今熊野観音寺|Googleマップ
(2013年11月20日撮影)


今熊野観音寺は、弘仁年間(825年頃)に弘法大師が熊野権現の化身から観音霊地の霊示を受け、嵯峨天皇の勅願により観音像を刻んで本尊とし草堂に安置したのが当寺の創始と云われ、山の上の医聖堂には奈良・平安時代から江戸時代までの医聖・・・貝原益軒、杉田玄白、緒方洪庵など、122人が祀られ、一般には西国第十五番 観音寺として「今熊野」や「今熊野観音」の呼び名で親しまれている・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/観音寺_(京都市東山区)











(以下・参考サイト)
西国第十五番 観音寺(今熊野観音寺)
弘仁年間(825年頃)に弘法大師が熊野権現の化身から観音霊地の霊示を受け、嵯峨天皇の勅願により観音像を刻んで本尊とし草堂に安置したのが当寺の創始といわれている。
後白河法皇は本尊を深く信仰し、霊験により持病の頭痛が平癒したので、本寺に「新那智山・今熊野」の名称を与えられ、以来、頭痛、中風、厄除けの観音として繁栄してきたという。文暦元年(1234年)に後白河上皇を当寺に葬るなど、歴代朝廷の崇敬をあつめている。
現在、この観音寺は泉涌寺の塔頭であるが、応仁の乱以前は泉涌寺をしのぐ大寺だったという。
なお、本寺は「観音寺」の名称よりも、一般には「今熊野」や「今熊野観音」の呼び名の方で親しまれている。
http://www.y-morimoto.com/saigoku/saigoku15a.html
今熊野観音寺
http://www.kannon.jp/
http://www.kannon.jp/enkaku/index.html
観音寺 (京都市東山区)
観音寺(かんのんじ)は、京都市東山区泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭のひとつで、今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)とも称される。山号は新那智山。本尊は十一面観音(秘仏)。西国三十三所第十五番札所、神仏霊場巡拝の道(神仏霊場会)百二十二番(京都四十二番)霊場、ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場第一番札所、洛陽三十三所観音霊場第十九番札所、京都七福神えびす神奉祀 。
http://ja.wikipedia.org/wiki/観音寺_(京都市東山区)
今熊野観音寺は825年頃(平安時代)嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創されました。 山号を「新那智山」と称します。西国三十三所第十五番霊場、厄除開運の寺として知られ特に頭痛・病気封じ・智恵授かりとして広く信仰されています。
奈良・平安時代から江戸時代までの医聖・・・貝原益軒、杉田玄白、緒方洪庵・・・122人が祀られています。
http://kyoto-albumwalking2.cocolog-nifty.com/blog/2009_10/
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