ライト坂のひな祭り[山邑邸の阪神間モダニズム]
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場所は阪神間の芦屋川左岸、坂の名は通称「ライト坂」と呼ばれている・・・
近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)が芦屋川を望みこの坂を登ったのは1918年(大正7年)頃・・・
ライトは、1913年(大正2年)帝国ホテル新館設計のため日本を訪れ、その後は設計管理に、たびたび来日して、神戸、灘五郷の櫻正宗・8代目山邑太左衛門の依頼を受けて、この山邑邸(やまむら)の別荘を設計し、1924年(大正13年)に竣工する。鉄筋コンクリートの地上4階建の山邑邸は、芦屋市街を一望できる高台に建ち、ライトが設計した建築物としては日本に完全な形で現存する唯一の作品として重要文化財に指定され、しかもそこからは1900年代の終わりから1930年代にかけて、阪神間に花開いた「阪神間モダニズム」を垣間見る事が出来る・・・
(2013年3月6日撮影)
ヨドコウ迎賓館(旧・山邑家住宅)|Googleマップ
そして、きっとこの時期の端午の節句には、この山麓に東洋の雅と西洋空間が融合し、今も当時を偲ばせる程の「阪神間モダニズム」の宴が、穏やかな陽射しの下で行われていたのだろう?・・・
アメリカのウィスコンシン州に牧師の家に生まれ、ウィスコンシン大学マディソン校土木科を中退後シカゴへ移り、アドラー=サリヴァン事務所ではその才能を発揮し、生涯にわたりサリヴァンの影響を受けながら、事務所での設計業務とは別にアルバイトの住宅設計を行っていたことがサリヴァンの知るところとなり、サリヴァンの事務所を辞して独立し、1906年の有名なロビー邸など、独立後の1893年から1910年までの17年間に計画案も含め200件近い建築の設計を行い、自然との融合を目指した「プレイリースタイル:Prairie Style/草原様式」を創り上げて時代に登場する・・・
ライトは1889年に結婚したキャサリン・トビンとの間に6人の子供をもうけるも、1904年に竣工したチェニー邸の施主の妻ママー・チェニーとの不倫関係から、1909年に42歳のライトは事務所を閉じ、家庭も捨て、チェニー夫人とニューヨーク、さらにはヨーロッパへと駆け落ちする。2年後の1911年に帰国後は、不倫事件で地に落ちた名声と設計依頼の激減という危機的状況のなかで、ウィスコンシン州スプリング・グリーンの土地にタリアセンの設計を始めたが、更なる事件が襲った。タリアセンの使用人が突如発狂し建物に放火し、チェニー夫人と2人の子供、及び弟子達の計7人を斧で惨殺したのち服毒自殺する。ライトは難を逃れたが、これにより大きな精神的痛手を受け、再びスキャンダルの渦中の人となる。そのような失意のどん底の時期に帝国ホテル新館設計の依頼を受ける。ライト45歳・・・
ライトの訪日は、1912年(明治45年)旧帝国ホテルの当時の総支配人だった林愛作がライトに新館の設計を依頼した1913年(大正2年)で、その後たびたび来日するが、1919年(大正8年)に隣接する初代帝国ホテルが失火、1922年(大正11年)当初予算150万円が6倍の900万円に膨れ上がるに至って、総支配人だった林愛作は引責辞任し、ライトもホテルの完成を見ることなく離日を余儀なくされる。ホテルの建設は弟子だった遠藤 新(えんどう あらた)の指揮のもと、その後も続けられ1923年(大正12年)に11年の歳月を経て、9月1日に落成記念披露宴が開かれ、その時、関東大震災が東京を襲った。ホテルは小規模な損傷はあったもののほとんど無傷で、ライトは二週間後に遠藤からの手紙で事を知り狂喜したと云う逸話が残っている。この山邑邸もライト離日後、遠藤 新によって1924年(大正13年)に完成し、1947年(昭和22年)に(株)淀川製鋼所の所有となり、1989年(平成元年)からヨドコウ迎賓館として一般公開されている・・・
その後のライトは・・・
アメリカに戻り、失意のどん底から少しずつではあるが設計の依頼が増え、早70才の年を迎えた1930年代後半になると、カウフマン邸(落水荘)の1936年竣工(69歳)、ジョンソンワックス社事務所棟の1939年竣工(72歳)と、相次いで2つの代表作を世に発表し、70歳代になって再び歴史の表舞台に返り咲く・・・
彼の死後も、1959年のグッゲンハイム美術館、1963年のマリン郡役所、1964年のアリゾナ州立大学記念劇場が竣工され、ライトは1959年に92年の生涯を終えた・・・
「人々が自然と呼ぶ調和のとれた秩序の中で、有機的な単純さが、
意義深い特徴を創り出しているのが視えるだろう」
「美は成長するものの中に在り、自然の中に溢れている・・・」
フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright:1867年〜1959年)
(以下・参考サイト)
フランク・ロイド・ライト
(Frank Lloyd Wright/1867年6月8日 - 1959年4月9日)
アメリカ大陸で多くの建築作品があり、日本にもいくつか作品を残している。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加え四大巨匠とみなす事もある)・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/フランク・ロイド・ライト
旧山邑家住宅(きゅうやまむらけじゅうたく)は、兵庫県芦屋市にある、灘五郷の造り酒屋・櫻正宗の八代目当主山邑太左衛門の別邸としてアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト (Frank Lloyd Wright) が設計した個人住宅(山邑邸)である。国の重要文化財・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/旧山邑邸
ヨドコウ迎賓館(フランク・ロイド・ライト設計)|オフィシャルサイト
http://www.yodoko.co.jp/geihinkan/
ヨドコウ迎賓館と雛人形
http://puchitabi.jp/07/03/post-256.htm
幕末散歩|ヨドコウ迎賓館
http://hananomichi.at.webry.info/200903/article_6.html
時代を越え、時を刻む「ヨドコウ迎賓館」
芦屋の地域情報サイト「芦屋人~あしやびと~」
http://www.ashiya-people.com/
kuroobi/no20080301.php
ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)
良い天気となったGW初日(4/28)は、久々にヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)----竣工:1924年(大正13年)、国指定重要文化財----へ出かけました・・・
http://hiro009.blogzine.jp/
jupiter/2012/05/post_97d1.html
阪神間モダニズム(はんしんかんモダニズム)とは、1900年代から1930年代にかけて、六甲山系と海に囲まれた理想的な地形を有する阪神間(兵庫県神戸市中央区・灘区・東灘区、芦屋市、西宮市、宝塚市、伊丹市、尼崎市、三田市、川西市)を中心とする地域にはぐくまれた、近代的な芸術・文化・生活様式とその時代状況を指す。
現在当時の主な施設・邸宅等が今も多く残っている・・・
旧山邑邸(現・ヨドコウ迎賓館)
芦屋市谷崎潤一郎記念館(谷崎潤一郎の邸宅)
旧安部邸(現・サンアール不動産芦屋寮)
滴翠美術館(山口財閥当主、山口吉郎兵衛の邸宅)
白鶴美術館(白鶴酒造、嘉納財閥、嘉納治兵衛の邸宅)
香雪美術館(朝日新聞社創業者、村山龍平の邸宅)
甲南漬資料館(旧高嶋平介邸)
倚松庵(谷崎潤一郎の旧居)
二楽荘(浄土真宗本願寺派二十二世門主、大谷光瑞伯爵の邸宅)
旧辰馬喜十郎邸
etc
http://ja.wikipedia.org/wiki/阪神間モダニズム
阪神間モダニズム、という言葉があります。時期で言えば大正期から昭和初期にかけて、この大阪と神戸の間にある灘、芦屋、西宮、宝塚といった「阪神間」と呼ばれる地域に花咲いたブルジョワ文化(という言い方が妥当かどうかはわかりませんが)を指し示すと言ってもいいのでしょうか・・・
http://blog.livedoor.jp/p_lintaro2002/archives/55416441.html
阪神間モダニズム―六甲山麓に花開いた文化|明治末期‐昭和15年の軌跡|[大型本]
http://www.amazon.co.jp/阪神間モダニズム―六甲山麓に花開いた文化、明治末期‐昭和15年の軌跡-「阪神間モダニズム」展実行委員会/dp/4473015750#reader_4473015750
エドガー・カウフマン邸
落水荘(らくすいそう:Fallingwater)
アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって1935年に作られた建物である。
ペンシルベニア州のピッツバーグから南東に80kmほどの場所にある。エドガー・カウフマンの邸宅として作られた。・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/落水荘
http://commons.wikimedia.org/wiki/
Category:Fallingwater?uselang=ja
Edgar J. Kaufmann
http://en.wikipedia.org/wiki/
Edgar_J._Kaufmann
KIRIN~美の巨人たち~
フランク・ロイド・ライト「落水荘」
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/070210/
ソロモン・R・グッゲンハイム美術館
(Solomon R. Guggenheim Museum)
グッゲンハイム美術館 (Guggenheim Museum) は、ソロモン・R・グッゲンハイム財団が運営する美術館。1937年 ニューヨーク市にソロモン・R・グッゲンハイム美術館設置、以降世界各地に展開・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/グッゲンハイム美術館
アメリカの鉱山王・ソロモン・R・グッゲンハイム(1861年 - 1949年)は、ビジネスの第一線から退いたあと、ドイツ貴族で画家のヒラ・ヴォン・リベイの協力のもと、現代アートのコレクションを始めた。それらを収蔵したこの美術館は1937年に財団として設立され、2年後の1939年、ニューヨークのマンハッタン東54丁目24番地に開館した。5番街の現在地へ移ったのは、1949年のことである。以後、ニューヨーク近代美術館とともに現代美術の発展普及に大きな役割を果たしてきた・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/ソロモン・R・グッゲンハイム美術館
KIRIN~美の巨人たち~|フランク・ロイド・ライト「マリン郡庁舎」
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/120526/index.html
マリン郡 (Marin County) はサンフランシスコの北部に位置する、アメリカ合衆国カリフォルニア州の郡である。2000年現在の国勢調査の人口は247,289人である。ここの郡庁所在地はサン・ラファエルである・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/マリン郡_(カリフォルニア州)
帝国ホテル(ていこくホテル、英称:Imperial Hotel)は、東京都千代田区内幸町にあるホテルである。運営者は、株式会社帝国ホテル。
日本を代表する高級ホテルのひとつであり、ホテルオークラ、ニューオータニとともに「(ホテル)御三家」と呼ばれることもある・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/帝国ホテル
甲子園ホテル/甲子園会館(こうしえんかいかん)は、兵庫県西宮市にある近代建築。フランク・ロイド・ライトの愛弟子遠藤新の設計により、1930年に甲子園ホテルとして竣工した。しかし太平洋戦争の激化によりホテルとして営業したのはわずか14年である。1965年より武庫川学院の所有、武庫川女子大学の学舎として利用されている。2007年に国の近代化産業遺産、2009年に国の登録有形文化財に登録された・・・
1930年 - 甲子園ホテルとして竣工。当初甲子園球場付近に建設される予定であったが、武庫川と国道2号線に囲まれてやや小高い現在の敷地に変更された。竣工後、帝国ホテルの総支配人だった林愛作が甲子園ホテルに移り支配人となった。戦前は「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と並び称される超一流ホテルだった・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/甲子園会館
http://www.mukogawa-u.ac.jp/~kkcampus/
遠藤 新(えんどう あらた、1889年6月1日 - 1951年6月29日)は、日本の建築家。フランク・ロイド・ライトに学び、そのデザイン・空間を自己のものとして設計活動を行った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/遠藤新
丸平大木人形店|オフィシャルサイト
丸平大木人形店は屋号を丸屋と言い、江戸明和年間より御雛京人形司として 当主は代々大木平藏を襲名しております。(現当主七世)
http://www.h6.dion.ne.jp/~maruhei/ooki.html
丸平大木人形店
京都府京都市中京区六角通柳馬場東入大黒町68
最寄り駅/烏丸御池駅
電話番号/075-231-9626
http://www.doko.jp/search/shop/sc70125746/
「京都 丸平大木人形店」明和年間創業の京雛の老舗。皇室、旧家をはじめ、良家のお嬢様が揃えた雛人形。
http://blog.goo.ne.jp/mimoron/e/b2272961a2c15d755ffbc82f8c53bf33
http://phonebook.excite.co.jp/M26031/26104/0752211050-001/
明治村|日々是好日~にちにちこれこうにち
昨日、犬山市の明治村へ行ってきました。近代の4大建築家の一人、F.L.ライトの作品は日本国内で3箇所見学できます。池袋の明日館、芦屋のヨドコウ迎賓館、そして明治村の帝国ホテル玄関。
http://blog.goo.ne.jp/aydesign/c/23ce283dd5e96166c8f5fe46f9d5a3d1
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