彦馬の「亀山社中」
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長崎は亀山の小曽根英四郎家を根拠地として、日本初の株式会社的な商社と革命海軍の合体の様な「亀山社中」と呼ばれた結社は、1865年(慶応元年)から1868年(慶応4年/明治元年)までの3年余りの活動で、1867年(慶応3年)11月15日に竜馬が京都の近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺され、壮烈な死をとげてその活動は終わり、その年が明けて「明治」の世へと・・・
そしてその頃、長崎・中島河畔の日本初と云われる写真館「上野撮影局」の上野彦馬によって写された「亀山社中」の竜馬の写真や、そこに出入りしていた維新の志士たちの幾枚かの写真が残った。それは、写真と云う視覚媒体でこの国の歴史が鮮明に我々の前に現れた始まりでもあった・・・
長崎|亀山社中跡|亀山社中記念館|長崎県長崎市伊良林2丁目7番24号|Googleマップ
日本の写真史をひもとくと・・・
オランダ船により長崎に最初に写真機材が持ち込まれたのが1843年(天保14年)、当時長崎の御用商人で蘭学者であった上野俊之丞が機材をスケッチし、そして日本最古の写真は1854年にアメリカの東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが二度目に日本を訪れたときに長崎で撮影した浦賀奉行与力の田中光儀像に始まり、1848年(弘化5年/嘉永元年)に薩摩藩主・島津斉彬が銀板写真機材を入手し、側近の市来四郎が1857年(安政3年)に島津斉彬のダゲレオタイプ(銀板)で撮影し「日本人が最初に撮った写真」と云われている。
その長崎の蘭学者・上野俊之丞の次男として生まれた彦馬は、オランダ軍医ポンペ・ファン・メールデルフォールトを教官とする医学伝習所で舎密学(せいみがく:化学)を学び、蘭書から湿板写真術を知り写真術の研究を深める・・・
↑ 薩摩藩主・島津斉彬/1857年(安政3年)
ダゲレオタイプ(銀板)撮影「幕末・明治の写真」より出典
← 坂本龍馬像
撮影者:上野彦馬の弟子・井上俊三が撮影
上野彦馬写真館で撮影|慶応2年または3年(1867年)
高知県立民俗歴史資料館所蔵品
↓ 坂本龍馬
慶応3年1月(1867年)|撮影者:上野彦馬
撮影場所:長崎|三吉治敬氏所蔵
長崎|上野撮影局跡|Googleマップ |
1859年(安政5年)来日したスイス人でプロの写真家であるピエール・ロシエ(Pierre Joseph Rossier)に堀江鍬次郎、古川俊平や前田玄造らとともに湿式写真を学び、同僚の堀江鍬次と江戸に出て数々の写真を撮影し、1862年(文久2年)に堀江と共同で化学解説書「舎密局必携」を執筆する・・・
そして同年、長崎の中島川河畔に日本最初の商業写真館「上野撮影局」を開設する。彦馬24歳・・・
亀山社中→上野撮影局跡(所要時間:約4分)|Googleマップ |
幕末から開国の日本に輸入された「写真」は、「上野撮影局」開設を前後して、維新と云う激動の時代を駆け巡った人々やその頃の事件、或は当時の風景を写し出していく・・・
そして、1853年(嘉永6年)に、太平洋を渡りペリーが4隻からなる艦隊を率いて浦賀に来航し、その翌年の1854年(嘉永7年/安政元年)に再び来航し日米和親条約調印され、その際に写真家のエリファレット・ブラウン(Eliphalet M. Brown, Jr.)を伴い、日本各地を撮影している・・・
開港された横浜では、伊豆下田生まれの下岡蓮杖(しもおかれんじょう)が、アメリカの写真家ジョン・ウィルソン(John Wilson)から苦労の末に写真術を取得し、ウィルソンが1862年(文久元年)文久遣欧使節と共に日本を出国した時、蓮杖は写真機材や薬品と蓮杖が描いた日本の景色風俗のパノラマ画86枚と交換し、同年の1862年(文久2年)40歳で横浜の野毛、ついで弁天通5丁目横町で営業写真館を開業する・・・
↑(高杉晋作)
(子供の横が木戸孝允、
後列の右端の帽子が伊藤博文)→
(後藤象二郎)↓
同じ頃の1861年(文久元年)、鵜飼 玉川(うかい ぎょくせん)も横浜でアメリカ人オリン・フリーマン(Orrin Erastus Freeman)に写真術を学び、機材・スタジオ一式を買い取り、日本で最初の職業写真家として江戸薬研堀で写真館を開いた・・・
その後は、1863年には堀与兵衛(大坂屋与兵衛)が京都の寺町通に、1864年にはロシア領事ヨシフ・ゴシケーヴィチから学んだ木津幸吉が箱館で、上野の弟子である富重利平も1866年に柳川で開業し、島霞谷も幕末に江戸下谷で写真館を開き急速に広がり始め、 一般庶民にとっては「魂が抜き取られ、寿命が縮まる」という噂が出るほどおっかない写真撮影も、当時の撮影料は1枚、金1⁄2両(現在の貨幣価値でおよそ6~8万円)、さらに焼き増しに1分(約1万円)と云われいる・・・
そして、幕末に西欧の写真術で写し出されたそれらの写真は、新たなメデイアとして時代に組み込まれ維新の夜明けと同じ様に、この国の写真史の夜明けとなっていった・・・
その頃、西欧では・・・
イギリスで起こった産業革命が浸透し急速な進歩を遂げるフランスで、有名な肖像写真家のナダール(Nadar)が戯画家を経てカメラを手にしたのが1854年で、当時は写真も技術革新が進みダゲレオタイプに代わり湿式コロジオン法が開発され、人々に普及しパリ中に写真館が登場する。
ナダール(Nadar)↑
←「第一回遣欧使節団」1862年ナダール撮影
特に産業革命で生まれた新興ブルジョアジーが肖像写真を撮ってもらうことがブームとなり、ナダールもサン・ラザール街(Rue Saint-Lazare)にスタジを移し肖像写真家として一世を風靡する・・・
それは、当時の画家の最も中心的な収入源になっていた肖像画を奪い取り、写真は絵画市場を呑み込み始める。ナダールも1860年にスタジオをサン・ラザール街からキャプシーヌ大通り(Boulevard des Capucines)35番地に移す。そして、当時の写真と絵画の分離的出来事として、1874年にサロン落選組の画家たちの為にナダールがスタジオを会場として貸し、嘲笑の的となった展覧会が「第1回印象派展」と呼ばれ、後に絵画史上に輝く「印象派:Impressionnisme」を生み出し、絵画は眼に映るものの向こう側に潜む内面の真実を描き始める。その後、写真機も外出や旅行へ手軽に持ち出せ、写真は絵画と大きく袂を分かちあい、記録や肖像写真から報道や商業写真などへ進化し、新たな時代の市民権を手にする・・・
ナダールの写真スタジオ/1860年(キャプシーヌ大通)→
彦馬も同撮影局で坂本龍馬、高杉晋作ら幕末に活躍した若き志士や明治時代の高官、名士の肖像写真を数多く撮影した後、1874年(明治7年)日本初の天体写真、金星の太陽面通過の観測写真を撮影し、1877年(明治10年)には日本初の戦争写真、西南戦争を撮影し、日本初の写真家として1904年(明治37年)に長崎で67年の生涯を閉じた・・・
そして、奇妙な写真が残っている・・・
写真は宣教師フルベッキと、佐賀藩が長崎にもうけた藩校・致遠館(ちえんかん)の生徒を写真家・上野彦馬が1868年(明治元年)頃に撮ったものとされる「フルベッキ群像写真」・・・
オランダ出身でアメリカ・オランダ改革派教会から派遣された宣教師グイド・フルベッキとその子を囲み、上野彦馬が撮影した44名の武士による集合写真は「後に政府の様々な部署で影響力を持った人々」「後に皇国の首相となった人物」が撮影されているとしており、大隈重信と岩倉具定・岩倉具経らが確認できるとしている、が・・・
上野彦馬撮影|撮影1868年(明治元年)頃
http://ja.wikipedia.org/wiki/フルベッキ群像写真
真意の実態が長年論じられて来た写真には、坂本龍馬や西郷隆盛、高杉晋作をはじめ、勝海舟や明治天皇をも登場し明治維新の志士が一同に介した様に歪曲され、誇張され、庶民の未来の夢の想像に書き換えられている・・・
しかし写真は、藩校・致遠館の記念写真として、当時の維新の志士以外の同年代の新たな時代を駈ける夢多き学生たちの「青春群像」そのものだったにちがいない?・・・
1838年(天保9年)〜1904年(明治37年)
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Ueno Hikoma was a pioneer Japanese photographer, born in Nagasaki.
そして時代は、不思議にも政治家や芸術家でも無ければ、
絶えず進化するテクノロジーが創り上げて来た・・・
それは竜馬が「亀山社中」で国の有り様を追い求めたのと同じ様に、
彦馬も「亀山社中」から歩いて4分程の川の畔の「彦馬撮影局」で、
レンズを透し自らの技術でこの国の未来を必死に追い求めた日々であり、
それは彦馬にとっても、竜馬のような「亀山社中」だったにちがいない・・・
出典:http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/photol-nagasaki-1.html
(以下・参考サイト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/亀山社中記念館
長崎市亀山社中記念館|ホームページ
http://www.city.nagasaki.lg.jp/kameyama/index2.html
http://isidatami.sakura.ne.jp/kameyama.html
上野 彦馬(うえの ひこま、天保9年8月27日(1838年10月15日) - 明治37年(1904年) 5月22日)は幕末期から明治時代にかけて活動した日本の写真家(写真師)。日本 における最初期の写真家で、日本最初の戦場カメラマン(従軍カメラマン)としても知 られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/上野彦馬
坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日(1836年1月3日) - 慶応3年11月15日(1867年12月10日))は、江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。
http://ja.wikipedia.org/wiki/坂本龍馬
海援隊(かいえんたい)は、江戸時代後期の幕末に、土佐藩脱藩の浪士である坂本龍馬が中心となり結成した組織である。1865年から1868年まで3年余りに亘り、私設海軍・貿易など、薩摩藩などからの資金援助も受け、近代的な株式会社に類似した組織、商社活動としても評価されている・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/海援隊
上野彦馬とは
http://www.sanno.ac.jp/hikoma/uh1.html
http://bakumatsu.org/men/view/234
化学者としての上野彦馬|長崎大学薬学部 長崎薬学史の研究~第二章
http://www.ph.nagasaki-u.ac.jp/history/research/cp2/chapter2-2.html
「写真は長崎から」写真術の始祖・上野彦馬
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0306/
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0306/index1.html
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0306/index2.html
上野彦馬撮影局? 内田九一写真館? それとも第三の写真館?
http://ameblo.jp/nagasakiphotographer/entry-10956124609.html
日本での写真の祖・上野彦馬|中島川河畔にある「上野彦馬宅跡」の碑
http://minkara.carview.co.jp/userid/515571/blog/14896261/
長崎旅行-13 「長崎市古写真資料館」で見た幕末・明治の写真師「上野彦馬」
http://blog.goo.ne.jp/tako_888k/e/c509500c73b9036688dc532b2ae26c9f
撮影者:上野彦馬
幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース-[検索結果の一覧表示]
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/list.php?req=1&target=Hikoma
高野房太郎フォト・アルバム|上野彦馬撮影
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/takanoalbum-nagasaki.html
上野彦馬宅跡
http://4travel.jp/domestic/area/kyushu/nagasaki/nagasaki/nagasakieki/hotplace/10007927-tips/
上野彦馬の墓
http://4travel.jp/domestic/area/kyushu/nagasaki/nagasaki/nagasakieki/hotplace/11351894-tips/
日本第1号の写真館が長崎の中島に開店
http://photostudio-guide.com/contents/rekishi/
グイド・ヘルマン・フリドリン・フェルベック(Guido Herman Fridolin Verbeck、あるいはVerbeek、1830年1月23日 - 1898年3月10日)は、オランダ出身で、アメリカ合衆国に移民し、日本に宣教師として派遣され活躍した法学者・神学者、宣教師。
http://ja.wikipedia.org/wiki/グイド・フルベッキ
フルベッキ群像写真(ふるべっきぐんぞうしゃしん)はオランダ出身でアメリカ・オランダ改革派教会から派遣された宣教師グイド・フルベッキとその子を囲み、上野彦馬のスタジオで撮影された44名の武士による集合写真の俗称。「フルベッキ写真」「フルベッキと塾生たち」とも呼ばれる。明治元年(1868年)頃、フルベッキが佐賀藩の藩校致遠館の学生とともに撮った可能性が高い写真とされている・・・
この写真は古くから知られており、1895年(明治28年)には雑誌『太陽』(博文館)で、佐賀の学生たちの集合写真として紹介された。この「フルベッキ博士とヘボン先生」という記事を書いた戸川安宅はモデルとなった人々について一切言及していない・・・
[写真の実体]
この写真はフルベッキと、佐賀藩が長崎にもうけた藩校・致遠館(ちえんかん)の生徒を写真家・上野彦馬が撮ったものとされる。 龍馬没後の明治元年12月に致遠館に留学した岩倉具定・具経兄弟が写っていることや、撮影が行われた彦馬のスタジオの様子から、慶応年間の撮影はあり得ないとされている・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/フルベッキ群像写真
↑「フルベッキ博士と維新志士達の写真」
この写真はお公家の子息である岩倉兄弟が一介の藩校に入学したことを記念するため撮影された、
彼らを迎えた致遠館の教師と生徒による集合写真である・・・
↑(出典)http://heartland.geocities.jp/obata1942/Hakua/Porterroom/0908Verbeck
舎人学校
フルベッキ写真(1)
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/08/post_29d7.html
フルベッキ写真(2)
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/08/post_ad6c.html
フルベッキ写真(3)
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/08/post_9647.html
フルベッキ写真(4)
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/08/post_f672.html
フルベッキ写真(5)
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/08/post_c6ab.html
明治時代年表 / 坂の上の雲マニアックス
http://meiji.sakanouenokumo.jp/
http://meiji.sakanouenokumo.jp/1868.html
上野彦馬と下岡蓮杖 ~幕末写真史その2 (6)
http://plaza.rakuten.co.jp/gundayuu/diary/201102200000/
上野 彦馬(うえの ひこま、天保9年8月27日(1838年10月15日) - 明治37年(1904年)5月22日)は幕末期から明治時代にかけて活動した日本の写真家(写真師)。日本における最初期の写真家で、日本最初の戦場カメラマン(従軍カメラマン)としても知られる。号は季渓。家紋は桔梗の二引・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/上野彦馬
http://ja.wikipedia.org/wiki/上野撮影局
東京大学大学院情報学環・学際情報学府|文化資源統合アーカイブ
http://cr-arch.chi.iii.u-tokyo.ac.jp/collections/hp.html
http://bakumatsu.org/photos/view/374
http://bakumatsu.org/photos/view/373
http://www.ryoma-kinenkan.jp/study/feat/
Category:幕末・明治期の写真家
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:幕末・明治期の写真家
http://ja.wikipedia.org/wiki/写真家一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の写真家一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/ピエール・ロシエ
最初のプロカメラマン
http://blogs.yahoo.co.jp/seizoh529/46998240.html
侯爵家のアルバムから始まる論考資料
http://www.gouann.org/004ann_syu/kido_html/kidos_photo.html
幕末~明治維新の群像
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102827072/
幕末志士写真集
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_40_1_shishiphotosyu.htm
展示余話1「蓮杖&金幣-横浜写真ことはじめ-」展 開港後最初の来日カメラマン -P. J. ロシエの足跡-
前号では「蓮杖以前」の営業写真家について、近年明らかになった事実を紹介した。今回は開港期に来日した外国人プロカメラマンについての新事実を紹介する・・・
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/086/086_03.html
人物編 | 中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典|国立国会図書館国際子ども図書館
http://www.kodomo.go.jp/yareki/person/index.html
幕末写真館|幕末に活躍した志士達の肖像を集めました。写真の量なら日本一(!?)
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu.shtml
日本写真史一覧年表|黎明編
http://www.geocities.jp/photography1862/kikakusitu/syasinsinenpyou.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本写真史
http://ja.wikipedia.org/wiki/高杉晋作
http://ja.wikipedia.org/wiki/中岡慎太郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/大政奉還
http://ja.wikipedia.org/wiki/近江屋事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/幕末の年表
http://ja.wikipedia.org/wiki/写真編集
http://ja.wikipedia.org/wiki/ピエール・ロシエ
http://ja.wikipedia.org/wiki/フェリーチェ・ベアト
http://ja.wikipedia.org/wiki/前田玄造
http://ja.wikipedia.org/wiki/写真編集
幕末志士写真集
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_40_1_shishiphotosyu.htm
幕末志士写真館
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu.shtml
江戸時代の「1両」の価値って?(1)-お金の歴史 雑学コラム
http://manabow.com/zatsugaku/column15/
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