ミラボー橋の二人 [アポリネールとマリー・ローランサン]
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そして、幾多の詩と名画が残り、アポリネールの詩はシャンソンとなり、ローランサンの絵は名画となり、お互い時代の感性を何処かで共有しながら、そして二人は時代から通り過ぎていった・・・
"Le Pont Mirabeau" Guillaume Apollinaire
「ミラボー橋」ギョーム・アポリネール
堀口大學 訳
ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
こうしていると 二人の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
流れる水のように恋もまた死んでゆく
命ばかりが長く 希望ばかりが大きい
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
日が去り 月がゆき
過ぎた時も 昔の恋も
二度とまた帰ってこない
ミラボー橋の下をセーヌ川が流れる
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
Guillaume Apollinaire
Alcools – poèmes 1898-1913
"Le Calmant" Marie Laurencin
「鎮 静 剤」マリー・ローランサン
堀口大學 訳
退屈な女より
もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より
もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より
もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より
もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より
もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より
もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より
もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より
もっと哀れなのは 忘れられた女です。
Plus qu'ennuyée Triste.
Plus que triste Malheureuse.
Plus que malheureuse Souffrante.
Plus que souffrante Abandonnée.
Plus qu'abandonnée Seule au monde.
Plus que seule au monde Exilée.
Plus qu'exilée Morte.
Plus que morte Oubliée.
ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)はポーランド人の母とスイス系イタリア人との間にローマに生まれ、1899年の19歳にパリに赴き、当時、芸術家たちがたむろしていたモンマルトルでパブロ・ピカソ、マルク・シャガール、マルセル・デュシャらと出会い、1911年頃からキュビズム運動に参加する。
ちょうどその頃、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)も、パリで1883年に縫い物で生計を立てていた母ポーリーヌと代議士との間に私生児として生まれ、画家を志してアカデミー・アンベールで絵を勉強中、ジョルジュ・ブラックと知り合い、キュビズムの影響を受け、ブラックの紹介で、1907年頃に芸術家たちがたむろしていたモンマルトルのバトー・ラヴォワール(Le Bateau-Lavoir:洗濯船)という安アパートのアトリエで、美術評論家で詩人のギヨーム・アポリネールと知り合い、二人は恋に落ちる。当時、アポリネール27歳、ローランサン22歳・・・
↓モンマルトルの安アパート兼アトリエのバトー・ラヴォワール(Le Bateau-Lavoir:洗濯船/2009年5月撮影)
芸術家たちがたむろしていたモンマルトルは、アルルに旅立ったゴッホが1890年に、1901年にロートレックは自邸のマルロメ城で、1903年にゴーギャンはタヒチで死去し、同年ルノワールは南仏のカーニュに移り住み、モネはパリ郊外のジヴェルニーの自宅で睡蓮を描き続け、22才のモディリアーニが1906年にパリのモンマルトルに来た時、セザンヌもエクス=アン=プロヴァンスで亡くなり「心に感じたものを描く」流れは、モンマルトルのピカソの洗濯船に出入りしていたアンリ・マティスやジョルジュ・ルオーなどによって、1905年にサロン・ドートンヌで、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現したフォーヴィスム(Fauvisme 野獣派)が生まれる。そして、キュビズムの幕開けとなった、1907年パブロ・ピカソの「アヴィニョンの娘たち」は伝統的な西洋画のセオリーを否定し、新たな美の時代を生み、ジョルジュ・ブラックは強烈な衝撃を受け、二人の交友が始まり「20世紀絵画」は幕を開ける。その舞台となった洗濯船は1970年の火災で全焼後はホテルになり、今もエミール・グドー広場に佇んでいる・・・
当時その「洗濯船」で、1908年に素朴派画家のアンリ・ルソーの為の「饗宴」が彼の絵に惚れ込んだピカソによって催され、そのお礼に1909年に描かれた、アンリ・ルソー晩年の「詩人に霊感を与えるミューズ:La muse inspirant le poète」は、アポリネールとローランサンの肖像画として、プーシキン美術館蔵と花を訂正したバーゼル市立美術館蔵の2枚が残っている・・・
そして同じ頃の1909年に、当時の交友関係を描いたマリー・ローランサンの「アポリネールとその友人たち:Apollinaire et ses amis」は、画面中央がアポリネール、その右にいる目の大きい男性がパブロ・ピカソ で、アポリネールの左の女性がピカソの恋人フェルナンド・オリビエ、画面右端のブルーの服がマリー・ローランサンで、アポリネールの顔の左にミラボー橋が描かれている・・・
エミール・グドー広場から見る、安アパート兼アトリエのバトー・ラヴォワール(Le Bateau-Lavoir:洗濯船) ↓
エミール・グドー広場|Googleマップ(13 Rue Ravignan, 75018 Paris, Île-de-France, フランス)
"Le Pont Mirabeau" Yvette Giraud 「ミラボー橋」 イヴェット・ジロー マリー・ローランサンとの短く激しい恋の思い出を綴ったという有名なアポリネールの詩にレオ・フェレが曲を付けたシャンソンの「ミラボー橋」は、レオ・フェレやイヴェット・ジロー、日本では石井好子が歌っている。左のYouTubeは橋の写真が画面に流れていて、当時の面影が偲ばれる・・・ |
そして、アポリネールは1909年の詩集「腐ってゆく魔術師:L'enchanteur pourrissant 」や1913年の「アルコール:Alcools」で、名声を確立する。1911年にキュビズム運動に参加。同年レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「モナ・リザ」盗難事件が起こり、犯人として逮捕されて、1週間後に無実で釈放され、「モナ・リザ」は2年後の1913年12月に発見された。この事件前後に、二人の仲は破局へと向かい、恋は終わりを告げた。詩集「アルコール:Alcools」のなかで、マリー・ローランサンを忘れられず、その切ない愛を歌った「ミラボー橋:Le Pont Mirabeau」は記載されている。
時代は、ベル・エポック(Belle Époque・良き時代)と呼ばれ、パリが一番華やかだった時代、ボヘミヤン的なモンマルトルのピカソの「美」の実験室的な「洗濯船」も1912年頃から終わりを告げ、ヨーロッパ中に第一次世界大戦(1914〜1918年)の暗い陰を落とし始める・・・
アポリネールもローランサンと別れてから幾人かの女性と関係を持ち、第一次世界大戦に、ニームの野戦砲兵第三十八連隊に入隊し砲兵として戦地に赴き、1916年に頭に重傷を負い除隊しパリに帰国する。その後1918年、献身的に尽くしてくれるジャックリーヌ・コルブ(Jacqueline Kolb)とサン・トマ・ダカン教会で、ピカソと画商ラールらの付添で結婚する。しかし、1918年~1919年にかけ、全世界に流行したスペインかぜは、世界で感染者6億人、死者4,000~5,000万人を出し、その猛威を振るうスペイン風邪で、アポリネールは38歳の若さで、あっけなくこの世を去り、ペール・ラシェーズ墓地に眠る・・・
第一次世界大戦(1914年〜1918年)終決後の1920年、離婚して単身パリに戻ったローランサンはパステルカラーの簡潔で華やかな、夢見るような少女像という独特の画風を作り上げ、モンパルナスで、劇場やミュージックホールが多数ひしめき、毎晩、華やかな祝祭と酒や麻薬による乱痴気騒ぎが繰り返される狂乱の時代(Les Années Folles)に売れっ子画家となっていく。そして、パリの上流婦人の間ではローランサンに肖像画を注文することが流行となり、1923年、絶頂期にいたローランサンが描いた、やはり絶頂期の同じ年に生まれたココ・シャネルの肖像画「マドモワゼル・シャネルの肖像」は、離婚後は同性愛者であったローランサンに「似ていない」とシャネルはこの肖像画の受け取りを拒否、現在オランジェリー美術館に飾られている。そして、1925年に同棲していたシュザンヌ・モローを1954年正式に養女とし、パリがもっとも華やいだ青春のベル・エポックの時代、第一次世界大戦、モンパルナスの狂乱の時代、そして第二次世界大戦を駆け抜け、男性をほとんど描かず、未成熟で弱々しく、美しくもなまめかしい少女を描き続けた女流画家は、1956年にパリで73年の生涯を終えた・・・
1889年のパリ万国博覧会に時代の象徴とも云えるエッフェル塔が建設され、ミラボー橋はエッフェル塔と同じ鉄製で1895年から1897年にかけて造られ、そして1900年のパリ万国博覧会へと、そこにはパリの人々が未来を夢みる輝くほどの時が流れていた。そんな遥か青春の1ページ、二人が待ち合わせたミラボー橋で未来を語り、時代の感性を互いに求め、手を取り合いながら共有した時は、つかの間に通り過ぎた。
そして今も、その時を懐かしむかの様に、ミラボー橋の下をセーヌは滔々(とうとう)と流れている・・・
(以下・参考サイト)
ミラボー橋 (仏 : Pont Mirabeau) は、フランスのパリ、セーヌ川に架かる橋である。 アポリネールの「ミラボー橋の下をセーヌは流れる」で有名である。1895年から1897年にかけて造られたミラボー橋は左岸の15区、コンヴァンシオン通りと右岸の16区、レミュザ通りを結んでいる。中央のアーチは径間93m、それを挟むアーチが径間32.4mである。橋脚の上方にジャン-アントワーヌ・アンジャルベールによる像が4体取り付けられている。
フランス|パリ|ミラボー橋|Googleマップ
http://ja.wikipedia.org/wiki/ミラボー橋
http://www.hayakoo.com/pont-mirabeau/
パリ旅行|パリの名所案内|ミラボー橋|Pont Mirabeau
http://www.geocities.jp/kcc_newair/spot05.htm
「ミラボー橋」アポリネール 堀口大学訳 他多数の訳
http://blog.goo.ne.jp/0390_2006/e/00f0f1bb39c27e5d0c4b1604fd3b0d96
ミラボー橋|シャンソンの名曲としても歌われる「ミラボー橋」をこの目で見ておきたくて!
http://blogs.yahoo.co.jp/mado_muddler_mad/28646362.html
「シモンヌ・ローランサンの肖像」 "Portrait de Simonne Laurencin" by Marie Laurencin 1932年/マリー・ローランサン作 小野光太郎 所蔵 キャンバス油彩/63×48cm マリー・ローランサンが遠縁の女性を描いた 「シモンヌ・ローランサンの肖像」は、 私生児(しせいじ)として生まれ、 子どもをもうけなかった彼女の 後半期を代表する名作・・・ 絵のなかの彼女は、手に持った薔薇を だれに捧げようとしているのだろうか・・・ | "Marie" Guillaume Apollinaire 「マリー」ギョーム・アポリネール 飯島耕一訳 少女よ きみはそこで踊っていた やがておばあさんが踊るだろうか はねまわるマクロット・ダンス 鐘がもうじき鳴り渡るだろう マリーよ 一体いつ帰ってくるのか 仮面の人たちが黙っている 音楽はあんなに遠く 空の奥からやってくるようだ そうだぼくはあなたを愛したい けれどもそれはやっとのこと してぼくの不幸は甘やかだ 羊は雲のなかに去って行く 羊の毛の房 銀の房 兵士が通りすぎ どうして一つの心さえ所有できないのか あの変わりやすい変わりやすい心 そしてぼくにはわからない どうしてぼくが知ろう おまえの髪がどこへ行ってしまうか 泡立つ海のようにちぢれた髪が どうして知ろう おまえの髪がどこへ行ってしまうか ぼくたちの誓いがまきちらす 秋の葉のおまえの手が ぼくはセーヌのほとりを歩いていった 古い一冊の本をかかえて 川はぼくの苦しみに似ている 流れ流れてつきることを知らない 週は一体 いつ終わるのだろう Marie Guillaume Apollinaire |
[PDF] アポリネールの恋の詩と真実 - SUCRA
「詩人は創造する人です。何よりもまず詩人にとって想像されなければ、この世界に何一つもたらせないし、一般の人々の眼には何も現れてこないのです」 (文献Aー4、 亦縄文離)アポリネールが恋人の 一 人ルーに送った手紙に書かれ. ている 一 ...... 感した詩人は、 十二月六日っいに、 ニ ースのルーのもとを去り、 ニームの野戦砲兵第三十八連隊に入隊してしまいます。
http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/JOS-KJ00000110798.pdf?file_id=7942
ギヨーム・アポリネール Guillaume Apollinaire :生涯と作品|壺 齋 閑 話
http://blog.hix05.com/blog/2008/08/_guillaume_apollinaire.html
ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire, 1880年8月26日 - 1918年11月9日)は、イタリア出身のポーランド人の詩人、小説家、美術批評家。本名ヴィルヘルム・アポリナリス・コストロヴィツキ(Wilhelm (Albert Vladimir) Apollinaris de Kostrowitzky / Wiliam (Albert Włodzimierz) Apolinary Kostrowicki)。印象派批判主義「キュビスム」の先導者の1人。主な作品に『ミラボー橋』がある。"シュルレアリスム"という語は彼の作品から生まれた。詩人としては、詩集『腐ってゆく魔術師』(L'enchanteur pourrissant, 1909年)や『アルコール』(Alcools, 1913年)で、名声を確立した。これらは象徴主義の影響を受けている。また、随筆『キュビストの画家たち』(Les Peintres cubistes, 1913年)は、多くの前衛画家の存在と価値とを世に知らしめた。死の直後に公刊された『カリグラム』(Calligrammes, 1918年)では、文字で絵を描くという斬新な手法で高い評価を得た。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ギヨーム・アポリネール
http://fr.wikisource.org/wiki/Le_Pont_Mirabeau
http://fr.wikisource.org/wiki/Guillaume_Apollinaire
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Guillaume_Apollinaire?uselang=ja
マリー・ローランサン(Marie Laurencin, 1883年10月31日 - 1956年6月8日)は、20世紀前半に活動したフランスの女性画家・彫刻家。1883年にパリで私生児として生まれた(ただし、資料によっては1885年生まれとなっている)。父はのちに代議士となったアルフレッド・トゥーレだが、マリーは彼が父親だということを長い間知らなかった。母はポーリーヌ・メラニー・ローランサン。ラマルティーヌ高校に学び、画家を志し、アカデミー・アンベールで絵を勉強する。ここでジョルジュ・ブラックと知り合い、キュビズムの影響を受けた。1907年にサロン・ド・アンデパンダンに初出展。このころ、ブラックを介して、モンマルトルにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)という安アトリエで、パブロ・ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合った・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/マリー・ローランサン
マリー・ローランサン美術館
http://greencab.co.jp/laurencin/index.html
オランジュリー美術館
「ココ・シャネル嬢の肖像」(1923年)(オランジュリー美術館)
ローランサン「マドモワゼル・シャネルの肖像」「ポール・ギョーム夫人の肖像」. ローランサンは私生児として生まれたが事実上の父親は認知こそしなかったが、経済的には不自由させなかった。絵を学んだ彼女はやがてモンマルトルの「洗濯船」に出入りする。
http://www.d1.dion.ne.jp/~nao_saka/meiga/Orangerie.html
http://island.geocities.jp/hisui_watanabe/art/artist/laurencin/mademoiselle_chanel.html
アポリネールの想いは今も / ミラボー橋 Pont Mirabeau
http://www.hayakoo.com/pont-mirabeau/
マリー・ローランサン「鎮静剤」
http://blog.goo.ne.jp/0390_2006/e/bec386af6874dc2abef911c7ea03e705
http://marieantoinette.himegimi.jp/booktinsei.htm
芸術家の恋愛模様を名画とともに楽しんで! 恋愛美術図録 マリー・ローランサン編
http://am-our.com/love/58/3017/
http://am-our.com/love/58/3017/?p=2
洗濯船:Le Bateau-Lavoir
パリのモンマルトルにあった安アパートの名前。 1904年から1909年まで、パブロ・ピカソが恋人のフェルナンド・オリビエと共にここに住んだ。アメデオ・モディリアーニら他の貧乏な画家達もここに住み、アトリエを構え、制作活動を行った。ギヨーム・アポリネール、ジャン・コクトー、アンリ・マティスらもここに出入りし、活発な芸術活動の拠点となったが、1914年以後は多くはモンパルナスなどへ移転した。
洗濯船と名づけたのは詩人のマックス・ジャコブ。細長い長屋風な建物で、歩くとギシギシ音がして、セーヌ川に浮かんでいる洗濯用の船とそっくりであることから名づけられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/洗濯船
http://en.wikipedia.org/wiki/Le_Bateau-Lavoir
http://fr.wikipedia.org/wiki/Bateau-Lavoir
daily-sumus|パリ古本日記
http://sumus.exblog.jp/i12/3/
エミール・グドー広場|Googleマップ ↓
(13 Rue Ravignan, 75018 Paris, Île-de-France, フランス)
http://goo.gl/maps/XDzlf
この風車から少し下ったところにはエミール・グドー広場があり、そこに20世紀初頭に若い画家たちが集まったバトー・ラヴォワールというアトリエ跡があります。ピカソもバトー・ラヴォワールにいたことがあり、キュビズムの幕開けとなった・・・
http://paris.navi.com/special/5031106
モンマルトル|パリの観光エリア案内
そして19世紀の末には、自由奔放な芸術家たちの溜まり場となり、エミール・グドー広場 にある洗濯船(Bateau Lavoir)にピカソやモディリアーニが暮らしながら絵を描いた。19 世紀末から20世紀にかけて、モンマルトルはシャンゼリゼ大通りに代わって・・・
http://www.geocities.jp/kcc_newair/quartier01.htm
スペインかぜは、1918年~19年にかけ、全世界的に流行した、インフルエンザのパンデミックである。感染者6億人、死者4,000~5,000万人。当時の世界人口は約18億人~20億人であると推定されているため、全人類の約3割がスペインかぜに感染したことになる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/スペインかぜ
詩人に霊感を与えるミューズ|アンリ・ルソー (Henri Rousseau)
(La muse inspirant le poete) 1909年
144×114cm | 油彩・画布 | バーゼル市立美術館
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/rousseau_poete.html
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/rousseau.html
もう一枚のミューズ
http://sumiremainte.jugem.jp/?eid=817
パリのモンマルトルで生まれたキュビズムの原点的絵画作品
http://www.art-library.com/picasso/avignon-ladies.html
『アポリネールとその友人たち』 by マリー・ローランサン
http://rui4oyo.jugem.jp/?eid=548
http://tetsuwanco.exblog.jp/18578375/
http://am-our.com/love/58/3017/
http://am-our.com/love/58/3017/?p=2
ローランサン ココ・シャネル嬢の肖像
ココ・シャネル嬢の肖像(Portrait of Mademoiselle Chanel)
1923年 Musée de l'Orangerie, Paris
http://members3.jcom.home.ne.jp/c_mn/3vp/france/paris/muse/orange.htm
マドモワゼル・シャネルの肖像|1923年|オランジェリー美術館
http://island.geocities.jp/hisui_watanabe/art/artist/laurencin/mademoiselle_chanel.html
http://precious05.exblog.jp/12687421
そしてこの彼女の姿を描いたのは女流画家のマリー・ローランサン。
シャネルとと同じ年に生まれ、そして同時代に活躍した人物です。
http://island.geocities.jp/hisui_watanabe/art/artist/laurencin/mademoiselle_chanel.html
マリー・ローランサン(Marie Laurencin)1883~1956 洋画|外国人
http://www.artkaitori.com/youga_gaikokujin/marie_laurencin.html
【パリ】ギヨーム・アポリネールGuillaume ApollinaireとPont Mirabeau|フランス落書き帳
http://naoparis.exblog.jp/11811127/
ピカソ作アポリネール像Guillaume Apollinaire|街角の公園(PARIS)サンジェルマン・デ・プレ界隈|フランス落書き帳
http://naoparis.exblog.jp/5096861/
イヴェット・ジロー|ミラボー橋 シャンソン
http://blogs.yahoo.co.jp/nonkig3/54250714.html
Yvette Giraud - "Le Pont Mirabeau"
http://youtu.be/E_NvpzZsAl0
マリー・ローランサン美術館|閉館のお知らせ
長野県茅野市の蓼科湖畔にあるマリー・ローランサン美術館は、世界でも唯一のローランサン専門の美術館である。館長の高野将弘が収集した個人コレクションをもとに、ローランサンの生誕100周年にあたる1983年に開館。収蔵点数は500点余りを数えたが、観光客減少のため2011年9月30日をもって閉館した。
http://greencab.co.jp/laurencin/
http://greencab.co.jp/laurencin/museum/museum.html
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