フェルメールの青 - Lapis lazuli -
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フェルメールの絵は3点、総て手紙を書いているか、読んでいるかのもので、特に「手紙を読む青衣の女」はアムステルダム国立美術館で日本人女性も加わり、修復作業が行われ、300年余を経てフェルメールが愛した”フェルメール・ブルー”と云われる、彼がこだわり続けた当時に近い「青」が再現された・・・
フェルメールからのラブレター展|京都市美術館|2011年6月25日(土)~10月16日(日)
http://www.kyotodeasobo.com/art/pickup/vermeer-message/
" Brieflezende vrouw in het blauw"
1663年〜1664年頃|カンヴァス 油彩|46.6×39.1cm
アムステルダム国立美術館蔵|Rijksmuseum Amsterdam
(1847年、アムステルダムの銀行家アードリアン・ファン・デル・ホープが市に寄贈)
ヨハネス・フェルメール:Johannes Vermeer (1632年?~1675年?)
当時の北部ヨーロッパあたりは・・・
イタリア・ルネッサンス期に、ヨーロッパの海上交易は、地中海から世界貿易へと拡大し、その後、大航海時代を迎える。そして、この辺り一帯の後進国も経済的な繁栄を背景に、辺境の地ながら商業都市が生まれ、この地にもイタリア・ルネサンスの影響を受けて、15世紀には「北方ルネサンス」の華がひらき、ファン・エイクなどにはじまり、アルブレヒト・デューラー(独)がイタリアへ二度旅してルネサンスの影響を受けながら、ホルバイン(独)やブリューゲル、そして外交使節としてマドリードを訪れスペイン絵画や、或はイタリアを訪れて学んだ、ルーベンスなどが活躍し「フランドル絵画」として美術史上に登場する・・・
" Schrijvende vrouw in het geel" 1665年頃|カンヴァス、油彩|45×39.9cm|ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵|National Gallery of Art ヨハネス・フェルメール:Johannes Vermeer (1632年?~1675年?) |
そして現在の、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3ヶ国にあたるネーデルラント(オランダ語:Nederlanden英語:Netherlands)は「低地の国々」を意味する地域で、15世紀末からハプスブルク家のスペイン領の植民地であったが、スペインによる重税政策とカルヴァン派とカトリックを強制する宗主国スペインとの間で1568年に独立戦争が勃発し、1609年から1621年までの12年間の停戦を挟み、80年戦争と云われる歳月を費やして1648年オランダは独立する。そのオランダを背景に、レンブラント(1606年〜1669年)やフェルメール(1632年〜1675年)が活躍し「オランダ絵画」が生まれ、後のゴッホやモンドリアンに受け継がれて行く・・・
ヨハネス・フェルメール (Johannes Vermeer 1632〜1675年)・・・
Wikipediaでは誕生日、死亡日ともに不明、本名をヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト(Jan van der Meer van Delft)と言い、生涯のほとんどを故郷デルフト: Delftで過ごし、22年の画歴で現存する作品点数は、研究者によって異同はあるものの33~36点と少ない・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨハネス・フェルメール
そして、手紙の彼方の顔を浮かべ思いを馳せる手紙と云う媒体物、それを可能にした郵便とは・・・
1489年にイタリア出身のトゥルン・ウント・タクシス家が、ハプスブルク家のマクシミリアン一世の郵便物を無料で届けたことがきっかけで始まり、当時ヨーロッパを支配していたハプスブルク家の地域に郵便馬車を走らせるようになり「タクシス郵便」が誕生する・・・
やがて、駅や厩舎を作り、馬車で手紙をリレーし、スピードと配達の区域も広がり、16世紀初めには、ヨーロッパ市場の規模の拡大で仕事や旅をし、家族と離れたり、あるいは世の中のこまかな情報が素早く正確に必要となりだし始め、一定の料金と引き換えに市民の私信も配達する今日で云う郵便事業へと発展する。当然、大航海時代の覇権競争の中で、生死をかけ危険を伴いながら、商売や出稼ぎで世界を駆け巡り、家族と離ればなれの日々のなかでは家族を結びつける深い絆が必要な時代であり、手紙は重要な要素として社会現象化し、今のメールの様に、かなりの発展を遂げ、フェルメールは今風に絵画の題材に取り上げ、手紙を読み書きしている人物の表情に、家族に寄せる深い思いまでもが見事に描かれている・・・
その間、ヨーロッパの大航海時代はより激しくなり、1497年ポルトガル海上帝国の基礎を築く、インド交易のヴァスコ・ダ・ガマや、1492年コロンブスのアメリカ大陸、1522年マゼランの世界一周へ、地球の球体と、そのスケールは鮮明化し、ポルトガルとスペインによる覇権闘争が激化し、ようやく用意が整ったイギリスやフランスに、スペインからの独立を果たすオランダも海外進出を始めだす・・・
そのオランダは1602年、世界初の株式会社といわれる、オランダ東インド会社を設立後、日本では江戸幕府の第4代将軍・徳川 家綱をむかえ、上方を中心に元禄文化が花ひらこうとしていた頃、カトリックに警戒感を強めていた江戸幕府に取り入りポルトガルの追い落としに成功し、長崎出島での交易を始める。ポルトガルからは香料貿易を奪い、さらにオランダ西インド会社も設立するなどして次第に植民地を拡大し、オランダ海上帝国としての黄金時代を迎える・・・
フェルメールが生まれ育ったデルフト: Delft では・・・
16世紀にイタリアからマヨリカの製法が伝わり作られていた従来の陶器生産に、オランダ東インド会社から、中国の磁器が伝わり、日本の有田の陶磁器も加わり、ヨーロッパで人気の高かった中国磁器をまねて、白地に青色の彩色を施し、オランダ風に再現し”デルフトブルー”と呼ばれる藍色の独特な「デルフト焼」が出来上がる・・・
そして、その青色の顔料は、ラピスラズリ (Lapis lazuli) と云われ、ラピスはラテン語で「石:Lapis」ラズリはペルシア語からアラビア語の "lazward"ラズワルド: 天・空・青などの意で「群青の空の色」を意味し、色名は群青色:ウルトラマリンブルー(Ultramarine Blue)と呼ばれる。ウルトラマリンという名前は地中海の海(marine)を越えてきた(ultra-)という意味で、その主鉱物はラズライトであり、ルネッサンス期の西洋絵画などで精製して使われていたが、ヨーロッパへは原産地のアフガニスタンから西アジアを経てオランダ東インド会社によってもたらされ、大変に高価な貴重品で、純金と等価もしくはそれ以上の価値で流通していた・・・
そしてフェルメールも、故郷デルフトを愛し、そこで生まれるラピスラズリの「その色:デルフトブルー」を愛し、絵の具に混ぜ合わせ、こだわり続け、全作品を貫く「青」の”フェルメール・ブルー”が生まれる・・・
フェルメールは1657年から生涯最大のパトロンで、デルフトの醸造業者、投資家でもあるピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンに恵まれた。このパトロンはフェルメールを支え続け、彼の作品20点を所持していた・・・
しかし、イギリス海峡の制海権が焦点となり、1652年から英蘭戦争が勃発し3次、4次と続きながら国土は荒れ、経済は低迷し、パトロンのファン・ライフェンも亡くなり、オランダの画家数は4分の1にまで減少していった。先人の巨匠レンブラントは晩年をむかえ、トスカーナ大公国のコジモ3世がレンブラントのアトリエを訪問し、その日記に「有名なレンブラント」と彼の名声を記しながらも、財産はすべて無くし、無一文の状態で1669年に63年の生涯を終えた。そしてフェルメールも、大量の負債を抱え、1675年にデルフトで42〜3歳の若さで、その生涯を終える・・・
↑「デルフトの眺望」1660〜1661年頃|マウリッツハイス美術館蔵
"Schrijvende vrouw met dienstbode" 1670年頃|カンヴァス、油彩|71.1×60.5cm|アイルランド国立絵画館蔵|National Gallery of Ireland ヨハネス・フェルメール:Johannes Vermeer (1632年?~1675年?) |
その時、時代の覇権はイギリスやフランスに取って代わろうとし、美の時代も・・・
北方バロックの、フランドルのルーベンス、オランダのレンブラント。或は又、南方バロックのスペインのエル・グレコやヴェラスケスに、少し降ってゴヤと、華を咲かせたバロック様式(ゆがんだ、不均衡な意)も、ルイ王朝のヴェルサイユ宮殿にみられるロココ様式へと移りだして行った・・・
けれど、フェルメールが全作品を貫き描き切った”フェルメール・ブルー”の絵画たちは、幾多の国々の人々にその地が有する、自然で素朴な風や光をも友として、デルフトの人が愛した”デルフトブルー”と共に、フェルメールの「青」として、今も世界の人々を魅了し続けている・・・
<オランダで修復前の絵をみたフアンの人と今回ご一緒したんですが、曰く「やっぱ〜この青やろ・・・こんなに奇麗になるんか〜?」と感心してました>2004年、フェルメールの37枚目の絵「ヴァージナルの前に座る女:A Young Woman Seated at the Virginals」が本物と判断され、サザビー・オークション(Sotheby's auction)で£16,245,600:日本円にして約32.5億で落札されているが、決め手は「青」の”フェルメール・ブルー”のラピスラズリ (Lapis lazuli)だけでは無く、その絵はフェルメールの作品群と同じキャンバスと判断され、キャンバスの布の織り模様が他の作品の「レースを編む女」と同じ続きの布で同一のものだった事が決め手となっている・・・
http://vermeer.jugem.cc/?eid=21
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=446
(以下・参考サイト)
2012/2/11放送|KIRIN~美の巨人たち~|フェルメール「手紙を読む青衣の女」
番組では・・・
「フェルメールは手紙を題材にした作品を6枚描いていますが、実はその中で青い衣服を着た女性は彼女一人だけ。この女性に対して特別な思い入れがあるように感じられます。一体彼女は誰なのでしょうか?」彼女のの名前はカタリーナ・ボルネス。当時、高価な「ラピスラズリ」は「幸福の青」と云われていました。彼女は子宝に恵まれ、フェルメールもその青を使い彼女の幸福を願ったのです。そう、彼女は最愛の女房でした。そしてその手紙は、最愛の女房(カタリーナ)への永遠のラブレターだったのです。」
と閉じている・・・
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/120211/index.html
「フェルメールからのラブレター」
コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ
6月25日(土)-10月16日(日)
大人1500円(1400)高大生1000円(900)小中生500円(400)( )内は20名以上の団体料金
京都市美術館:〒606-8344 京都市左京区岡崎円勝寺町124(岡崎公園内)Tel.075-771-4107
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/kmma/exhibition/vermeer_2011.html
http://www.kyotodeasobo.com/art/pickup/vermeer-message/
ヨハネス・フェルメール:Johannes Vermeer (Jan Vermeer)1632〜1675 | オランダ絵画黄金期
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヨハネス・フェルメール
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/vermeer.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/フェルメールの作品
レンブラント・ファン・レイン:Rembrandt Harmensz, van Rijn 1606-1669
http://ja.wikipedia.org/wiki/レンブラント・ファン・レイン
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/rembrandt.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/北方ルネサンス
http://ja.wikipedia.org/wiki/フランドル
http://ja.wikipedia.org/wiki/バロック
http://ja.wikipedia.org/wiki/ロココ
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴァスコ・ダ・ガマ
http://ja.wikipedia.org/wiki/クリストファー・コロンブス
http://ja.wikipedia.org/wiki/フェルディナンド・マゼラン
http://ja.wikipedia.org/wiki/八十年戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/オランダ東インド会社
http://ja.wikipedia.org/wiki/英蘭戦争
トゥルン・ウント・タクシス家は、神聖ローマ帝国の郵便制度(帝国郵便)を開拓し司った一族である。ヨーロッパ大陸における制度の発展に大きな役割を果たす一方で、郵便網の支配によって巨万の富を蓄積し、帝国諸侯にも列せられた・・・アルベルト・プリンツ・フォン・トゥルン・ウント・タクシス(ドイツ語:Albert Maria Lamoral Miguel Johannes Gabriel Prinz von Thurn und Taxis, 1983年6月24日 レーゲンスブルク - )は、ドイツの公子、実業家、億万長者、ソーシャライト。トゥルン・ウント・タクシス侯爵家の現当主。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アルベルト・プリンツ・フォン・トゥルン・ウント・タクシス
トゥルン・ウント・タクシス その郵便と企業の歴史
切手は1990年発行のヨーロッパ郵便事業500年を記念し、図案をタクシス郵便の始祖のフランツ・フォン・タッソーの騎馬使者がマクシミリアン皇帝の郵便を運ぶ様を描いたA・デューラーの銅版画から採っている。押されている小型印はマクシミリアン一世である。
http://www.sangensha.co.jp/allbooks/index/356.html
オランダ海上帝国(オランダかいじょうていこく、英語:Dutch Empire)は、17世紀から18 世紀にかけてオランダ(ネーデルラント連邦共和国)が本国及び植民地を拡大して築いた植民地支配及び交易体制を指す。 オランダ海上帝国 ...
https://ja.wikipedia.org/wiki/オランダ海上帝国
フェルメール・センター
http://www.vermeerdelft.nl/
マウリッツハウス美術館|フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」に出会える・・・
http://www.holland.or.jp/nbtc/HG_Haag-city-mauritshuis.html
デルフト焼
http://ja.wikipedia.org/wiki/デルフト
デルフトブルー(Delft Blue)の語源
http://iropedia.web.fc2.com/blue/delftblue.html
ロイヤルデルフトはオランダで17世紀から続く、現存する唯一の窯元です。「デルフトブルー」と呼ばれる藍色の焼き物が、数世紀続く伝統的手法に基づいて、今も人の手を介して制作されている唯一の工房です・・・
オランダ政府観光局|HOME →Holland Go ハーグ →デルフト
http://www.holland.or.jp/nbtc/HG_Haag-kinkou-delft.html
ロイヤルデルフトで 本物のデルフトブルーを体験・・・
http://www.holland.or.jp/nbtc/culture-tradition-delft_pottery.html
ロイヤルデルフト(ポースレンフレス社)/オフィシャルサイト
http://www.royaldelft.com/
デルフセ・パウ社/オフィシャルサイト
http://www.delftpottery.com/
デ・カンデラール社/オフィシャルサイト
http://www.candelaer.nl/
デルフト(Delft)はドイツのマイセンと並んで陶器の製造で知られています。特にコバルト色の絵付けに特色があります。しかし伝統的な手作業による絵付けを行っているのは、今では二社しかありません ・・・
http://homepage3.nifty.com/iwayanagihome/Porcelen.htm
オランダ旅行記(デルフト焼き)~中世を旅する~
http://www5d.biglobe.ne.jp/~k-ue/travel/benelux_201004/20100412-1.htm
ラピスラズリ (lapis lazuli)
ラピスはラテン語で「石」 (Lapis)、ラズリはペルシア語からアラビア語に入った "lazward"(ラズワルド: 天・空・青などの意でアジュールの語源)が起源で「群青の空の色」を意味している・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/ラピスラズリ
群青は本来瑠璃(ラピスラズリ)を原料とする青色顔料のことである・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/群青色
藍銅鉱(らんどうこう、azurite、アズライト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/藍銅鉱
オランダ海上帝国(オランダかいじょうていこく、英語:Dutch Empire)は、17世紀から18 世紀にかけてオランダ(ネーデルラント連邦共和国)が本国及び植民地を拡大して築いた植民地支配及び交易体制を指す。 オランダ海上帝国 ...
https://ja.wikipedia.org/wiki/オランダ海上帝国
Posted: Wed - July 21, 2004 at 12:02 PM
大画家フェルメールの奥さんは、夫の死後なぜ自己破産をしたか?|余丁町散人の Blog
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1570102516/E779963464/index.html
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