乱世の余興人「梅庵」
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播磨国三木の出身の「梅庵:ばいあん」は、僧から還俗して豊臣秀吉の御伽衆として仕え、1582年(天正10年)大坂天満宮の別当となり、軍記「天正記」の著者、謡曲や幸若の詞章の作や、和歌、連歌、狂歌、俳諧など、天下人の秀吉の文化的ブレーンとして、静寂のなかの孤高の審美を貫く「千利休」と対照的な、時代の底辺で這いつくばって生きる最下層の退廃的な臭いのする「傾奇者:かぶきもの」から、芸能としての「歌舞伎」と云う新らたな時代の幕を上げる・・・
「梅庵」とは・・・
号は「藻虫斉 梅庵:そうちゅうさい ばいあん」
本名は大村由己(おおむら ゆうこ)
1536年? (天文7年)~1596年(慶長元年)
播磨国三木の三木大村金剛寺の塔頭、青柳山長楽寺の僧で頼音房(らいおんぼう)と呼ばれ、織田信長軍の秀吉による播州三木城(兵庫県三木市)攻めで別所氏は三木城に篭城。1580年(天正8年)その三木合戦は秀吉の兵糧攻め後、織田方の勝利で終決する。当時、大村一帯は秀吉側の陣地になり、その時、梅庵は秀吉の祐筆となり「御伽衆:文化的ブレーン」として、1582年(天正10年)から没するまで大坂天満宮の別当を勤め、大阪天満宮会所の社僧として、約60年の生涯を終えている・・・
天下人の秀吉は、1583年(天正11年)に大阪城築城を開始し、1年半後に完成させ時代は落ち着きをみせる。そして、人の眼を引き奇抜を好む秀吉は「能」に傾倒し、梅庵が台本を書き下ろし、自分を主役の活躍を演目にした「明智討」「柴田討」「北条討」「吉野花見」「高野参詣」などの新作能を作り「明智討」は1594年(文禄3年)に大坂城で、「柴田討」なども主役の秀吉を、 事も有ろうに、秀吉自身が演じている・・・
当時の人々の暮らしは、1565年(永禄8年)狩野永徳の、京都の名もなき人々(絵の登場人物は約3,100人)の暮らしを一双の屏風に描いた、有名な「洛中洛外図屏風」はその後、幾多の画家によって、19世紀まで数多くの「洛中洛外図」が描かれており、約100点程が残されている。その内の、江戸時代以降、摂津国河辺郡伊丹(現在の兵庫県伊丹市伊丹)の有岡城主・荒木村重の子として生まれた、岩佐 又兵衛(いわさ またべえ)通称「吃の又平:どものまたへい」によって描かれたとされる「舟木本洛中洛外図屏風」は人気が高く、当時の踊る女に歩き巫女や仮装行列など、庶民の風俗が細かく描かれている。
時に、秀吉が催す幾多の仮装茶会の、特に名護屋城の仮装茶会は、参加する武将達にわざと身分の低い者の格好をしてくるように通達し、自身も瓜売りの姿で参加し、「太閤記」によると、仮装パレードのようなもので配役は・・・
豊臣秀吉:瓜売り
徳川家康:あじか(木製のザル)売り
蒲生氏郷:路茶売り
織田有楽斎;旅の老僧
前田利家:高野聖
有馬則頼:有馬池坊宿亭主
その他数人の大名となっている・・・
そして、1587年(天正15年)の千利休が主管した北野大茶会や、盛大な菜の花見を催し「菜種おどり」や芳野(吉野)の花見、梅庵はそれらの催事に、今でいうところの芸能プロダクショッンの様に音楽や踊りなどの時代の芸人たちを巧みに組み合わせた演出などを行っていた・・・
世が乱れ、生きる糧を拾い求める時、特に時代の底辺で這いつくばって生きる最下層の人々から吹き出す社会風潮として、中世の南北朝時代の流行語「婆娑羅(ばさら):vajra (梵語:サンスクリット語)」の様な流れは、戦国の、特に慶長から寛永年間(1596年~1643年)には「傾奇者:かぶきもの」となり、それは異風を好み、派手な身なりをして、色鮮やかな女物の着物をマントのように羽織ったり、袴に動物皮をつぎはぎするなど、常識を無視した服装で徒党を組んで飲食代を踏み倒し、因縁をふっかけて金品を強奪するなどの乱暴・狼藉を働き、京都、大坂や江戸などの都市部で流行する・・・
「傾奇者:かぶきもの」になるのは、若党、中間、小者といった武士身分ではなく、武家に雇われて、槍持ち、草履取りなどの雑用をこなす者で、その生活は貧しく不安定であり、彼らの多くは合戦の際には足軽や人足として働きつつ、機をみて略奪行為と、自由で暴力的な生活を謳歌していたが、戦国の世が終わるとともにその居場所は無くなり、彼らを反社会的で刹那的な生き方に駆り立てていった・・・
↑「歌舞伎図巻」下巻(名古屋徳川美術館蔵)Okuni as Samurai
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そんな時代を背景に書かれた、有吉佐和子の小説「出雲の阿国:いずもの おくに」は、1973年にNETテレビ(現・テレビ朝日)や、2006年のNHK金曜時代劇でテレビドラマ化され、出雲の国から出稼ぎにきた神事で踊る巫女の一座の「かぶく女」として、伝説の様に時代に登場する・・・
1588年(天正16年)大坂の天満宮で、出雲の国から神事で踊る巫女の一座。見物客の歓声と手拍子なかで、天満宮別当の梅庵は、阿国たちを大事な客をもてなす余興として、屋敷に召し抱え、目の肥えた客に備え、一座を都会風に厳しく稽古をつけ・・・
「客が入らへんから見世物小屋の前で客を引く・・・」
「芸人が客を引いたら、アカン!」
「食べ物屋が臭や味で客を呼ぶ様に、芸で呼ぶもんや!」
叱りつける梅庵・・・
何時しか「出雲の阿国」も、今で云う芸能プロダクション「梅庵」に身を寄せ、幾多の神事、催事の仮装茶会、花見の催しなどに出演する。
そして、時代は大きく動き出し・・・
1591年(天正19年)茶聖とも称せられた千利休も秀吉の怒りを買い聚楽第の屋敷内で切腹し、静寂の感性は終わりを告げた。
梅庵も秀吉の亡くなる2年前の1596年(慶長元年)に大阪天満宮会所の社僧として生涯を終え、
秀吉も1598年(慶長3年)に「醍醐の花見」の約半年後、波乱に満ちた62年(享年63歳)の生涯をとじる・・・
1600年(慶長5年)の石田三成らの関ヶ原の戦い。
1603年(慶長8年)徳川家康は伏見城で征夷大将軍に就任。
1614年(慶長19年)の大坂冬の陣と、翌年1615年(慶長20年)大坂夏の陣で豊臣家は滅亡する・・・
しかし、神事で踊る巫女の一座の「出雲の阿国」と「梅庵」との出会いは、世の底辺から湧き出た水がくみ上げられる様に、時代を潤す新たな文化へと発展する・・・
その頃の1603年(慶長8年)春、出雲の阿国は北野天満宮の舞台で興行を行い、 男装して茶屋遊びに通う伊達男を演じ、同年5月には御所でも演じ、四条河原(現・四条河原の南座あたり)などで勧進興行を行ない、それらは「ややこ踊り」や「念仏踊り」とも呼ばれ、その時代の「かぶき者」の風俗を取り入れ「かぶき踊り」として完成し、たちまち全国的な流行となり、のちの「歌舞伎」の原型となった・・・
そしてその後、出雲の阿国:いずもの おくに(1572年?:元亀3年~没年不詳) は・・・
歌舞伎の創始者として芸能史に燦然と輝きながら、幾多の伝説を残し、風の様に消えた・・・
(以下・参考サイト)
藻虫斉梅庵(そうちゅうさいばいあん)こと 大村由己 (おお むらゆうこ)
大村 由己(おおむら ゆうこ、天文7年(1536年)? - 慶長元年5月7日(1596年6月2日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての学者・著述家。播磨国三木の出身。号は藻虫斎梅庵。初め僧籍にあったが、還俗して豊臣秀吉に御伽衆として仕えた。秀吉の伝記である『天正記』の著者として知られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/大村由己
http://spysee.jp/大村由己/1666692/#lead
http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E7%94%B1%E5%B7%B1
秀吉と三木|三木市|三木合戦にまつわる史跡や行事|第9話 由己と秀吉
http://www.city.miki.lg.jp/bunka/hideyoshi09.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/三木合戦
http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp298876
http://kotobank.jp/word/大村由己
大村由己と山科言経|大阪天満宮 - 天神天満フォト -
http://blogs.yahoo.co.jp/kaoru4595/28493278.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kaoru4595/28493278.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/傾奇者
http://ja.wikipedia.org/wiki/ばさら
http://ja.wikipedia.org/wiki/千利休
千利休の生涯
ある朝、秀吉が利休に茶会に招かれると庭の朝顔が全て切り取られていた。不審に思いながら秀吉が茶室に入ると、床の間に一輪だけ朝顔が生けてあり、一輪ゆえに際立てられた朝顔の美しさに秀吉は深く感動した・・・
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic21.html
綱敷天神社
http://www011.upp.so-net.ne.jp/u-shirae/yuisyo/nenpyou.html
Hakumo的日记|Wiki日本人文学科词条 - 145【豊臣秀吉】 丰臣秀吉
http://www.douban.com/note/101475612/
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に肥前名護屋城で開催した仮装パーティー(瓜畑遊び、でした...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243875432
豊臣秀吉 芳野(吉野)の花見
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/61158033.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/北野大茶湯
http://ja.wikipedia.org/wiki/醍醐の花見
洛中洛外図(らくちゅうらくがいず)は、室町時代から江戸時代にかけて描かれた風俗画で、京都の市街(洛中)・郊外(洛外)を俯瞰して描いたもの。多くは狩野派の手になり、ほとんどは屏風絵である・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/洛中洛外図
狩野永徳筆 国宝の上杉本が有名・・・
19世紀まで数多くの「洛中洛外図」が描かれており、約100点の作品があるという・・・
「舟木本洛中洛外図屏風」
京都の市中と郊外を描く洛中洛外図の一つ。右端に豊臣氏の象徴である方広寺大仏殿,左端には徳川氏の二条城を置いて対峙させる。鴨川の流れが左右の2隻を連繋し,密集する京の町が四方に広がる。各層各種の人物が生き生きと活写され,その数は2500人に及ぶ。もと滋賀の舟木家に伝来し,舟木本の名で親しまれている。
http://www.emuseum.jp/detail/100318?d_lang=ja&s_lang=ja&word=&class=&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=289&num=4&mode=detail¢ury=
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi17.html
[初期洛中洛外図]
16世紀に制作されたものを初期洛中洛外図と呼び、御所、幕府、管領細川邸などが大きく描かれる。(模本を含め)次の4作が知られる。
・歴博甲本(国立歴史民俗博物館所蔵)六曲一双 重要文化財(狩野派の絵師:狩野元信?の作)
・東博模本(東京国立博物館所蔵)(狩野派の絵師:狩野元信周辺の絵師?の作)
・上杉本(米沢市上杉博物館所蔵本)六曲一双 狩野永徳筆 国宝
・歴博乙本(国立歴史民俗博物館所蔵)六曲一双 重要文化財(狩野松栄:永徳の父の作)
[江戸時代以降]
江戸時代以降の洛中洛外図では二条城が大きく描かれる。19世紀まで数多くの洛中洛外図が描かれており、約100の作品があるという。重要文化財に指定されたものとして3点がある。
・舟木本(東京国立博物館所蔵)六曲一双 重要文化財(岩佐又兵衛の作ともいわれる)
・勝興寺本 六曲一双 重要文化財(狩野派:狩野孝信の作)
・池田本(林原美術館所蔵) 六曲一双 重要文化財
「舟木本洛中洛外図屏風」
<部分・五条本屋の前の歩き巫女>
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0008749
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0008748
洛中洛外図屏風(舟木本)|東京国立博物館| 館蔵品一覧
http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A11168
文化遺産オンライン|洛中風俗図屏風(舟木本)
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.
do?heritageId=77276
「舟木本洛中洛外図屏風」
<部分・京の街を駆け抜ける“かぶきもの"の一団>
馬に乗って、街を駆け巡っている「かぶき者」の群れ・・・
http://blog.livedoor.jp/yanagityou9999/
archives/51774711.html
http://tokutoku-museum.blog.so-net.ne.jp/2009-12-23
「舟木本洛中洛外図屏風」
<部分・四条河原の歌舞伎小屋の光景>
花道は無く、客席は桟敷席以外に屋根はなく、雨の時には上演は中止・・・
http://blog.livedoor.jp/yanagityou9999/
archives/51774711.html
「舟木本洛中洛外図屏風」
<部分・六条三筋町遊里で踊る女>
http://d.hatena.ne.jp/kyou2/20071124/p3
岩佐 又兵衛(いわさ またべえ、 天正6年(1578年)~慶安3年6月22日(1650年7月20日))は、江戸時代初期の絵師。又兵衛は通称で、諱は勝以(かつもち)。通称「吃の又平(どものまたへい)」
摂津国河辺郡伊丹(現在の兵庫県伊丹市伊丹)の有岡城主荒木村重の子として生まれる。誕生の翌年・天正7年(1579年)、村重は織田信長の家臣であったが、信長に反逆を企て、失敗する(有岡城の戦い)。落城に際して荒木一族はそのほとんどが斬殺されるが、数え年2歳の又兵衛は乳母に救い出され、石山本願寺に保護される。
成人した又兵衛は母方の岩佐姓を名乗り、信長の息子織田信雄に近習小姓役として仕えたという。文芸や画業などの諸芸をもって主君に仕える御伽衆のような存在だったと考えられる。信雄が改易後、浪人となった又兵衛は勝以を名乗り、京都で絵師として活動を始めたようである・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/岩佐又兵衛
弐代目・青い日記帳|1/4 「洛中洛外図屏風 舟木本」
東博のサイトにはこの舟木本の作者について言及していませんが、専ら岩佐又兵衛作の洛中洛外図として通っている屏風絵。
辻惟雄先生も昨年刊行された「岩佐又兵衛―浮世絵をつくった男の謎」 (文春新書)
にて、これまでの持論を覆し、「舟木屏風」は又兵衛だ!と結論付けています。
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1989
洛中洛外図屏風と風俗画|プレスリリース|国立歴史民俗博物館
人間文化研究機構連携展示 都市を描く-京都と江戸-第I部 「洛中洛外図屏風と風俗画」
http://www.rekihaku.ac.jp/others/press/p120327.html
美術館探訪 ARTNEWS アートニューズ
http://artnews.blog.so-net.ne.jp/2012-04-19
国立歴史民俗博物館「洛中洛外図屏風と風俗画」 ・・・佐倉で眺むる醍醐の桜は
http://blogs.yahoo.co.jp/laromanesca/archive/2012/5/2
出雲 阿国(いずもの おくに、元亀3年?(1572年) - 没年不詳)は、歌舞伎の創始者といわれる安土桃山時代の女性芸能者。於国、国、国子、おくに、くになど、さまざまに表記されている。
かぶき踊り、阿国歌舞伎発祥地
慶長8年(1603年)春に北野天満宮に舞台をかけて興行を行った。 男装して茶屋遊びに通う伊達男を演じるもので、京都で大変な人気を集めた(「当代記」同年5月には御所でも「かぶき踊り」を演じた。阿国は四条河原などで勧進興行を行った。なお、阿国の踊りをややこ踊りとする他、念仏踊りと記した史料もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/出雲阿国
出雲の阿国(いずものおくに)は、有吉佐和子の小説。中央公論社(現・中央公論新社)の雑誌『婦人公論』1967年1月号より連載。1969年から1972年にかけて同社より三巻本で刊行された。1969年度芸術選奨受賞作品。
http://ja.wikipedia.org/wiki/出雲の阿国_(小説)
改版|出雲の阿国 (上) (中公文庫) [文庫]
戦塵いまださめやらぬ桃山の世に、絢爛と咲いた一輪の華―やがて天下一の踊り手と謳われることになる乙女は、雪深き出雲に生を受け、舞の才を花開かせてゆく。歌舞伎の創始者として芸能史に燦然と輝く阿国の妖艶な生涯を描いた渾身の大河巨篇。昭和四 ...
http://www.amazon.co.jp/改版-出雲の阿国-中公文庫-有吉-佐和子/dp/4122040809
1973年にNETテレビ(現・テレビ朝日)で、2006年1月13日から2006年2月17日までNHK金曜時代劇でテレビドラマ化された。
http://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/syokuho/syokuho21.htm
http://www.nhk.or.jp/drama/archives/okuni/
歌舞伎の始祖・出雲の阿国
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8020/okuni.html
http://www.zusi.net/meisaku/izumo/okuni.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/dalmatiantarou/48595969.html
http://www.ten-f.com/isumono-okuni.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/歌舞伎
http://ja.wikipedia.org/wiki/能
http://ja.wikipedia.org/wiki/能楽
http://ja.wikipedia.org/wiki/狂言
http://ja.wikipedia.org/wiki/猿楽
鴨川のほとりに立つ出雲の阿国
http://kyotohotelsearch.com/blog/2009/10/17/okuni/
http://www.nhk.or.jp/drama/archives/okuni/
http://kyotokitano.com/rekishi/gallery.php?id=150
京都西陣、北野界隈の情報サイト|江戸時代 出雲阿国 北野下の森にて歌舞伎踊り初披露
http://kyotokitano.com/rekishi/gallery.php?id=150
中村屋と肥後中村家そして出雲阿国
http://blog.goo.ne.jp/np4626/e/536b809317e02f07275a6b0bc10019f3
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