蔵)を完成する。
時代はさらに下って幕末期。光琳の模本・風神雷神図屏風は、江戸の地にあり、大名姫路藩主の次男で光琳の信奉者であった酒井抱一は、宗達の屏風があることなど夢にも思わず、その作品を光琳オリジナルの作品と誤解し、かつての光琳と同じように模本し「風神雷神図屏風」(出光美術館所蔵)を制作する。
それは、狩野派や円山派といった他の江戸時代の流派の様に模写を通じて直接、師から画技を学んだのに対し、光悦から宗達に、そして光琳、抱一へと、琳派では受け継がれて行く年齢差や時間が約100年程であったり、場所や身分が遠く離れた人々によって受け継がれた事は、他の流派には類を見ない特色であり、同じ主題や図様、独特の技法を意識的に選択・踏襲することで流派のアイデンティティを保持し、絵師独自の発見と解釈を加え再構成し、歴代の琳派の師を超えて行く。それは、琳派が持つ王朝時代の古典の神髄と、明快で装飾的な意匠感覚をもって、時代の中に新たな芸術を生み出してきた琳派の継承と創造の深さと云える・・・

ブログ内参考サイト|ぶらり京都-10 [建仁寺・風神雷神図]
http://guchini.exblog.jp/i213/
ブログ内参考サイト|光琳とクリムト[前編] - 2人の様式美 -
http://guchini.exblog.jp/i197/
ブログ内参考サイト|光琳とクリムト[後編] - 2人の様式美 -
http://guchini.exblog.jp/i196/



(以下・参考サイト)

琳派は、桃山時代後期に興り近代まで活躍した、同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派、または美術家・工芸家らやその作品を指す名称である。本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって発展、酒井抱一・鈴木其一が江戸に定着させた・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/琳派

本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ、永禄元年(1558年) - 寛永14年2月3日(1637年2月27日))は、江戸時代初期の書家、 陶芸家、芸術家。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/本阿弥光悦

俵屋 宗達(たわらや そうたつ、生没年不詳 - 慶長から寛永年間に活動)は、 江戸時代初期の画家。通称は野々村宗達。号は「伊年」あるいは「対青軒」ほか・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/俵屋宗達

尾形光琳は、後代に「琳派」と呼ばれる装飾的大画面を得意とした画派を生み出した始祖であり、江戸時代中期を代表する画家のひとりである。主に京都の富裕な町衆を顧客とし、王朝時代の古典を学びつつ、明快で装飾的な作品を残した。その非凡な意匠感覚 ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/尾形光琳

尾形 乾山(おがた けんざん、 寛文3年(1663年) - 寛保3年6月2日(1743年7月22日) は、江戸時代の陶工、絵師。名は惟充。通称は権平、新三郎。号は深省、乾山、霊海、 扶陸・逃禅、紫翠、尚古斎、陶隠、京兆逸民、華洛散人、習静堂など。一般には窯名 ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/尾形乾山

「極上 美の饗宴」|12月19日|黒い水流の謎|尾形光琳“紅白梅図屏風”|ワクワク!NHK
琳派の革新の秘密を探るシリーズ。2回目は、屏風の真ん中に黒い水の流れがどんと描かれた、異色の国宝、尾形光琳(1658-1716)の「紅白梅図屏風」。最大の特徴は、水流の黒い色と、その中にデザインされた渦巻き文様である。この水紋のデザインはどこから来たのか、果たしてこの水流は元々黒かったのか、そしてこの水流で光琳は何を象徴したのか、「紅白梅図屏風」は幾つもの謎に包まれている。
近年、所蔵者のMOA美術館は、「紅白梅図屏風」の技法の謎を探るため、大規模な科学調査を行ってきた。その結果、金箔か金泥かの議論が行われてきた背景は金箔であり、また水流は銀箔が黒化した可能性が高いという新事実が分かってきた。
番組では、この科学調査の結果をもとに日本画家の森山知己さんが「紅白梅図屏風」の描法を再現するとともに、グラフィックデザイナーの佐藤卓さんが水紋のデザインの秘密を探り、「紅白梅図屏風」の謎に迫っていく・・・
http://www.nhk.or.jp/bijutsu/kyoen/index_12.html

NHK「日曜美術館」の番組公式サイト
[放送]毎週日曜あさ9時~10時[再]翌週よる8時~9時 国内外の古典美術から現代アートまで、美しい映像と一流の専門家の解説で美の秘密に迫ります。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/

尾形光琳 国宝「紅白梅図」描法再現の記録
昨年12月放送<NHK BSプレミアム「極上美の饗宴」「シリーズ 琳派・華麗なる革命 黒い水流の謎~尾形光琳“紅白梅図屏風”」>の番組内で紅梅を描法再現して描く機会をいただきました。撮影は制作行程全てに渡っており、放送されなかったカットもかなりありますが、限られた放送時間の中でコンパクトに解りやすくまとめてくださったと感謝するばかりです。放送後、「白梅は?」との声もいただき、私自身もこの際と白梅を暮れから1月中旬にかけて制作しました。その過程、思った事、そして、、、、などを画像で紹介します。
2012年02月02日(木)| 材料技法
◆凡そ300年前、尾形光琳が描き上げたと考えられる「紅白梅図」当時の姿を、東京理科大の中井泉教授の科学調査に基づいて再現するNHKの番組企画に参加させてもらい、描法の再現を試みました。その経過、描法などは、すでに紹介した通りです。
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2012/012401/index.html
実際に制作してみて、考えたり、気づいた事など。
関連記事:http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2012/020201/index.html

黒い水流の謎
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2012/020201/index.html
尾形光琳 国宝「紅白梅図」描法再現の記録 その1
http://blog.livedoor.jp/botiiko/archives/52225103.html
尾形光琳 国宝「紅白梅図」描法再現の記録
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/newcon/news/2012/012401/index.html
尾形光琳・・国宝 ”紅白梅図屏風“
http://aokisekkei.exblog.jp/18014161
黒い水流の謎~尾形光琳 “紅白梅図屏風”
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/topcontents/news/2011/122301/index.html

森山知巳|オフィシャルサイト
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/index.html
日本画家・森山知己氏による「紅白梅図屏風」(復元)展示
昨年末に報告された国宝「紅白梅図屏風」科学調査の結果に基づき、日本画家・森山知己氏によってその復元作品が制作されました。その制作過程は、2月5日放送のNHK Eテレ「日曜美術館」で紹介され、大きな反響を得ています。
この度、森山氏のご厚意により、お客様のご要望に応え、開催中の展覧会「開館30周年記念 国宝紅白梅図屏風 所蔵名品展[絵画・書跡]」にあわせ、本復元作品を展示致します。国宝「紅白梅図屏風」とともに、是非ご鑑賞ください。
【概要】
展示期間: 2011年2月10日(金)~3月2日(金)
展示会場: MOA美術館 展示室2
http://www.moaart.or.jp/event.php?id=124
森山知己さん - MOTOYA
生き生きと人生を謳歌している人を訪ねまわって、早6回目となりました。さて今回は、 東京から吉備高原に仕事の拠点を移して大活躍中の日本画家・森山知己さんにお話を伺いました・・・
http://www.motoyanet.jp/motoya/01_peo/006/index.htm
http://omsolar.jp/info/interview35.html

尾形 光琳|光琳・解き明かされた国宝の謎
http://www.kanshin.com/keyword/549269
[PDF] 尾形光琳筆 紅白梅図屏風の蛍光X線分析
(早川 泰弘・佐野 千絵・三浦 定俊・内田 篤呉)
http://www.tobunken.go.jp/~hozon/pdf/44/04401.pdf

NHK BSプレミアム
極上美の饗宴 シリーズ琳派華麗なる革命2▽黒い水流の謎~尾形光琳“紅白梅図屏風”
日本を代表するデザイン美の傑作、尾形光琳の「紅白梅図屏風」。最大の魅力は、真ん中に大胆に広がる水流。黒々とした水流が美しいデザイン文様に覆われている。どうやって描いたのか? 長く謎とされてきたが、近年、所蔵する美術館が、技法の謎を探るために科学調査を行ったところ、新事実が明らかになった。調査を基に日本画家・森山知己さんが「紅白梅図屏風」の描法を再現しながら、水流に隠されたデザイン美の秘密を探る。

今日の面白TV12/19 [TV]
極上美の饗宴 シリーズ琳派華麗なる革命2▽黒い水流の謎~尾形光琳“紅白梅図屏風” 
12/19 (月) 21:00 ~ 21:58 (58分) NHK BSプレミアム(Ch.3)
日本を代表する傑作にして謎の多い尾形光琳の「紅白梅図屏風」。最近の科学調査で画期的新事実が明らかに。光琳の描法を推理しながら、華麗な水紋のデザインの秘密を探る。

黒い水流の謎~尾形光琳“紅白梅図屏風”
2011年12月19日放送 NHK BSプレミアム「極上美の饗宴」「シリーズ 琳派・華麗なる革命 黒い水流の謎~尾形光琳“紅白梅図屏風”」再放送は、1月4日(水)深夜【5日(木)】午前1:00~1:58です。

尾形光琳 Ogata Korin|1658-1716 | 日本 | 琳派・日本画絵師
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/korin.html
竹梅図屏風 (Bamboo and plum tree) 18世紀(江戸時代)
各65.2×181cm | 2曲1双・紙本金地着色 | 東京国立博物館
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/korin_bamboo.html

熱海|MOA美術館|催し物概要|CGで再現した紅白梅図屏風展示
http://www.moaart.or.jp/event.php?id=122
http://www.facebook.com/moamuseum
昨年末実施した「紅白梅図屏風 研究会」において、同作品の科学調査の結果が報告されました。特に作品中央の流水部には銀箔が使われていることが明確になり、その復元画像と共に、新聞、テレビ等で広く報道されました。
 当館では、開催中の展覧会「開館30周年記念 国宝紅白梅図屏風 所蔵名品展[絵画・書跡]」にあわせ、今回の科学調査の結果に基づく、CGによって復元させた紅白梅図屏風の実物大のレプリカ、科学調査の内容を示したパネルを展示しています。


【展覧会概要】

名  称  開館30周年記念 国宝 紅白梅図屏風 所蔵名品展[絵画・書跡]

会  期  1月27日(金)~3月2日(金)

会  場  MOA美術館 静岡県熱海市桃山町26-2
開館時間  午前9時30分~午後4時30分(入館は4時迄)木曜休館

観 覧 料   一般 1,600円、高・大学生 800円、中学生以下無料

●団体割引は10名様以上   
●満65歳以上 1,200円



Copyright © 2013 guchini.exblog All Rights Reserved.

[PR]
by gpo-higuchi | 2013-02-18 15:53 | 光琳「紅白梅図屏風」の金と銀 | Trackback
2010年 10月 03日
光琳とクリムト[後編] - 2人の様式美 -
光琳とクリムト[前編] - 2人の様式美 - より続く >>


光琳とクリムト - 2人の様式美 - ▶|[前編][後編]

光琳の死(1716年)から200年程が過ぎて、クリムトは時代に登場する・・・
グスタフ・クリムト Gustav Klimt (1862年〜1918年) はオーストリア=ハンガリー帝国「ハプスブルク家」のウィーン郊外バウムガルテンに、しがない彫金職人の7人兄弟の第2子として生まれる・・・
奨学金を得て、博物館付属工芸学校に入学。肖像画を描くアルバイトをしながら、絵画と装飾美術の基本を身につけ彫刻師、彫金師となり、卒業後は弟たちと共に、芸術家商会(Kuntslercompagnie)という建築装飾の会社を設立。トゥラーニ宮天井画用寓意画やウィーン美術史館の階段ホール内装など数々の装飾的壁画を制作し、たちまち装飾芸術家として名声を得る・・・クリムト28歳


f0190950_1117255.jpg
↑(1886年|ブルク劇場の装飾)

f0190950_1118513.jpg1894年教育省からウィーン大学大講堂の「学部の絵」と名づけられた「哲学・医学・法学」の3枚の天井画の制作を依頼されるが、絵は教授たちが望む威厳に満ちた学問とはかけ離れ、それまでの伝統からも逸脱し、帝国議会において依頼主の文部大臣が攻撃される事態にまで発展する。あまりの論争の大きさにクリムトは契約の破棄を求め、事前に受け取っていた報酬を返却する。クリムトはこの事件をきっかけに保守的なウィーン美術家組合を離れウィーン分離派を結成する・・・(天井画/哲学)→
クリムトの生きた時代は・・・
ヨーロッパ各地で産業革命が進み、時代の力点が貴族から新興ブルジョアジーに移り、今で云うデザインが生活産業に浸透し始める。それはイギリスのウィリアム・モリスから始まるアーツ・アンド・クラフツ運動、フランスで生まれたアール・ヌーヴォーなどヨーロッパ各地で新しい様式を生み出し、ドイツでもユーゲント・シュティールが誕生し、クリムトも「時代にはその時代の芸術を、芸術には自由を」を合言葉に、ウィーン分離派を結成し、自らの新たな感性を追い求め1901年「ユディト I」を1907〜1908年には代表作となる「接吻」 を発表・・・




f0190950_14102163.jpg
「接吻」
"Der Kuss" The Kiss
1907年〜1908年|油彩 キャンバス|180 cm × 180 cm|オーストリア・ギャラリー(オーストリア絵画館)
オーストリア, ウィーン, ベルヴェデーレ宮殿内|Österreichische Galerie Belvedere

グスタフ・クリムト:Gustav Klimt(1862年〜918年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・クリムト




f0190950_13594721.jpg時は・・・
オーストリア=ハンガリー帝国「ハプスブルク家」の終焉を迎えようとしていた。皇帝フランツ・ヨーゼフは1848年に18歳で即位。そして、クリムトが生まれた1862年は皇帝ヨーゼフはエリザベートを迎え、王子が生まれて間もない頃、ウィーン市の環状大通り、リング・シュトラーセを作る「リング計画」を発足し、計画の工事とともに市街地の開発、劇場やバーの建築ラッシュの中、ウィーンは世紀末の賑わいを見せる。しかしそれは最後の灯火を放ち、きらびやかな爛熟した時代の朽ちる一瞬の輝きでもあり、第一次世界大戦勃発への予兆でもあった・・・

f0190950_14142857.jpgそしてその後、小競り合いや内戦状態に、人々は未来への不安と信じるものを失い、政治は腐敗し、民衆は暗い現実に背を向け、人間の心の内面へ内面へと深淵を彷徨いだす。当時同年代にあたる交響曲の大家マーラーでさえ神経症状に悩まされ、精神分析学者フロイトの診察を受ける程、知識人や文化人も、夢や甘美な世界に浸ろうとしながら、信じるものを失った時代でもあった・・・
世紀末芸術と云われるクリムトの作品は、金箔が多用され絢爛な雰囲気を醸し出しながら、甘美で妖艶なエロスと同時に退廃的で常に死の香り漂わせる。多用されるファム・ファタール(Femme fatale:魔性の悪女) のテーマや、なまなましい人間の肌や官能的な姿、そして心の奥底に怪しく眠る欲望と、それらを取り巻く妖艶な色彩。タブーである官能的な裸体、そして妊婦、エロティックでスキャンダラスな画風の背景や人物にまとわりつく模様など、世紀末の様相の中で人間の心の内面に潜む、どこか退廃的で官能的な雰囲気を漂わている・・・
.........................................................................
↑「ユディト I」1901年(Judith I)
「水蛇 I 」1904〜1907年(Wasserschlangen I)→





f0190950_14313366.jpg
「ダナエ」
"Danaë"
1907年〜1908年|油彩 キャンバス|77 cm × 83 cm|Galerie Würthle, Wien

グスタフ・クリムト:Gustav Klimt(1862年〜918年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・クリムト




1914年オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が銃撃されるというサラエボ事件を契機に、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアからなる中央同盟国(同盟国とも称する)と、三国協商を形成していたイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国(協商国とも称する)の2つの陣営に分かれ、第一次世界大戦が勃発する・・・




f0190950_14455215.jpg
「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」
"Bildnis Adele Bloch-Bauer I"
1907年〜1908年|油彩 キャンバス 金箔・銀箔|138×138cm|個人所蔵

グスタフ・クリムト:Gustav Klimt(1862年〜918年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・クリムト




そして1916年、帝国を支えたヨーゼフ皇帝が死に、第一次世界大戦(1914年〜1918年)終結の1918年にクリムトの死と同じくして、このオーストリア=ハンガリー帝国「ハプスブルク家」は崩壊する・・・




f0190950_1552826.jpg
「エミーリエ・フレーゲの肖像 I」
"Emilie Louise Flöge "
1902年 | 油彩 キャンバス | 181 × 84 cm | Vienna Museum, Wien

グスタフ・クリムト:Gustav Klimt(1862年〜918年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・クリムト




作品に度々描かれる愛人のエミーリエ・フレーゲは新進的な女性ブティック経営者であり、夭折した弟エルンストの妻の妹であった。クリムトは、当時ヨーロッパ中に猛威をふるったスペイン風邪にかかり、最期の言葉「エミーリエを呼んでくれ」を残し、人間の内面を鋭く描くオスカー・ココシュカやエゴン・シーレなど後世の画家に多大な影響を与えながら、56年の生涯を終える・・・


f0190950_10143312.jpgf0190950_10141288.jpgf0190950_10151083.jpgf0190950_1054209.jpgf0190950_1051288.jpg
f0190950_10233055.jpgf0190950_10511624.jpgf0190950_10134361.jpgf0190950_10505575.jpg

1899年〜1916年|110 x 110 cm| Oil on canvas|Privately owned
グスタフ・クリムト:Gustav Klimt(1862年〜918年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・クリムト
http://www.klimt.com/en/gallery/lake-atter.html

そして、2つの様式美は・・・
光琳は友禅の型が生み出す様式美を根底にし、そのかもし出す感性は、王朝がもつ雅な艶やかさをもち続けながら、不必要なものを総て削ぎ落とし、必要最小限度の装飾的な意匠をほどこし、すべて無駄なく研ぎすまし「凛」とした画面構成は、着物柄に近い様式美だと云える?・・・
クリムトのそれは、テキスタイルのきらびやかなパターンで飾られた艶やかな色彩の服を身にまとい、着ている人は暗い現実に背を向け、幻想に包まれながら、服を着ている瞬間だけでも、甘美なささやかなひとときの夢に浸ろうし、着る事によって陶酔する服飾が持つ幻影の様式美のようだ?・・・




f0190950_1540546.jpg
「生命の樹」
"The tree of life" Stoclet Fries

グスタフ・クリムト:Gustav Klimt(1862年〜918年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・クリムト




今まで美術評論として、光琳が200年も前に築き上げた美のレベルが如何に高かったかを指摘する人は多い、でもそれ以上に、クリムトは明らかに光琳の影響を受けていると云われ続けてきた。しかし、クリムトが光琳の絵を見たと云う確証はない。だけど、当時すでに光琳の画集はヨーロッパで広く売られていた。まず最初に1867年(慶応3年)のパリ万博に日本が初めて、幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ 出展し、パリではジャポニスムブームが起こる。その後オーストリアで1873年にウイーン万博が開かれ、ジャポニズムが欧州を席捲し、ウイーン市民に日本美術は広く知られていた・・・




f0190950_15444673.jpg
「ベートーヴェンフリーズ」
"Beethovenfries"
1901年〜1902年 | 油彩 帯状装飾の小部屋 |約2m x 34m|分離派ビルディング(セセッション館)|Secessionsgebäude, Wien
クリムトが捧げるベートーベンへのオマージュ /第3場面-歓喜・接吻

グスタフ・クリムト:Gustav Klimt(1862年〜918年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・クリムト





従ってクリムトの絵は、装飾的な「光琳模様」の技法の様に、屏風と同じような正方形のキャンバスサイズ、平面的で陰影も遠近法もなく、絵の背景の金箔や衣服の市松模様や曲水の模様、足元の草花の柄など、余りにも似通った点が多く、当然、光琳の影響を受けていたと云えるかも知れない?
そして彼の死後、所蔵品には浮世絵など日本に関するものが多々残されていた・・・




光琳とクリムト - 2人の様式美 - ▶|[前編][後編]

(以下・参考サイト)

グスタフ・クリムト Gustav Klimt (1862〜 1918年)帝政オーストリアの画家
http://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・クリムト
http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/klimt.html
http://pro.tok2.com/~art/K/Klimt/Klimt.htm
http://www2.plala.or.jp/Donna/klimt.htm
http://www.iklimt.com/#

グスタフ・クリムト:Gustav Klimt(1862年〜918年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・クリムト
http://www.klimt.com/en/gallery/lake-atter.html
http://www.klimt.com/en/gallery/landscapes.html

Emilie Louise Flöge (30 August 1874 in Vienna – 26 May 1952 in Vienna) was an Austrian fashion designer, and businesswoman. She was the life companion of the painter Gustav Klimt...
https://en.wikipedia.org/wiki/Emilie_Louise_Flöge

美の巨人たち・グスタフ・クリムト作「接吻」
接吻(Der kuβ)1907-1908年・180×180cm | 油彩・画布 | オーストリア美術館(ウィーン)
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/091003/
http://ja.wikipedia.org/wiki/接吻_(クリムト)
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/091003/picture.html
クリムトが捧げるベートーベンへのオマージュ
https://www.ggccaatt.net/beethovenfries/
http://tokuhain.arukikata.co.jp/vienna/2010/11/post_238.html

世紀末芸術(せいきまつげいじゅつ)とは、1890年代から20世紀初頭にかけて、おもにヨーロッパの都市を中心に流行した諸芸術のなかで一定の傾向を示す一群のことを指す。一般に、幻想的・神秘的・退廃的な性格を有するとされる・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/世紀末芸術

ジークムント・フロイト Sigmund Freud (1856〜1939年9月23日) オーストリアの精神分析学者・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジークムント・フロイト
グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860年7月7日 - 1911年5月18日)はウィーンで活躍した作曲家、指揮者。交響曲と歌曲の大家・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・マーラー
エゴン・シーレ Egon Schiele (1890〜1918年)20世紀初め頃のオーストリアの画家・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/エゴン・シーレ

アーツ・アンド・クラフツ(Arts and Crafts Movement)は、イギリスの詩人、思想家、デザイナーであるウィリアム・モリス(1834年-1896年)が主導したデザイン運動(アーツ・アンド・クラフツ運動)である。美術工芸運動と表記されることもある・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/アーツ・アンド・クラフツ

アール・ヌーヴォー(フランス語: Art Nouveau)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味す・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/アール・ヌーヴォー

アルフォンス・ミュシャ、世紀末に咲いたアール・ヌーボーの華
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/040501.htm

ユーゲント・シュティール(Jugendstil)は、1896年にで刊行された雑誌『ユーゲント』 (Die Jugend)に代表されるドイツ語圏の世紀末美術の傾向を指す。「青春様式」と表記されることもある・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/ユーゲント・シュティール

ウィーン分離派(-ぶんりは, Wiener Secession, Sezession)は、 1897年にウィーンで画家グスタフ・クリムトを中心に結成された新しい造形表現を主張する芸術家のグループ。セセッション、ゼツェッシオンともいう・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/ウィーン分離派

文化・ジャポニスム
http://japonism2ch.blog57.fc2.com/blog-entry-35.html
ジャパネスクブーム
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャポニスム

グスタフ・クリムト Gustav Klimt
1862-1918 | オーストリア | 象徴主義・ウィーン分離派
19世紀末から20世紀かけて活躍したユーゲントシュティール(象徴主義)を代表するゼツェッション(ウィーン分離派)の画家
http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/klimt.html

クリムトが描いた「手」・・・
http://go.travel.mag2.com/e/mag2/traveler/mojo/album/10367960/

私の自画像はない。絵の対象としては自分自身に興味がない。むしろ他人、特に女性、そして他の色々な現象に興味が有るのだ・・・
http://www2.plala.or.jp/Donna/klimt.htm

女性の裸体、妊婦、セックスなど、赤裸々で官能的なテーマを描くクリムトの作品は、甘美で妖艶なエロスと同時に、常に死の香りが感じられる(若い娘の遺体を描いた作品もある)。また、「ファム・ファタル」(宿命の女)というのも多用されたテーマである。『接吻』に代表される、いわゆる「黄金の時代」の作品には金箔が多用され、絢爛な雰囲気を醸し出している。(琳派の影響も指摘される)
http://www.art-expo.jp/shopdetail/004001000008/

ファム・ファタール(仏:Femme fatale)は男にとっての「運命の女」(運命的な恋愛の相手、もしくは赤い糸で結ばれた相手)の意味・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファム・ファタール

「琳派の本」
オーストリア応用美術博物館の学芸員の方の「クリムトに琳派が影響を及ぼしたかもしれない」という内容のトピックの発表とかは面白かったです。もちろん、クリムト自身が日本に来たわけではないのですが、当時すでに光琳の画集がヨーロッパで広く売られていたというのに驚き・・・
http://bookplate01.blog.so-net.ne.jp/2010-03-09

ポスターで感じる、街中にアートが溢れた時代。
1.ウィーン分離派と世紀末美術の潮流
ここでは、ウィーンセセッション(分離派)、ドイツセセッション、ハーゲン芸術家同盟の展覧会ポスターを中心に展示。
フランス・パリで生まれたアール・ヌーヴォー(新芸術)の影響を受け、ヨーロッパ各地では様々な新しい様式や流派が現れます。ドイツではミュンヘン分離派を中心としたユーゲント・シュティールの動きがあり、隣国のオーストリアでも画家のグスタフ・クリムトが中心となってウィーン分離派が誕生します。
ウィーン分離派の作品は、クリムトに見られるようにどこか退廃的で官能的な雰囲気を漂わせています。また、直線的・幾何学模様を多用した装飾的な表現も多く見られるのが特徴です。
街に溢れたアーティストたちの情熱と、今も色あせないモダンなデザインが、ポスターにはぎゅっとつまっています。
http://www.kyotodeasobo.com/art/exhibitions/poster-of-art-nouveau/

当時この国は戦争に負け続け、政治は腐敗していたそうです。民衆は
暗い現実に背を向け夢や甘美な世界に浸っていたかったようです。
その時代には、精神分析のフロイトや音楽家マーラーなど文化人が集まっていたのでした・・・
http://www.artistyle.net/i-02-kyojin/post-928.html

オーストリア=ハンガリー帝国
ハプスブルク家の君主が統治した、中東欧の多民族(国家連合に近い)連邦国家であ・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/オーストリア=ハンガリー帝国
第一次世界大戦(1914年〜1918年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/第一次世界大戦
ハプスブルク帝国崩壊
オーストリア帝国(ドイツ語:Kaisertum Österreich)は1804年の成立から1867年のオーストリア=ハンガリー帝国への改組までオーストリアのハプスブルク=ロートリンゲン家(以下、単に「ハプスブルク家」という。)がオーストリア皇帝として支配した多民族国家・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/オーストリア帝国

グスタフ・クリムト Gustav Klimt-主要作品の解説と画像・壁紙-
1862-1918 | オーストリア | 象徴主義・ウィーン分離派
http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/klimt.html

接吻 (Der kuβ) 1907-1908年・180×180cm | 油彩・画布 | オーストリア美術館(ウィーン)
http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/klimt_der.html
アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I(Bildnis Adele Bloch-Bauer I) 1907-08年138×138cm | 油彩・画布・金箔・銀箔 | 個人所蔵
http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/klimt_bauera.html
ユディト I「ユーディット I 」 (Judith I) 1901年 82×42cm | 油彩・画布 | オーストリア美術館(ウィーン)
http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/klimt_juditha.html

ノラの絵画の時間
3分でわかるグスタフ・クリムト ウィーン分離派、天才グスタフ・クリムトの軌跡(1)
http://blog.livedoor.jp/kokinora/archives/1012446157.html
山田視覚芸術研究室[近現代美術の基礎知識]|グスタフ・クリムト / Gustav Klimt
滅亡前のウィーンと女性
https://www.ggccaatt.net/gustav-klimt/






Copyright © 2010 guchini.exblog All Rights Reserved.

[PR]
by gpo-higuchi | 2010-10-03 16:19 | 光琳とクリムト[後編] | Trackback
2010年 10月 03日
光琳とクリムト[前編] - 2人の様式美 -
光琳とクリムトの様式美とは・・・
江戸時代中期「琳派」をを生み出し装飾美を究めた光琳。そして光琳の死から200年程が過ぎて、オーストリア=ハンガリー帝国「ハプスブルク家」の世紀末美術の代表として、クリムトは時代に登場する・・・
もともと2人の間には、日本とオーストリアの長い歴史や日々培って来た風土からにじみ出る感性の違い、或はお互いが生きた時代背景、或はもっと深い幼い頃に染み付いた生まれ育った環境などの違いが横たわっている。しかしその違いはあるにせよ、何故か2人の作品には、良く似た部分が随所に見うけられ、クリムトの単純化されたフォルムや金箔を使った装飾的画面などは、光琳にかなり影響されたのではないかと云われている。はたして、光琳とクリムトの関係とは?・・・


光琳とクリムト - 2人の様式美 - ▶|[前編][後編]




f0190950_1013148.jpg
「燕子花図」(かきつばたず)
"Japanese Irises screen"
One of two six-section folding screens (byōbu)
1701年〜1702年|紙本金地著色|(各)151.2cm x 358.8cm|六曲一双屏風|根津美術館蔵|Nezu Art Museum, Tokyo, Japan

↑(画面をクリックすると1200 x 254pixに拡大します)

f0190950_1043145.jpg
「燕子花図」左隻:Japanese Irises screen (left)
f0190950_10431769.jpg
「燕子花図」右隻:Japanese Irises screen (right)

尾形光琳:Ogata Kōrin(万治元年:1658年〜享保元年:1716年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/尾形光琳




尾形光琳 (万治元年1658年〜享保元年1716年)・・・
f0190950_1101683.jpg京都の呉服商「雁金屋」の当主・尾形宗謙の次男として生まれ、光琳の曽祖父の尾形道柏・夫人は本阿弥光悦の姉であり、光悦と光琳は遠い姻戚関係にあたる。そして、光琳の兄が家督を継いだ頃「雁金屋」の経営は破綻していたが、生来遊び人であった光琳は遊興三昧の日々を送り、相続した莫大な財産を湯水のように使い果たしていた・・・

f0190950_1146321.jpgやっと、40代になって画業に身を入れ始め本格的に絵を制作したのは、彼の代表作の「燕子花図屏風」(かきつばたず)は比較的初期もので法橋の位を受領する前後の作品ではあったが、元禄14年(1701年)法橋の位を得た44歳以後から59歳で没するまでの15年間位だと推定されている・・・
    ↑(八橋蒔絵螺鈿硯箱)(中村内蔵助像)→

光琳は公家、大名、役人など、多くのパトロンをもってはいたが、京都の銀座(貨幣鋳造所)の役人で裕福であった中村内蔵助(1669–1730年)とは、単なるパトロン、援助者という以上のものがあったようだ。そして遊興三昧の光琳は、相変わらず経済的には貧窮し、宝永元年(1704年)頃、江戸詰となった中村内蔵助を頼り、江戸へ下り、5年ほど江戸に滞在した後、宝永6年(1709年) に京都へ戻る・・・




f0190950_1110848.jpg
「八橋図屏風」
"Yatsuhashi-zu Byōbu"
1711年〜1714年|紙本金地著色|(各)151.2cm x 358.8cm|六曲屏風二隻|メトロポリタン美術館蔵
(The Met)Metropolitan Museum of Art, New York

↑(画面をクリックすると1200 x 272pixに拡大します)

f0190950_2085534.jpg
「八橋図屏風」左隻 "Yatsuhashi-zu Byōbu" (left)
(画面をクリックすると960x454pixに拡大します)
f0190950_20102392.jpg
「八橋図屏風」右隻 "Yatsuhashi-zu Byōbu" (right)
(画面をクリックすると960x454pixに拡大します)
尾形光琳:Ogata Kōrin(万治元年:1658年〜享保元年:1716年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/尾形光琳




尾形光琳の曽祖父の尾形道柏・夫人は本阿弥光悦の姉であり、光悦と光琳は遠い姻戚関係にあり、光琳はその光悦と多くの作品を制作した俵屋宗達を慕い、二人の死後遥か100年が過ぎた頃、妙光寺にあった宗達の「風神雷神図」を模写、幕府御用絵師の狩野派とは別の、京の公家を基盤としたし感性を継承し「琳派」へと歩み始める・・・




f0190950_1616952.jpg
俵屋宗達の「風神雷神」
Tawaraya Sōtatsu(生没年不詳?1570年(永禄13年)〜1642年(寛永19年)
国宝|2曲1双・紙本金地着色|(各)154.5×169.8cm
元和末期(1624年)頃の作|建仁寺蔵(京都国立博物館に寄託)
(画面をクリックすると1200 x 533pixに拡大します)
f0190950_16173471.jpg
尾形光琳の「風神雷神」
Ogata Kōrin(1658年:万治元年〜1716年:享保元年)
重要文化財|2曲1双・紙本金地着色|(各)166.0×183.0cm
宝永末年(1710年)頃の作|東京国立博物館蔵
(画面をクリックすると1200 x 533pixに拡大します)




が、光琳が江戸へ下った宝永元年(1704年)頃には・・・f0190950_15383419.jpg
時代は、松尾芭蕉が「行く春や 鳥啼魚の 目は泪」と詠み、弟子の曾良を伴って、元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)に江戸深川の採荼庵を出発し、全行程約600里(2,400キロメートル)で、旅の日数は約150日余。東北・北陸を巡って元禄4年(1691年)に江戸に帰り、芭蕉の紀行本「おくのほそ道」が元禄15年(1702年)に刊行される。それは、バブルにも似たきらびやかな元禄文化は終わりを告げ、芭蕉の「わびさび」へと、感性の時代の軸は大きく入れ替わり出していた・・・(菊蒔絵食籠:高10.2x 径18.4cm)→
f0190950_15325835.jpgそして、芭蕉が一字一句にこだわる時代背景には、元禄が終わり徐々に緊縮財政時代が到来しだし、光琳がこの世を去る頃(1716年)には、8代将軍徳川吉宗(在任期間・1716年〜1745年)における享保の改革が始まる。従って時代の根底には無駄や余分なものをことごとく取り除き、不必要なものを削ぎ落として必要なもののみを使用する、大きな時代の流れが動き初めていたように思われる。光琳の鋭い感受性は動き出すその時代の価値観を目ざとく捉え、彼の名画の根底を成していたと思われるが、もともと大店の呉服商に生まれ、幼い頃より京都と云う古典的な王朝時代の環境に染み付いた光琳には、きらびやかな金碧障壁画的なものを捨て切れず、それらを出来るだけ継承し、その上に、不必要なものを削ぎ落として、単純で明快な意匠感覚で時代の必要最小限度のかたちを取り入れ、見事なまでも装飾的な様式美を完成させていったようだ・・・
←(百合螺鈿蒔絵棗:高 7.9 x 径 5.4cm)





f0190950_11212353.jpg
「紅白梅図」
"Red and White Plum Blossoms"
1700年〜1800年|紙本金地著色|(各)156.5 × 172.5cm|二曲屏風|MOA美術館蔵|MOA Museum of Art

↑(画面をクリックすると1000 x 450pixに拡大します)

f0190950_19592236.jpg
「紅白梅図屏風」左隻・2曲1双/尾形光琳:Ogata Korin (1658 - 1716)/MOA美術館蔵
"Red Prunus and White Prunus (left hand screen)"
f0190950_2022014.jpg
紅白梅図屏風」右隻・2曲1双/尾形光琳:Ogata Korin (1658 - 1716)/MOA美術館蔵
"Red Prunus and White Prunus (right hand screen)"
尾形光琳:Ogata Kōrin(万治元年:1658年〜享保元年:1716年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/尾形光琳





f0190950_11422432.jpg
↑(静岡県熱海市のMOA美術館構内に復元された「光琳屋敷」)


f0190950_11421213.jpg京都に戻った光琳は、正徳元年(1711年)に新町通り二条下ル(二条城の東方)に新居を構え、ここで陶芸家の弟・乾山(けんざん)との合作による陶器の絵付けや手描き小袖の絵付け、漆工芸品の意匠などを制作する・・・

f0190950_152855100.jpg
(尾形乾山「色絵氷裂文角皿」)→



その家は静岡県熱海市のMOA美術館構内に「光琳屋敷」として復元され、
光琳の代表作である晩年の「紅白梅図屏風」はこの屋敷の2階の画室で描かれたと云われてる・・・
そして、その短い10数年間の制作期間に多数の名品を残し、
装飾的な「光琳模様」という言葉を生み出し、
「琳派」を形成、今日に至るまで日本の絵画、工芸に留まらず世界中に大きな影響を与え、
享保元年(1716年)58歳の生涯を閉じた・・・




光琳とクリムト[後編]へつづく >>
光琳とクリムト - 2人の様式美 - ▶|[前編][後編]

(以下・参考サイト)

<ブログ内関連記事>
琳派の「八橋図屏風」-Yatsuhashi-zu Byōbu-
http://guchini.exblog.jp/22110562/
光琳「紅白梅図屏風」の金と銀
http://guchini.exblog.jp/18610132/
ぶらり京都-10 [建仁寺・風神雷神図]
http://guchini.exblog.jp/13269495/


尾形 光琳(おがた こうりん)万治元年(1658年)〜 享保元年(1716年)
後代に「琳派」と呼ばれる装飾的大画面を得意とした画派を生み出した始祖であり、江戸時代中期を代表する画家のひとりである・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/尾形光琳

光琳が本格的に作品を発表したのは1701年(43歳)から没年の1716年(58歳)までの15年間のみ。その短い活動期間に多数の名品を残して旅立った。乾山は兄の死後も30年近く生き、晩年は江戸に上がって筆を握り、文人趣味の優れた書画などを残した。豪奢な生活は光琳の家計を火だるまにさせたが、一流の美術品に触れ続けたことで審美眼を養えたのも事実。派手さがあっても決して下品ではなく、華やかで垢抜けている光琳デザインは、屏風以外にも、うちわ、着物、硯箱、印籠、百人一首、陶器絵など、工芸品を含めていかんなく発揮された。これらジャンルを越えた幅広い創作活動から、日本美術史上最高のデザイナーとされている。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic12.html
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/korin.html

尾形光琳 Ogata Korin 1658-1716
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/korin.html

日本の美術史には装飾美を究めた「琳派(りんぱ)」という流派がある・・・
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic12.html

紅白梅図屏風
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/korin_blossoms.html

光琳・解き明かされた国宝の謎・・・
紅白梅図」屏風の金地(金色の背景)について、2003年から翌年にかけての東京文化財研究所の蛍光X線による調査の結果、金箔を貼ったものではなく、金泥(金粉を膠で溶いた絵具)を使って描き、金箔の継ぎ目(箔足)をわざわざ描き出していた可能性が指摘された。一方、2010年のMOA美術館の発表によれば、X線回析法による再調査により、やはり金箔を貼ったものという調査結果が出たとしており、本屏風の制作技法については、なお議論が続いている・・・
http://www.kanshin.com/keyword/549269
[PDF] 尾形光琳筆 紅白梅図屏風の蛍光X線分析
http://www.tobunken.go.jp/~hozon/pdf/44/04401.pdf

紅白梅図屏風 - 館内案内/MOA美術館 MOA MUSEUM OF ART
http://www.moaart.or.jp/owned.php?id=820
http://homay.jp/japan_creative_kourinn%20.html
尾形光琳「燕子花図屏風」
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/100501/
「紅白梅図屏風」 伝 尾形光琳 出光美術館
「紅白梅図屏風」 酒井抱一  出光美術館
http://blogs.yahoo.co.jp/les_fleurs3106/45867369.html
美の巨人たち 尾形光琳「燕子花図屏風」
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/100501/

紅白梅図屏風と尾形光琳屋敷
http://blog.livedoor.jp/torublo/archives/51507319.html
尾形光琳 “八橋蒔絵螺鈿硯箱”
http://blogs.yahoo.co.jp/ryokuminima/19227036.html
出光美術館「乾山の芸術と光琳展」
http://blog.livedoor.jp/torublo/archives/51111342.html

尾形 光琳・画像検索↓
http://images.google.co.jp/images?client=safari&rls=en&q=尾形光琳&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&ei=cI2yS9mTDYyOkQWO9YiWBA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBkQsAQwAA

尾形光琳-紅白梅図屏風 の画像検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&client=safari&rls=en&q=尾形光琳-紅白梅図屏風&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=LN9HTNL-Kc7BcZbg4M8M&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CDEQsAQwAw

尾形 乾山 (おがた けんざん) 寛文3年(1663年)〜 寛保3年(1743年)
尾形乾山は京都の裕福な呉服商「雁金屋」店主尾形家の三男権平(ごんべい)として生まれた・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/尾形乾山

琳派(りんぱ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/琳派

琳派・画像検索↓
http://images.google.co.jp/images?client=safari&rls=en&q=琳派&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&ei=25GyS5KqDs2HkQWD7OiEBA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CCoQsAQwAw

松尾芭蕉(寛永21年1644年)〜 元禄7年(1694年1)三重県伊賀市出身の江戸時代前期の俳諧師である・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/松尾芭蕉
「おくのほそ道」
松尾芭蕉が元禄時代に著した紀行本。元禄15年(1702年)刊。日本の古典における紀行作品の代表的存在であり、松尾芭蕉の著書の中でも最も有名な作品である・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/奥の細道

享保の改革(きょうほうのかいかく)江戸時代中期に行われた幕政改革。8代将軍徳川吉宗が主導した諸改革で、在任期間の1716年から1745年の年号に由来する・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/享保の改革

本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ)永禄元年(1558年)〜 寛永14年(1637年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/本阿弥光悦
江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家である。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。

グスタフ・クリムト(Gustav Klimt 1862〜 1918年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・クリムト

http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/klimt.html
http://school.pokebras.jp/e47837.html
http://www.cafeblo.com/bittersweetbitter/entry-d7e20c2d9d008d05eabb607e08ca882c.html
http://ameblo.jp/kaztaro76/entry-10455175750.html
http://photogramm.blog58.fc2.com/blog-entry-49.html
http://artprogramkt.blog91.fc2.com/blog-entry-85.html

クリムト の画像検索
http://www.google.co.jp/images?client=safari&rls=en&q=クリムト&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=EttHTJbmFs66ceaz4MwM&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CDcQsAQwAA




Copyright © 2010 guchini.exblog All Rights Reserved.

[PR]
by gpo-higuchi | 2010-10-03 15:06 | 光琳とクリムト[前編] | Trackback
2010年 04月 01日
ぶらり京都-10 [建仁寺・風神雷神図]
建仁寺蔵・国宝・風神雷神図(ふうじんらいじんず)・・・・・
それは、俵屋 宗達が三十三間堂の鎌倉彫刻の傑作である「風神雷神」を屏風に描いたものと云われているが、落款も印章もなく制作年代もわからない、でも上塗り絵の具を垂らして雲を描いた「たらしこみ画法」や画面構成などから宗達の晩年の作品と云われている。

そしてこの絵は・・・
当時、京都の豪商で歌人でもあった打它公軌(うだ きんのり)?〜正保4年(1647年)が、寛永14年からの京都・妙光寺再興の際に製作を依頼したとされるが、元和末期(1624年)頃の作だとも云われ、それを示す直接の文書はなく、それ以外に制作事情や伝来についての史料は見つかっておらず、後年、1818年から1829年頃に建仁寺に渡たるが、現在は建仁寺から京都国立博物館に寄託され、特別展や京都国立博物館の9月の常設展で見る事が出来、建仁寺には現在、陶板焼きと複製の「風神雷神」が展示されている。

しかしこの絵から、琳派の深い流れが見えて来る・・・
本阿弥 光悦を祖とする琳派は、江戸初期に活躍した謎の多い天才芸術家・俵屋 宗達(生没年不詳)を生む。宗達は晩年、最高傑作・風神雷神図を描き、京都・妙光寺におさめる。
そしてその後、宗達の絵が出来てからほとんど100年近く経った江戸中期。宗達を慕い琳派を受け継ぐ光琳は、その妙光寺にあった宗達の風神雷神図の模本を作り「風神雷神」(東京国立博物館所蔵)を完成する。
時代はさらに下って幕末期。光琳の模本・風神雷神図屏風は、江戸の地にあり、なんと、将軍の父親が所有していた。そのお宝を拝むことができたのが、大名姫路藩主の次男で光琳の信奉者であり、琳派を受け継ぐ酒井抱一で、宗達の屏風があることなど夢にも思わなかった抱一は、その作品を光琳オリジナルの作品と誤解し、かつての光琳と同じように模本し「風神雷神」(出光美術館所蔵)を制作する。
それは、狩野派や円山派といった他の江戸時代の流派の様に模写を通じて直接、師から画技を学んだのに対し、琳派では受け継がれて行く時間が、年齢差が約100才程であったり、場所や身分が遠く離れた人々によって受け継がれた事は、他の流派には類を見ない特色であり、同じ主題や図様、独特の技法を意識的に選択・踏襲することで流派のアイデンティティを保持し、絵師独自の発見と解釈を加え再構成する。
そして、光琳は「紅白梅図屏風」で、袍一は「風雨草花図」で歴代の琳派の師を超えて行く。それは、単なるコピーやエピゴーネン(ドイツ語: Epigonen・模倣者、亜流、パクリ)ではなく、琳派が持つ王朝時代の古典の神髄と、明快で装飾的な意匠感覚をもって、時代の中に新たな芸術を生み出してきた琳派の継承と創造の深さを垣間みることが出来る・・・

そんな建仁寺は・・・
室町幕府により京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えるが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃し、天正年間(1573〜1592年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔などが再建修築されたとある・・・

そして、禅宗本山寺院・建仁寺(臨済宗)の春の縁側の陽だまりで、庭園を眺め、座し、師を超えて行く美の本意を瞑想す・・・
f0190950_1038956.jpg
三十三間堂・ 国宝 風神・雷神と二十八部衆(こくほう ふうじんらいじんぞう)
http://sanjusangendo.jp/b_2.html

国宝、2曲1双・紙本金地着色、各154.5×169.8cm、建仁寺蔵(現在は京都国立博物館に寄託)・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/風神雷神図

風神雷神図屏風 (Wind God and Thunder God Screens) 17世紀(江戸時代) 各169.8× 154.5cm | 2曲1双・紙本金地著色 | 京都 建仁寺. 琳派を代表する絵師 俵屋宗達の至高の代表作・・・
http://www.salvastyle.com/menu_japanese/sotatsu_god.html

国宝 風神雷神図屏風ー宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造ー
http://www.fujitv.co.jp/event/art-net/go/369.html

琳派(りんぱ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/琳派
琳派・画像検索↓
http://images.google.co.jp/images?client=safari&rls=en&q=琳派&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&ei=25GyS5KqDs2HkQWD7OiEBA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CCoQsAQwAw

本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ)永禄元年(1558年)〜 寛永14年(1637年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/本阿弥光悦
江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家である。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。

本阿弥 光悦・画像検索↓
http://images.google.co.jp/images?client=safari&rls=en&q=本阿弥+光悦(&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&ei=opGyS73rAZCTkAWpnd2PBA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CCoQsAQwAw

俵屋 宗達(たわらや そうたつ)生没年不詳 ・ 慶長(1596年〜1615年)から寛永(1624年〜1643年)年間に活動
http://ja.wikipedia.org/wiki/俵屋宗達
江戸時代初期の画家、通称は野々村宗達。号は「伊年」あるいは「対青軒」ほか。

俵屋 宗達・画像検索↓
http://images.google.co.jp/images?client=safari&rls=en&q=俵屋+宗達&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&ei=R5GyS-K0JZiekQXzvKGVBA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CB0QsAQwAA

尾形 光琳(おがた こうりん)万治元年(1658年)〜 享保元年(1716年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/尾形光琳
京都の呉服商「雁金屋」の当主・尾形宗謙の次男として生まれ、江戸時代中期を代表する画家のひとりである。主に京都の富裕な町衆を顧客とし、王朝時代の古典を学びつつ、明快で装飾的な作品を残した・・・

尾形 光琳・画像検索↓
http://images.google.co.jp/images?client=safari&rls=en&q=尾形光琳&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&ei=cI2yS9mTDYyOkQWO9YiWBA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBkQsAQwAA

酒井 抱一(さかい ほういつ) 宝暦(1761年)〜文政11年(1829年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/酒井抱一
若い頃から俳諧や狂歌、浮世絵等に才能を発揮し、30歳の時句集「軽挙館句藻」を刊行する。兄の没後、37歳で西本願寺の法主文如に随って出家した後は尾形光琳に私淑し、光琳の事績の研究や顕彰に努める・・・

酒井 抱一・画像検索↓
http://images.google.co.jp/images?client=safari&rls=en&q=酒井抱一&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&ei=jo-yS5r5E9CTkAXqnMGMBA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBoQsAQwAA

臨済宗建仁寺派の大本山・建仁寺 The Oldest Zen Temple Kenninji
http://www.kenninji.jp/

http://shokyoto-kyoto.seesaa.net/article/97172000.html
http://groveeshop.seesaa.net/article/134040620.html

酒井抱一は、光琳の画が模写であることを知らずに描いたと見られています。
http://4travel.jp/traveler/bach-/album/10241460/

落款も印章もないが、上塗り絵の具を垂らして雲を描いた「たらしこみ画法」や画面構成などから俵屋宗達の晩年の作品と信じられていて、宗達の最高傑作とされる。
後に、 尾形光琳(東京国立博物館所蔵)、 酒井抱一(出光美術館所蔵)、 鈴木其一が模倣した作品を残している・・・
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/philately/kyoto_east.html

尾形光琳の風神雷神を見る上で、やっぱり俵屋宗達の風神雷神を扱わないわけにはいきません。今回は宗達と光琳の違いを見てみましょう・・・
http://hipponnobijutsu.seesaa.net/article/16994026.html
http://hipponnobijutsu.seesaa.net/article/24032710.html

さらには今年の9月に出光美術館で国宝 風神雷神図屏風 —宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造—という展覧会が開催されるようですのでその時にでも3つの「風神雷神図屏風」を見比べてみようとも思っているのでした・・・
http://blog.livedoor.jp/inumayu/archives/50662582.html

確かに絵は三者三様である。図案・構成は同じだが、細かい部分や色合が違っていて、相違点に関する考察もなされていた。見比べて見ると、宗達のものは色こそ褪せてはいるが、一番迫力があり、気に入った。光琳のものはなぜかピンとこなかったし、抱一のものは新しいためか、色彩も鮮やかでアニメのようだった。宗達の風神雷神は屏風の絵として納まっているのに、光琳からは風神雷神が屏風から出てくるような、抱一の風神雷神は屏風から飛び出してしまっているような感じでアニメっぽい感じなのである・・・
http://cardiacsurgery.hp.infoseek.co.jp/JA061.htm
http://19741230.at.webry.info/200908/article_18.html

「風神雷神図屏風」を味わう・・・
http://be-hot.hp.infoseek.co.jp/jugyo_tyu/200405FujinRaijin/index.htm


f0190950_10434934.jpg

[PR]
by gpo-higuchi | 2010-04-01 10:45 | ぶらり京都-10[風神雷神図] | Trackback