細雪の「椅松庵」と陰翳礼讃
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しかし、1943年(昭和18年)に軍部から「内容が戦時にそぐわない」として掲載を止められ、印刷・配布を禁止される。戦後、京都鴨川べりに住まいを移し、1948年(昭和23年)に完成させ、今は英語やフランス語、ドイツ語はもとより世界各国で翻訳され出版されている・・・
(2013年3月9日撮影)
谷崎潤一郎旧宅「椅松庵:いしょうあん」|Googleマップ
大阪の船場(せんば)で古い暖簾(のれん)を誇る蒔岡(まきおか)家の四人姉妹、鶴子/幸子(谷崎夫人の松子)/雪子/妙子、の四季折々の風物のなかで繰り広げられる物語は、流麗な大阪の船場言葉が散りばめられ、今までに3度映画化されている。最新は、1983年(昭和58年)東宝創立50周年作品の市川崑監督/出演:岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子、伊丹十三、石坂浩二、岸部一徳 etc・・・
「細雪」 ↓ (以下) デイリーモーション動画
The Makioka Sisters/1983 Trailer Ichikawa, Kon
http://www.dailymotion.com/video/xl57po_yy-the-makioka-sisters-1983-trailer-ichikawa-kon_shortfilms#.UTGoKI67jCo
陽が射すと、すぐに溶ける細雪、その儚さ、美しさ・・・
テレビドラマも5度程で、舞台の上演回数は1,000回を超える伝統の舞台として、今まで多くの有名女優たちが四姉妹を演じてきた。そしてその物語も、四人姉妹がそれぞれの道を歩みだして幕を閉じる・・・
毎年、京都で行われる四人姉妹のお花見・・・
「今年はもう、兄弟そろうて・・・京都へはもう、お花見には、いけへんなあ~・・・」
その冬の大阪駅、雪子や貞之助らが見送るなか、鶴子たちを乗せた汽車は汽笛を後に東京へ出発する。
そして、見送るその肩に、はらはらと細雪が降りかかる・・・
明治維新より西洋に追いつき、がむしゃらに西欧的をほおばり、それを消化しながら近代を創り上げようと、無理矢理にも列強の中へと、日清と日露の2度の戦勝後は第一次世界大戦に参戦、好景気を背景に明治から「大正浪漫」へ、そして昭和初頭の1930年代に花開いた和洋折衷の「昭和モダン」へと歩み始める・・・
それは、関西風の「こいさん、いとさん」や「番頭はんと丁稚どん」の「商家」から近代経営の「株式会社」に急ぎ足に通り過ぎる時代の流れに、細雪の様に淡く消えていく捨てがたい幾多の日本的なものへの郷愁を漂わせて、過ぎ去っていく時代を懐古しながら、新たなものをつかもうとした「阪神間モダニズム」に蒔岡家の姉妹たちがたっぷりと浸かった時代も、戦争の影が忍び寄り、日中戦争から第二次世界大戦で終焉する・・・
1933年(昭和8年)に書かれた長編随筆「陰翳礼讃:いんえいらいさん」で、日本人の美の源流をひも解き、その美意識とは「陰」や「ほの暗さ」を条件に入れて発達し、季節がうつろい行く自然の光が微妙に写し出す四季折々に創り出す「陰翳」にその美しさを知り、それを見事に取り入れ調和を創り上げる事に、日本人の深く細やかな美意識が潜んでいると・・・
「美と云ふものは常に生活の実際から発達するもので,暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は,いつしか陰翳のうちに美を発見し,やがては美の目的に添ふやうに陰翳を利用するに至った」・・・
昔この本から深い衝撃を受けたのをおぼえている。我々はいつの時代も、或るものを取り込み或るものを捨て、それがたとえ淡雪のように消えようとも日本的を積み上げて来た。しかし、上記の美意識は、遠い昔より我々の体内に宿り、決して捨て去られる事の無い深い感性のようだ・・・
「こヽも又すむべかりけり住吉の 月ほのかなる松の下庵」 | 椅松庵/谷崎 潤一郎 注「倚松庵は松によりかかっている住まい」 と言う意味から「松」は妻の松子婦人に対しての 深い愛情を表してると言われている。 |
(以下・参考サイト)
谷崎潤一郎旧宅「椅松庵:いしょうあん」
兵庫県神戸市東灘区住吉東町1-6-50に建つ歴史的建造物。文豪谷崎潤一郎の旧居。ここで執筆された代表作にちなんで「『細雪』の家」とも呼ばれる。庵号は夫人の名前「松子」に因む。
1929年(昭和4年)に当時の武庫郡住吉村反高林1876-203に建てられた和風木造建築で、谷崎潤一郎は1936年11月から1943年11月まで居住した。1990年(平成2年)に、同じ東灘区内(海側の100m下、六甲ライナー魚崎駅付近にあった)の現在地に移築された。
「倚松庵」と呼ばれる家は6軒あったが、一般的に「倚松庵」といえば、谷崎の居住期間の長さからこの旧居を指す・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/倚松庵
谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/谷崎潤一郎
谷崎潤一郎賞(たにざきじゅんいちろうしょう)は、中央公論社が1965年の創業80周年を機に、作家谷崎潤一郎にちなんで設けた文学賞である・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/谷崎潤一郎賞
http://ja.wikipedia.org/wiki/細雪
椅松庵:いしょうあん|オフィシャルサイト
いらっしゃいませ、『細雪』の家です。
谷崎潤一郎はこの家に昭和11年11月から18年11月まで住みました・・・
http://dna-office.com/isyouan/index.html
芦屋市谷崎潤一郎記念館|兵庫県芦屋市伊勢町12-15
http://ja.wikipedia.org/wiki/芦屋市谷崎潤一郎記念館
谷崎潤一郎旧居|富田砕花旧居|兵庫県芦屋市宮川町4番12号
http://ja.wikipedia.org/wiki/富田砕花旧居
デイリーモーション動画|細雪(The Makioka Sisters) 1983 Trailer Ichikawa, Kon
http://www.dailymotion.com/video/xl57po_yy-the-makioka-sisters-1983-trailer-ichikawa-kon_shortfilms#.UTGoKI67jCo
「細雪」あらすじ
http://movie.goo.ne.jp/movies/p26054/comment.html
『細雪(1959)』あらすじ全文
http://movie.goo.ne.jp/movies/p26054/story.html
絢爛たる失われた時間|「細雪」
http://ameblo.jp/irusutyuu/day-20120728.html
http://nishinomiya.jp/bungaku/yukari/tanizaki.html
陰翳礼讃:いんえいらいさん
―日本人の美意識を分析した谷崎の名随筆―
http://kindai.sk46.com/showa01/inei.html
〇建築のこと
美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを餘儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き、たゞ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないと云う風に感じるのは・・・室内へは、庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない・・・
〇日本座敷
そこにはこれと云う特別なしつらえがあるのではない。要するにたゞ清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り、そこへ引き入れられた光線が凹みの此処彼処へ朦朧(もうろう)たる隈(くま)を生むようにする・・・そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける・・・少年の頃は、日の目の届かぬ茶の間や書院の床の間の奥を視つめると、云い知れぬ怖れと寒けを覚えたものである。しかもその神秘の鍵は何処にあるのか。種明かしをすれば、畢竟それは陰翳の魔法であって、もし隅々に作られている蔭を追い除けてしまったら、忽焉としてその床の間はたゞの空白に帰するのである。われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自(おのずか)ら生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/陰翳礼讃
坂井直樹のデザインの深読み|坂井直樹オフィシャルサイト
「陰翳礼賛」は海外で、一番読まれている日本の本のひとつ、谷崎潤一郎のやせ我慢の美学の世界をデザインの視点で読んでみると面白い・・・
http://sakainaoki.blogspot.jp/2012/01/blog-post_12.html
「新しい文明を享受したいもののデザイン的には、納得がいかない」という、我々デザイン関係者に今も続く悩みは、谷崎以来未だに解決されない。そういう葛藤が時代を超えて続くのがまた面白い。もっと「谷崎潤一郎の陰翳礼賛」を知りたい方は以下のWEBでも読めます。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/raisan.htm
http://www.amazon.co.jp/dp/4122024137/ref=as_li_ss_til?tag=092047-22&camp=1027&creative=7407&linkCode=as4&creativeASIN=4122024137&adid=0G06CC84B3T2ZWQQFSQB&&ref-refURL=http%3A%2F%2Fsakainaoki.blogspot.jp%2F2012%2F01%2Fblog-post_12.html
大正浪漫
http://ja.wikipedia.org/wiki/大正ロマン
昭和時代の初めの1930年代に花開いた、和洋折衷の近代市民文化・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/昭和モダン
阪神間モダニズムとは、1900年代から1930年代にかけて、六甲山系と海に囲まれた理想的な地形を有する阪神間(兵庫県神戸市中央区・灘区・東灘区、芦屋市、西宮市、宝塚市、伊丹市、尼崎市、三田市、川西市)を中心とする地域にはぐくまれた、近代的な芸術・文化・生活様式とその時代状況を指す。スプロール(都市拡大)による郊外化にともない、神戸市須磨区や垂水区あたりや大阪府下の北摂地域、京都府の乙訓地域、京都市桂地区までその文化圏は拡大した・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/阪神間モダニズム
当時建設された主な施設・邸宅等
http://ja.wikipedia.org/wiki/阪神間モダニズム#.E5.BD.93.E6.99.82.E5.BB.BA.E8.A8.AD.E3.81.95.E3.82.8C.E3.81.9F.E4.B8.BB.E3.81.AA.E6.96.BD.E8.A8.AD.E3.83.BB.E9.82.B8.E5.AE.85.E7.AD.89
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